サッカー日本代表の歴代キャプテンと歴代10番は日本サッカー界で特別な意味を持ち、限られた選手しか担当することが許されない大役です。サッカー日本代表のキャプテンと10番に選ばれる選手には、特別な能力が必要とされ、チームの中心的役割を担います。
サッカーの日本代表キャプテンとは?
サッカー日本代表のキャプテンは、日本サッカー界でもっとも信頼されている選手が担当しており、キャプテンに必要な能力は3つです。
・リーダーシップ
・人望
・自己犠牲心
日本代表メンバーは個性的な選手が揃うので、キャプテンには3つの高い能力が求められます。サッカー日本代表キャプテンの役割は、チームキャプテンとゲームキャプテンの2つがあり求められることが大きく異なります。
チームキャプテン
チームキャプテンは、サッカー日本代表のキャプテンでもあり、チームをW杯まで率いる役割を担っています。通常チームキャプテンは、守備的なポジションの選手が担当することが多く、試合のときにキャプテンマークを巻いているのが目印です。
チームキャプテンには、自身が試合に出場していないときでも、常に日本代表メンバーのチームマネジメントの中心的な役割を果たすことが求められています。
ゲームキャプテン
ゲームキャプテンの役割は、試合でキャプテンマークを着けてチームを勝利に導くことです。チームキャプテンが試合に出場しないときには、別の選手がゲームキャプテンを担当します。ゲームキャプテンの仕事は、試合でのコイントスや、選手を代表して審判とコミュニケーションを取ることです。
サッカー日本代表の歴代キャプテン
サッカー日本代表の歴代キャプテンは、W杯にあわせた4年ごとに監督が交代するタイミングでひとつのサイクルを終えます。日本代表メンバーのキャプテンで成功するためには、代表監督との相性が重要な要素となり、歴代の主将に定着した選手は、例外なくサッカー界のレジェンドと尊敬されています。
柱谷哲二
生年月日 |
1964年7月15日 |
ポジション |
ボランチ、センターバック |
キャプテン担当期間 |
1991年~1995年 |
柱谷哲二は日産自動車サッカー部からヴェルディ川崎に入団しています。柱谷はディフェンスリーダーの資質があり、日産組と読売組に分かれていたオフトジャパン代表メンバーのまとめ役に最適だったため、
闘将と呼ばれていました。
柱谷は、ヴェルディ川崎時代のチームメイトで、当時の日本代表のエースであったラモス瑠偉に対しても臆することなく意見をぶつけていました。
井原正巳
生年月日 |
1967年9月18日 |
ポジション |
センターバック |
キャプテン担当期間 |
1996年~1999年 |
井原正巳は、ビルドアップ能力やディフェンス能力の高さが評価され、大学生で日本代表に定着しました。井原は、キャプテンと日本代表の守備の中心選手として長く活躍し、1998年フランスW杯までキャプテンを担当していました。
井原は、アジアの壁の異名を持つことでも知られています。
森岡隆三
生年月日 |
1975年10月7日 |
ポジション |
センターバック |
キャプテン担当期間 |
2000年~2002年 |
森岡隆三は、トルシエJAPANで中心的な役割を担い、2000年シドニーオリンピック、2002年日韓ワールドカップではキャプテンに登録されました。日韓ワールドカップでは初戦ベルギー戦で負傷して離脱し、宮本恒靖にポジションを奪われたことで主将から外れています。
中田英寿
生年月日 |
1977年1月22日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
キャプテン担当期間 |
2002年~2004年 |
中田英寿は1988年フランスワールドカップ、2002年日韓ワールドカップで中心で活躍し、2002年に発足したジーコジャパンでキャプテンを務めていましたが、怪我で離脱し、キャプテンを宮本恒靖に譲りました。中田は攻撃的なポジションの選手ながら主将を担当した、歴代キャプテンのなかでも珍しいケースです。
宮本恒靖
生年月日 |
1977年2月7日 |
ポジション |
センターバック |
キャプテン担当期間 |
2004年~2006年 |
宮本恒靖は2002年日韓ワールドカップで森岡隆三の負傷離脱で出番が回ってきたことをきっかけに、日本代表のレギュラーとして定着しました。
宮本は世代別代表やガンバ大阪で主将でプレーし、キャプテンシーが抜群だったことを評価され、ジーコジャパンのときに中田英寿からキャプテンを譲り受けました。2006年ドイツワールドカップでは、キャプテンマークを巻いて出場しました。
川口能活
生年月日 |
1975年8月15日 |
ポジション |
ゴールキーパー |
キャプテン担当期間 |
2006年~2008年 |
川口能活は、2006年に発足したオシムジャパンでチームの中心選手に位置付けられたのをきっかけにキャプテンに任命されました。
当時のオシムジャパンには、田中マルクス闘莉王や中澤佑二、中村俊輔といったリーダシップをとる代表メンバーが複数存在したため、川口能活の役割はチームのバランスを取ることが中心でした。
川口能活は、オシム監督に替わって就任した岡田武史監督が楢崎正剛をゴールキーパーに抜擢したことでキャプテンから外されました。川口は、2010南アフリカW杯では第3キーパーだったため試合に出場することはできませんでしたが、怪我を押しながらチームのまとめ役として活躍したことで、歴代最高の第3キーパーと称えられるようになりました。
中澤佑二
生年月日 |
1978年2月25日 |
ポジション |
センターバック |
キャプテン担当期間 |
2008年~2010年 |
中澤佑二は、病に倒れたオシム監督に替わって岡田武史監督が就任したことでキャプテンに任命されました。中澤は、横浜マリノス時代に岡田監督に師事していたため、新チームのキャプテンに最適でしたが、2010年の南アフリカW杯直前でのチームの不振に伴い、主将から外されています。
長谷部誠
生年月日 |
1984年1月18日 |
ポジション |
ボランチ |
キャプテン担当期間 |
2010年~2018年 |
長谷部誠は、2010年南アフリカW杯直前のチームの不振を変えるために中澤佑二からキャプテンを引き継ぎました。岡田武史監督は、本田圭佑や長友佑都といった勢いのある若手選手とベテランの融合を狙い、年齢を問わずコミュニケーションが上手い長谷部誠をキャプテンに任命しました。
歴代最長のキャプテン期間を持つ長谷部は、2014年ブラジルワールドカップ、2018年ロシアワールドカップでもキャプテンを務めています。
吉田麻也
生年月日 |
1988年8月24日 |
ポジション |
センターバック |
キャプテン担当期間 |
2018年~ |
吉田麻也は、長谷部誠の代表引退に伴って2018年に発足した森保JAPANでキャプテンに任命されました。吉田麻也は日本代表歴が長く、キャプテンに就任した年齢も、歴代のキャプテンのなかで最高齢でした。
サッカー日本代表の10番とは?
