サッカー日本代表の歴代監督まとめ!ワールドカップの成績が一番の監督とは?
サッカー日本代表歴代監督は、1992年に本格的にW杯本大会出場を目指すようになり、オフトが初めて外国人監督として就任して以降、現在まで12人が就任し、その間6度の本大会出場を果たしています。また、今後のサッカー日本代表監督候補としては、Jリーグ経験者の名があがっています。
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公式ライター old_user_id: 211
サッカーの日本代表の監督とは?
オフト監督以降、前監督に足りなかったものを埋め合わせるように監督交代を繰り返し、ワールドカップフランス大会に初出場を果たすと、それ以降、サッカー日本代表歴代監督には本大会出場が義務付けられました。
サッカーの日本代表の歴代監督【1992年〜2002年】
ハンス・オフト
国籍 | オランダ |
生年月日 | 1947年6月27日 |
日本代表監督在任期間 | 1992年5月~1993年10月 |
ワールドカップアメリカ大会 | アジア最終予選敗退 |
主な獲得タイトル | 1992年:AFCアジアカップ |
1992年:ダイナスティカップ | |
1993年:アフロアジア選手権 | |
監督歴(クラブ) | 1987-1988:マツダ |
1994-1996:ジュビロ磐田 | |
1998:京都パープルサンガ | |
2002-2003:浦和レッズ | |
2008:ジュビロ磐田 | |
監督歴(ナショナルチーム) | 1976:オランダ代表(ユース) |
就任僅か3ヵ月後のダイナスティカップでは、それまで全く歯が立たなかった韓国を決勝で撃破して誰も予想しなかった優勝を成し遂げ、さらに秋のAFCアジアカップでも優勝を果たし、大ブームを巻き起こしました。
国民の期待を背負ったワールドカップアジア最終予選では後半ロスタイムにイラクに同点ゴールを許し、あと一歩のところで初出場を逃してしまいます。後に語り継がれるドーハの悲劇でした。
ワールドカップ初出場の夢は散りましたが、可能性を感じさせたオフトの功績は大きかったといえます。
パウロ・ロベルト・ファルカン
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1953年10月16日 |
日本代表監督在任期間 | 1994年5月~1994年10月 |
ワールドカップフランス大会 | 予選前に解任 |
主な獲得タイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1991-1993:クラブ・アメリカ |
1993:インテルナシオナル | |
2011:インテルナシオナル | |
2012:バイーア | |
2015-2016:スポルチ | |
2016:インテルナシオナル | |
監督歴(ナショナルチーム) | 1990-1991:ブラジル |
ファルカンは4年後のW杯を見据えて若手を積極的に起用しますが、就任後最初のキリンカップ、5か月後のアジアカップでともにタイトルを逃し、多くのサポーターから批難を浴び、在籍僅か6ヵ月で解任されてしまいます。
ファルカンは4-4-2システムを採用、ゾーンディフェンスによるプレスからのショートカウンターという現代サッカーを当時から試みました。現在ならまだしも、当時は要求が高かったとされています。
加茂周
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1939年10月29日 |
日本代表監督在任期間 | 1994年12月~1997年10月 |
ワールドカップフランス大会 | 最終予選途中で解任 |
主なタイトル | 1995年,1996年,1997年:キリンカップ |
1995年:ダイナスティカップ | |
監督歴(クラブ) | 1974-1989:日産自動車 |
1991-1994:横浜フリューゲルス | |
1999-2000:京都パープルサンガ |
加茂ジャパンのゾーンプレスは、中盤でボールを繋いでくる欧州などの強豪国には効果を発揮しましたが、中盤で試合をしないアジア国の前では効果がなく、W杯アジア最終予選途中で解任されます。
アジアの各国は欧州国のように個人技で中盤を支配せず、後方から前線へロングボールを多用するため、加茂ジャパンは中盤でプレスを仕掛けることすらさせてもらえませんでした。
岡田武史
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1956年8月25日 |
