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クロアチアの主将!ルカ・モドリッチが世界最高MFになった軌跡とは?

クロアチアの主将!ルカ・モドリッチが世界最高MFになった軌跡とは?

ワールドカップロシア大会で目覚ましい活躍を見せ、世界最高のMFの呼び声高いクロアチアの主将、ルカ・モドリッチ。そのルカ・モドリッチはどのようにして世界最高のMFの座に上り詰めたのか?ここではルカ・モドリッチが世界最高MFになった軌跡を追います。

2022.11.23 サッカー

ルカ・モドリッチのプロフィール

S.H Hiroto on Instagram: “モドリッチ様。尊敬しています。好きなサッカー選手の1人。#モドリッチ #神 #尊敬 #サッカー” (55910)

国籍:クロアチア
生年月日:1985年9月9日生まれ
出身地:ユーゴスラビア サダル
身長:172cm
体重:65kg
ポジション:MF(CMF)
利き足:右足
2003-2008 ディナモ・ザグレブ
2003-2004 ズリニスキ(レンタル)
2004-2005 ザプレシッチ(レンタル)
2008-2012 トッテナム・ホットスパー
2012- レアル・マドリード

ルカ・モドリッチの獲得タイトル

プレミェル・リーガ最優秀選手:2003
クロアチア年間最優秀若手選手:2004
クロアチア年間最優秀選手:2007,2008、2011、2014、2016、2017
UEFA欧州選手権大会優秀選手:2008
リーガ最優秀MF:2013-14、2015-16
FIFA/FIFProワールドイレブン:2015,2016,2017
UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2016,2017
FIFAクラブWCゴールデンボール:2017
FIFAクラブWCシルバーボール:2016
UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF:2016-17,2017-18
FIFAWCゴールデンボール:2018
UEFA欧州最優秀選手賞:2017-18

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡①少年時代

toshi on Instagram: “Tank and ruins from The Croatian War of Independence…” (55939)

モドリッチは1985年9月9日にユーゴスラビアのサダル郊外のモドリッチ村で生まれました。
モドリッチの幼少期はまさにクロアチア紛争の戦時下で、セルビア軍に祖父を殺害されるなど、過酷なものでした。
紛争を避けるように引っ越しを繰り返すという難民状態で、そんな中モドリッチは常に避難先にボールを持っていき、駐車場など空いている場所を見つけてはボールを蹴っていたというモドリッチは、クロアチア最後のストリートボーラーとして成長を遂げたサッカープレーヤーです。

ストリートボーラーとしてザグレブへ

ye_ta_llow(m@koto) on Instagram: “⚽ Practice of liner shot  I practiced a shot of a straight trajectory that kick with outside of foot. It was quite difficult to kick to the…” (55948)

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戦争を避けながらボロボロのボールを蹴り続けてきたモドリッチは、10歳のときにクロアチアのスプリトを本拠地にするハイデュク・スプリトの入団テストを受けることになりますが、華奢で力がなさすぎるという理由から不合格となってしまいます。
その後、地元のクロアチア西部ザダルを本拠地とするNKザダルの下部組織に入団し、16歳でクロアチアのサッカー強豪クラブであるディナモ・ザグレブのユースチームに移籍します。
そして18歳でトップチームに昇格し、ストリートボーラーで培ったテクニックが認められ、10年契約を結ぶことになります。モドリッチ家はこのときの契約金で故郷にアパートを買い、難民生活から抜け出すことになります。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡②ボスニアへ

日本人でも三浦知良や佐藤寿人などが所属したことがあるクロアチアの強豪クラブ、ディナモ・ザグレブのトップチームに昇格したモドリッチでしたが、そのまま順風満帆というわけにはいきませんでした。
モドリッチはトップチーム昇格と同時にボスニアのズリニスキ・モスタルにレンタルされてしまいます。ボスニアのピッチをはじめ、様々な面で非常に劣悪で過酷な環境でした。
後にモドリッチは「ボスニアでプレーできれば、世界のどこでもやれる」と語っています。
18歳のモドリッチはキャプテンとして22試合出場8得点の活躍でMVPに輝きます。
モドリッチはこれでザグレブに戻れると信じますがその願いも叶わず、クロアチアのNKザプレシッチへレンタルされることになります。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡③高い壁