サッカー日本代表の10番は、エースナンバーで攻撃的な人気選手が着ける背番号なため、10番のユニフォームに特別な思い入れがあるファンが多いです。日本代表の10番を付けている選手は特別視されるため、ファンからのプレーへの要求も高くなります。10番に選ばれてきた歴代の選手には、テクニックや精度の高さといった特徴に共通点があります。
日本代表の10番の意味
サッカー日本代表の10番にはチームの司令塔やファンタジスタといった意味があり、特別な選手が付けるエースナンバーです。サッカーの背番号10番は攻撃の中心となる選手が背負うことが多く、日本代表でも、攻撃的ミッドフィルダーの中心選手が歴代の10番を担当しています。
日本代表10番の選手の特徴
日本代表の歴代10番に共通する特徴は、圧倒的なテクニックや精度の高いパスで得点を生み出す創造性です。日本サッカー界は技術を重んじる傾向が強く、10番の選手には高い技術が要求されるため、技術に秀でた選手が選ばれることが多いことです。
サッカー日本代表の歴代10番とは?
サッカー日本代表で10番に定着した選手は、現在までに6人います。10番に定着した6人の選手は、全員がミッドフィルダーでした。
木村和司
生年月日 |
1958年7月19日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
1986年~1990年 |
木村和司は1980年代半ばから1990年まで日本代表の10番で攻撃を引っ張り、フリーキックの名手として知られています。木村和司は、残念ながらワールドカップには縁がありませんでしたが、韓国戦での直接フリーキックの得点が伝説として語り継がれています。
ラモス瑠偉
生年月日 |
1957年2月9日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
1990年~1995年 |
ラモス瑠偉は日本代表で1990年から1995年までオフトジャパンで活躍していました。ラモスは、パスセンスと視野の広さで決定機を作り出すファンタジスタで、帰化選手のなかで日本代表の10番を背負った唯一の選手でもあります。
名波浩
生年月日 |
1972年11月28日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
1997年~2000年 |
名波浩は、1997年から2000年に日本代表として活躍していました。1998年フランスワールドカップで10番を背負いプレーしたことが世界的に評価され、セリエAベネチアに移籍しました。名波は、残念ながらセリエAでは活躍できず帰国してジュビロ磐田に入団したものの、怪我の影響で2002年日韓ワールドカップに出場することはできませんでした。
中村俊輔
生年月日 |
1978年6月24日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
2000年~2010年 |
中村俊輔は、日本代表で2000年から2010年に背番号10番を背負い活躍し、2006年ドイツワールドカップ・2010年南アフリカワールドカップに出場しました。
歴代最強のキッカーとして知られる中村俊輔は、歴代で最長期間10番を担当していましたが、、怪我や体調不良によって、ワールドカップでは活躍することができませんでした。
香川真司
生年月日 |
1989年3月17日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
2010年~2018年 |
香川真司は、2010年から2014年まで日本代表10番を背負い、2014年ブラジルワールドカップ・2018年ロシアワールドカップに出場しました。香川真司は海外リーグでの活躍とは対照的に日本代表では本領発揮することが少なく、本田圭佑との共存に苦しみ続けました。香川真司の10番担当期間は、中村俊輔に次いで歴代2番目の長さです。
中島翔哉
生年月日 |
1994年8月23日 |
ポジション |
ミッドフィルダー |
10番担当期間 |
2018年~ |
中島翔哉は2018年に香川真司から10番を受け継ぎ、森保JAPAN発足時から10番を任されていましたが、不動のレギュラーとなることはできませんでした。中島翔哉は、今後の状況しだいでは久保建英に10番を奪われる可能性があると危ぶまれています。
日本代表のキャプテンと10番は特別
高い技術や能力が求められる日本代表のキャプテンと10番の背番号は、代表選手だけでなく、サポーターたちにとっても特別な存在です。監督や選手だけでなく、サポーターにも認められる人気選手がキャプテンや10番を務めることで、チームに安定感が生まれます。
過去の代表監督たちは、選手の負担を考えキャプテンと10番の役割を分散させてチームのバランスをとっていたため、現在まで2つの役割を両立していた選手はいません。