日本代表監督在任期間 | 第1期;1997年10月~1998年6月 |
フランスワールドカップ | グループリーグ敗退 |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1999-2001:コンサドーレ札幌 |
2003-2006:横浜F・マリノス | |
2012-2013:杭州緑城 |
W杯フランス大会直前に、中心選手として代表を引っ張ってきた三浦知良、北沢豪を代表から外すなど議論を呼び、本大会で全日本は3戦全敗でグループリーグ敗退を喫しました。
フィリップ・トルシエ
国籍 | フランス/コートジボワール |
生年月日 | 1955年3月21日 |
日本代表監督在任期間 | 1998年10月~2002年6月 |
日韓ワールドカップ | ベスト16 |
主なタイトル | 2000年:AFCアジアカップ |
監督歴(クラブ) | 1984-1987:レッドスター |
1989:クレテイユ | |
1989-1992:ASECミモザ | |
1994:カイザー・チーフス | |
1995:CAラバト | |
1995-1997:FUSラバト | |
2004-2005:マルセイユ | |
2011-2013:深圳FC | |
2014:CSスファクシアン | |
2015:杭州緑城 | |
監督歴(ナショナルチーム) | 1983-1984:フランスU-15 |
1993:コートジボワール | |
1997:ナイジェリア | |
1997-1998:ブルキナファソ | |
1998:南アフリカ | |
2005:モロッコ | |
2019-現在:U-19ベトナム |
当時は中田英寿や宮本恒靖、小野伸二、稲本潤一、中村俊輔、松田直樹などタレント揃いで、代名詞となったフラット3を採用し、3-5-2を基本に、全日本を初の決勝トーナメント進出へと導いた歴代監督です。
トルシエはフル代表・五輪代表・U-20代表の3世代を兼任し、全世代で戦術の意思統一をはかりました。
その結果、ワールドユース準優勝・五輪予選グループリーグ突破、アジアカップ制覇、コンフェデレーションズカップ準優勝など確実に結果を残してきました。
サッカーの日本代表の歴代監督【2002年〜現在】
ジーコ
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1953年3月3日 |
日本代表監督在任期間 | 2002年7月~2006年6月 |
ドイツワールドカップ | グループリーグ敗退 |
主なタイトル | 2004年:AFCアジアカップ |
監督歴(クラブ) | 2000-2002:CFZ |
2006-2008:フェネルパフチェ | |
2008:ブニョドコル | |
2009:CSKAモスクワ | |
2009-2010:オリンピアコス | |
2013-2014:アル・ガラファ | |
2014-2016:ゴア | |
監督歴(ナショナルチーム) | 2011-2012:イラク代表 |
ジーコは、トップダウン式だったトルシエとは全く逆のボトムアップ式で、選手の個性を最大限に活かし、自主性を重んじる指導法で、W杯予選を勝ち抜き、本大会出場は決めたものの、グループリーグ敗退でした。
ドイツワールドカップ本大会のグループリーグではブラジルとオーストラリアに敗れ、クロアチアと引き分けてグループリーグ敗退を喫します。
原因はジーコが貫いた選手の自主性が招いた失敗とされています。チームの士気を下げる選手がいてもとがめず、選手同士で解決させるなど、自主性が無責任となった結果です。
イビチャ・オシム(2006年8月~2007年11月)
国籍 | ビスニア・ヘルツェゴビナ/オーストリア |
生年月日 | 1941年5月6日 |
日本代表監督在任期間 | 2006年8月~2007年11月 |
南アフリカワールドカップ | 予選前に脳梗塞により辞任 |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1978-1986:ジェリェズニチャル |
1991-1992:パルチザン・ベオグラード | |
1992-1994:パナシナイコス | |
1994-2002:シュトゥルム・グラーツ | |
2003-2006:ジェフ千葉 | |
監督歴(ナショナルチーム) | 1986-1992:ユーゴスラビア |
また、1対1で負けない守備、トランジションの速さ、豊富な運動量を武器に相手を圧倒する考えて走るサッカーを目指しますが、2007年12月に脳梗塞を発症し、無念の辞任に至ります。