【サッカー】 ニコ・クラニチャール (クロアチア) イケメン親子サッカー選手

モドリッチのストリートボーラーとして培ってきた技術や精神は素晴らしいものでした。にも関わらずボスニアへレンタルされMVP級の活躍を見せてもザグレブに戻れない理由は、実はニコ・クラニチャールの存在でした。
ニコ・クラニチャールはモドリッチと同世代の天才と呼ばれるほどのサッカープレーヤーで、クロアチアの英雄的な存在でした。若干17歳でザグレブのキャプテンとして活躍し、ポジションもモドリッチと同じポジションだったため、モドリッチはザグレブに戻ることができなかったとされています。
ニコ・クラニチャールという存在は、モドリッチが越えなければいけない壁として立ち塞がっていたわけです。

年間最優秀若手選手賞を獲得

ニコ・クラニチャールの存在を越えなければ先がないモドリッチは、レンタル先のNKザプレシッチでの活躍を誓います。
モドリッチはザプレシッチの中盤をほぼ支配し、攻守でチームの勝利に貢献、18試合で4得点と活躍し、チームは優勝争いに敗れはしたものの、ニコ・クラニチャールのザグレブの3位を超える準優勝という好成績を収めました。さらにモドリッチ個人としての活躍も認められ、才能を開花させはじめたモドリッチはこのシーズンの年間最優秀若手選手賞を獲得しています。

ニコ・クラニチャールの移籍とモドリッチのザグレブ復帰

pon on Instagram: “俺のモドリッチが来日(・∀・) #画像お借りしました #モドリッチ #cwc” (55949)

2005年1月、モドリッチに転機が訪れます。それがニコ・クラニチャールのハイデュク・スプリトへの移籍です。
ハイデュク・スプリトはモドリッチがザプレシッチで準優勝したシーズンの優勝チームで、ザグレブのライバルチームです。
優勝を逃し、さらにザプレシッチにも敗れた責任をフロントに押し付けたことからフロントとの確執が生まれ、スプリトへの移籍に繋がったとされています。それに伴ってザグレブはモドリッチを呼び戻し、ニコ・クラニチャールの穴を埋めようと考えたわけです。

ザグレブを優勝へ導くモドリッチ

念願のザグレブへの復帰を果たしたモドリッチは、定位置であるセントラルミッドフィルダーとして中盤を完全に支配し、大車輪の活躍を見せる凄さで、ザグレブに所属した2005-06、2006-07、2007-08シーズンの全てでザグレブをリーグ優勝に導きます。
そして2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出され、ザグレブの中心選手まで上り詰めます。
典型的な超攻撃的なミッドフィルダーとして活躍してきたモドリッチですが、ボスニアへのレンタルや、ザプレシッチへのレンタルを機に、守備的なポジションやサイドハーフなどもこなし、いつしか万能型のミッドフィルダーに成長したことで才能が開花したといえます。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡④プレミアへ

Luka Modric - The Tottenham Years

攻守に活躍することができる万能型ミッドフィルダーに成長し、その才能が認められたモドリッチは、2008年5月、プレミアリーグへ挑戦することになります。
その移籍先がトッテナム・ホットスパーです。プレミアリーグで主にセントラルミッドフィルダーやサイドハーフとして活躍し、2010-11シーズンでは自身初のチャンピオンズリーグ本戦に出場し、8試合に出場してベスト8進出に大きく貢献しました。
このシーズンのプレミアリーグでは32試合に出場し、パス成功数とインターセプト数でリーグベスト3に入る凄さを見せつけ、攻撃だけではなく、守備でも大きく貢献していることを印象づけました。

ニコ・クラニチャールとの再会

2008-09シーズンにトッテナムに移籍したモドリッチですが、翌シーズンからはなんとニコ・クラニチャールがトッテナムに移籍することになり、両者は思わぬ形で再会することになります。
しかしクロアチアでの立場とは全く逆になっており、モドリッチはセントラルミッドフィルダーとしての地位を確立していたのに対し、ニコ・クラニチャールはレギュラーポジションさえ与えられていませんでした。
同時にクロアチア代表としても中心選手はモドリッチになっており、代表キャプテンの座を手中にしていました。
この瞬間、モドリッチは越えなければいけない壁を事実上越えたことを意味します。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡⑤レアルへ移籍