オシムは志半ばで日本代表監督を退きますが、全日本サッカーに、考えて走るサッカーを根付かせました。トレーニングでも、設問を繰り返し、選手に考えることを要求します。
このようなトレーニングは後の育成年代にも取り入れられ、歴代監督の中でも、全日本サッカーに与えた功績は大きかったといえます。
岡田武史(2008年1月~2010年6月)
日本代表監督在任期間 | 第2期:2008年1月~2010年6月 |
南アフリカワールドカップ | ベスト16 |
主なタイトル | なし |
日本代表を4大会連続4回目の本大会出場に導きますが、その後の国際試合では全く勝てず、サポーターからバッシングを受けます。しかし最終的にはベスト16の快進撃を見せ、世論から高評価を受けました。
岡田が目指した狭いスペースでパスをつなぐポゼッションスタイル、逆サイドへの展開、連続するハイプレスは現代サッカーの主流であり、その意味では岡田武史は時代を先取りしていたことになります。
アルベルト・ザッケローニ(2010年10月~2014年6月)
国籍 | イタリア |
生年月日 | 1953年4月1日 |
日本代表監督在任期間 | 2010年10月~2014年6月 |
ブラジルワールドカップ | グループリーグ敗退 |
主なタイトル | 2011年:AFCアジアカップ |
2013年:東アジアカップ | |
監督歴(クラブ) | 1990-1993:ヴェネツィア |
1993-1994:ボローニャ | |
1994-1995:コゼンツァ | |
1995-1998:ウディネーゼ | |
1998-2001:ミラン | |
2001-2002:ラツィオ | |
2003-2004:インテル | |
2006-2007:トリノ | |
2010:ユヴェントス | |
2016:北京国安 | |
監督歴(ナショナルチーム) | 2017-2019:アラブ首長国連邦 |
ザッケローニの戦術が功を奏し、2011年のアジアカップを制した日本代表はアジアのバルセロナと称賛され、日本代表を5大会連続5回目のワールドカップ本大会出場へ導くなど好成績を残しました。
ザッケローニが監督に就任して以来、親善試合で歴代監督としてはじめてアルゼンチンを破り、アジアカップ、東アジアカップを制した日本代表は史上最強と呼ばれました。
ハビエル・アギーレ(2014年8月~2015年2月)
国籍 | メキシコ/スペイン |
生年月日 | 1958年12月1日 |
日本代表監督在任期間 | 2014年8月~2015年2月 |
ロシアワールドカップ | 予選前に解任 |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1995-1996:アトランテ |
1998-2001:パチューカ | |
2002-2006:オサスナ | |
2006-2009:アトレティコ・マドリード | |
2010-2011:サラゴサ | |
2011-2014:エスパニョール | |
2015-2017:アル・ワフダ | |
2019-現在:CDレガネス | |
監督歴(ナショナルチーム) | 2001-2002:メキシコ |
2009-2010:メキシコ | |
2018-2019:エジプト |
状況によってフォーメーションを流動的にすることで、パスワークの良さに攻撃スピードを加え、守備も安定することからザッケローニの弱点を補うことに成功し、チームも就任間もなくに完成されていました。
アジアカップではグループステージを首位で通過し、決勝トーナメントの準々決勝でUAEによもやの敗北を喫しますが、ほぼ押しまくった内容でした。
しかし2014年12月に過去の八百長疑惑が発覚し、日本サッカー協会から契約解除されてしまいます。
ヴァヒド・ハリルホジッチ(2015年3月~2018年4月)
国籍 | ボスニア・ヘルツェゴビナ/フランス |
生年月日 | 1952年5月15日 |
日本代表監督在任期間 | 2015年3月~2018年4月 |
ロシアワールドカップ | 本大会出場権獲得後に解任 |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1990-1992:ヴェレジュ・モスタル |
1993-1994:ボーヴェ | |
1997-1998:ラジャ・カサブランカ | |
1998-2002:リール | |
2002-2003:レンヌ | |
2003-2005:パリ・サンジェルマン | |
2005-2006:トラブゾンスポル | |
2006:アル・イテハド | |
2010-2011:ディナモ・ザグレブ | |
2014:トラブゾンスポル | |
2018-2019:ナント | |
監督歴(ナショナルチーム) | 2008-2010:コートジボワール |
2011-2014:アルジェリア | |
2019-現在:モロッコ |
そして縦に速いサッカー戦術を追行するため、デュエルの局面を重視しています。そしてハリルジャパンはハイプレスとリトリート戦術によりロシアワールドカップ本大会出場を決めます。
ハリルホジッチは歴代監督の中でも優れた戦術家と評価される一方、高圧的なトップダウン方式が選手との確執を生み、モチベーションに大きく影響し、格下相手に足下をすくわれることがありました。
そのため、歴代監督史上初の本大会直前に解任される衝撃的な展開を迎えました。
西野朗(2018年4月~7月)
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1955年4月7日 |
日本代表監督在任期間 | 2018年4月~2018年7月 |
ロシアワールドカップ | ベスト16 |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 1998-2001:柏レイソル |
2002-2011:ガンバ大阪 | |
2012:ヴィッセル神戸 | |
2014-2015:名古屋グランパス | |
監督歴(ナショナルチーム) | 1991-1992:日本U-20 |
1994-1996:日本U-23 | |
2019-現在:タイ | |
2019-現在:タイU-23 |
そして本大会では選手同士で活発に意見をぶつけ合い、西野朗は最後の調整役として静観しつつ戦術を練りました。結果として日本の危機を救い、勝てるチームへと変貌させ、ベスト16に導きました。
森保一(2018年7月~)
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1968年8月23日 |
日本代表監督在任期間 | 2018年7月~ |
主なタイトル | なし |
監督歴(クラブ) | 2012-2017:サンフレッチェ広島 |
監督歴(ナショナルチーム) | 2017-現在:日本U-23 |
就任当初こそ良い成績でしたが、アジアカップ決勝でカタールに敗れ、さらにEAFF E-1サッカー選手権では韓国に敗れるなど、結果よりも試合内容の悪さにサポーターから異論が噴出しています。
今後の日本代表監督候補とは?
アーセン・ベンゲル
国籍 | フランス |
生年月日 | 1949年10月23日 |
監督歴(クラブ) | 1981-1983:RCストラスブール |
1983-1984:カンヌ | |
1984-1987:ナンシー | |
1987-1994:ASモナコ | |
1995-1996:名古屋グランパス | |
1996-2018:アーセナル |
アーセナルで文句なしの成績を残したベンゲルの戦術は細かいパスを主体としてポゼッションし、ボールを動かしながら相手守備を崩すスタイルで、日本人選手の特徴ともあっていると囁かれています。
ドゥンガ
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1963年10月31日 |
監督歴(クラブ) | 2011-2012:アル・ラーヤン |
2013:インタルナシオナル | |
監督歴(ナショナルチーム) | 2006-2010:ブラジル |
2008:ブラジルU-23 | |
2014-2016:ブラジル |
ブラジル代表として2期にわたり指揮を執りますが、見ている側の楽しさは度外視し、規律を重んじた組織的な守備を追求したサッカーが批判されました。しかし日本には適したサッカーと評価されています。
ドラガン・ストイコビッチ
国籍 | セルビア |
生年月日 | 1965年3月3日 |
監督歴(クラブ) | 2008-2013:名古屋グランパス |
2015-2020:広州富力 |
代表チームの監督経験はありませんが、日本人選手の長所や短所を知り尽くしており、抜群のカリスマ性で日本人選手をまとめ上げることに期待がかけられていることが主な理由です。
サッカー日本代表歴代監督 まとめ
しかし、2度のワールドカップ本大会で指揮を執り、歴代監督最高のベスト16入りを果たした岡田武史こそサムライブルー監督の中で最も良い成績を残した監督といえます。
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