攻撃では味方選手を操るタクトを振るい、守備では優れたインターセプト能力で相手攻撃の芽を摘む万能型ミッドフィルダーに成長を遂げたモドリッチは2012年夏、遂にサッカー世界最高峰とされるリーガ・エスパニョーラの銀河系軍団、レアル・マドリードへ移籍することになります。
レアル・マドリードでは中盤の少し下がり目のポジションで活躍し、2013-14シーズンではチャンピオンズリーグ優勝に大きく貢献、さらに2015-16シーズンでは2年ぶりとなるチャンピオンズリーグ優勝に貢献、リーグ最優秀ミッドフィルダーに選出されます。
2016-17シーズンはメッシ率いるバルセロナを下してリーグ制覇と数々のタイトル獲得に貢献しました。

レアル・マドリードの10番へ

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レアル・マドリードへ移籍したモドリッチですが、当初からレギュラーポジションが約束されていたわけではありませんでした。
しかしある時は中盤のつなぎ役として、そしてある時はハードワーカーとして、そしてある時はボランチとしてチームに貢献し、何でもできる中盤に欠かせない選手として才能を認められ、今ではセントラルミッドフィルダーからボランチの中盤の下がり目のポジションを確立しています。
そして2017年7月、ロビーニョ、スナイデル、エジル、フィーゴなど名だたる選手が背負ってきた10番を背負うことになります。

クロアチア主将!ルカ・モドリッチの軌跡⑥代表主将へ

萌(MEGUMI) on Instagram: “バロンドールに1票(。•ㅅ•。)♡ #ルカモドリッチ#モドリッチ#サッカー#未だにW杯ロス#クロアチア#レアルマドリード#サッカー好きと繋がりたい#1番好き#まじで神#神パス#痺れる#ヲタ活#LukaModrić” (55916)

ついにレアル・マドリードの10番を手にしたクロアチア最後のストリートボーラーは、クロアチア代表主将として2018年ワールドカップロシア大会で躍動します。
予選リーグ初戦でナイジェリアを破ると、続く優勝候補のメッシ率いるアルゼンチンを3-0で破ります。
アルゼンチンを相手にモドリッチは、持ち前の豊富な運動量と献身的なプレーで試合を完全に支配し、試合を決定付ける最高のミドルシュートを決めました。
そして、その後のアイスランド選では2-1で勝利しグループを1位通過します。これは大方の予想を覆し、モドリッチとしても自身初の1次リーグの通過となりました。

激闘の準決勝イングランド戦

クロアチア対イングランド2 - 1すべてのゴールおよびその他のハイライト - 12/07/2018 HDワールドカップ

準決勝まで勝ち進んだ次の相手はイングランドでした。
イングランドはとても大柄で強靭なフィジカルが持ち味のチームで、小柄なモドリッチがどのようにプレーするのかに注目が集まる中試合は進み、1-1の同点のまま延長戦に突入します。
フィジカルに強いセンターフォワードのケインにボールを集めるイングランドに対し、モドリッチは攻守に懸命に走り周り、いつしかその献身的なプレーに感動を覚える観衆が沸き立ったそうです。
そのかいあってかクロアチアは劇的な勝利を収め、決勝に勝ち上がることになります。決勝での世界の注目はフランスVSモドリッチという捉え方がなされ、このワールドカップでモドリッチの魅力は世界に十分知れ渡ったとされます。

クロアチアの主将!ルカ・モドリッチの軌跡まとめ

うるJAPAN on Instagram: “W杯 イングランド対クロアチア  クロアチア勝ったみたいですね。延長までいったんですね。正直見たかったですが、起きられなかったですm(__)m。互角の勝負と予想していて、できればクロアチアに勝ってほしいと思ってたので、結果よかったです。…” (55943)

決して恵まれた少年時代ではなかったモドリッチですが、サッカーへの愛情は人一倍強く、戦時中にもかかわらずボールは常に離さず、クロアチア最後のストリートボーラーとして現在では躍動を続けています。
クラニチャールとい越えなければいけない壁を乗り越えるため、攻守に何でもできるミッドフィルダーに成長し、いつしか超万能型ミッドフィルダーとして大きな壁を越えていきます。
モドリッチはまさに、トータルフットボールへの移り変わりに応じるように、時代の要請に適応したことでサッカー世界最高のMFへ成長した凄さが魅力的な偉大な選手といえるでしょう。

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