井上尚弥の名言132選!100%の準備と父の教え、中谷潤人戦の言葉まで
「つねに不安と向き合っていますよ」。ボクシングで無敗の世界4団体統一王者、井上尚弥の名言です。100%の準備をして負けたなら仕方がないと言い切る強さも、父から受けた教えも、中谷潤人戦の後の言葉も、井上尚弥の名言から分かります。
Writer
公式ライター Activel編集部
ボクシングの世界4団体を統一し、プロ33戦無敗を続ける井上尚弥。モンスターと呼ばれる王者の名言を読むと、意外にも「つねに不安と向き合っていますよ」という言葉に出会います。父の背中を追い、最悪を想像して準備を尽くしてきた井上尚弥の名言は、本番を控えた人に力をくれます。
井上尚弥のプロフィール
井上尚弥は、父の背中を追って小学1年でボクシングを始め、プロ6戦目で世界王者になった選手です。今はスーパーバンタム級の4団体のベルトを持ち、2026年5月には東京ドームで中谷潤人との無敗どうしの試合を制しました。拳の手術で1年リングを離れた時も、2度倒された時も、本人がどう受け止めたかは名言から分かります。
基本プロフィール
井上尚弥は、プロ33戦のうち27戦をKOで勝っている、身長165cmのボクサーです。モンスターという呼び名は、デビューの時に大橋秀行会長が付けました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 井上尚弥(いのうえ なおや) |
| 生年月日 | 1993年4月10日 |
| 出身 | 神奈川県座間市 |
| 身長 | 165cm |
| 所属 | 大橋ジム |
| 今の王座 | 世界スーパーバンタム級4団体統一 |
| プロの戦績 | 33戦33勝27KO(2026年10月時点) |
| アマチュアの戦績 | 81戦75勝6敗 |
| 主な記録 | 4階級制覇・2階級で4団体統一 |
生い立ち:父の背中を追った少年時代
町田協栄ジムに通っていた父の真吾さんの姿に憧れて、井上尚弥は6歳でボクシングを始めました。父に教わりながら、『練習は仕事と思ってやれ』と言われて育ちます。
アマチュア史上初の高校7冠を達成しました。しかしロンドン五輪はアジア予選でビルジャン・ジャキポフに敗れて出場できず、その悔しさを抱えてプロの道を選びます。
デビューから中谷潤人戦までの歩み

2012年10月にプロデビューし、2014年4月に6戦目でライトフライ級の世界王者になりました。同じ年の12月には2階級上げ、王者オマール・ナルバエスに2回KOで勝ちます。ところがこの試合で右の拳を痛め、手術を経て、次の試合まで1年かかりました。
2019年11月には、階級の最強を決めるトーナメント WBSS の決勝で、ノニト・ドネアに右目の周りの骨を折られ、相手が二重に見えるまま12回を戦って判定で優勝しました。2022年6月の再戦は2回TKOで制し、その年の12月にはバンタム級で4団体統一を果たします。世界王座を認める4つの団体のベルトを、1人で集めたのです。
2023年にはスーパーバンタム級へ上げ、年内にこの階級でも4団体を統一しました。2024年5月の東京ドームではルイス・ネリにプロで初めて倒され、2025年5月のラスベガスでもラモン・カルデナスに倒されましたが、どちらも逆転のTKOで勝っています。
2026年5月2日、東京ドームで無敗の中谷潤人に判定で勝ちました。階級を問わず強さを順位づけする、米国のリング誌のパウンド・フォー・パウンドでも1位に返り咲いています。次の試合は2026年10月の時点で決まっていませんが、本人はジェシー・ロドリゲスとの対戦と、フェザー級への挑戦を口にしています。
座右の銘
井上尚弥が大事にしている言葉は、著書に3つ出てきます。ポリシーは「リング上のパフォーマンスがすべて」、戦い方の信条は「打たさずに打つ」、記者会見のモットーは「あるがままに正統にしゃべる」です。本人が座右の銘と呼んだ言葉は見当たりません。
井上尚弥の名言132選
井上尚弥のインタビューや試合後のコメントには、「試されたいんじゃなくて、試したいんです」という強気な言葉と、「『最悪なイメージ』ばかりして臨みます」という負ける怖さを隠さない言葉の両方が出てきます。父に教わった少年時代、倒された後に「楽しかった」と話した東京ドームの試合、引退を語り始めた中谷潤人戦の後と、時期ごとに言葉は変わっていきます。
少年時代と父の教えの名言
井上尚弥の父、真吾さんは、息子が子どもの頃からボクシングを教えてきたトレーナーです。『練習は仕事と思ってやれ』と言う一方で、走りに行こうとは言わず、息子たちが自分から走るかを見ていました。高校で負けて涙した試合のことや、出られなかったロンドン五輪の悔しさも、本人が振り返っています。
01「汗を流し、ひたむきに練習する父の姿を見ていて、子どもながらにカッコいいなと感じました。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、幼稚園の頃を振り返って
02「『練習は仕事と思ってやれ』とずっと言われていたんですよ。小さい頃からです。」
— 2019年1月のインタビューで、父の言葉で印象に残っていることを聞かれて
03「『やることをやってから遊びに行け!』」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、子どもの頃によく父に言われた言葉を聞かれて
04「父は『走りに行こう』とは言わない。言わないけど自分たちが走りに行くか見ている。複雑ですよ。」
— 2019年1月のインタビューで、子どもの頃の父の教え方を振り返って
05「あの時は、『なんで勝っちゃったんだろう』という感じでした。『自分って強いのかも』なんてことも一切思わなかったです。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、小学6年の初めての試合を振り返って
06「小学生のときはインターハイチャンピオンになりたいと思ってましたけど、世界チャンピオンは雲の上の存在みたいな感じだったので」
— 2019年1月のインタビューで、ジュニア時代を振り返って
07「でもやっぱり、ボクシングが楽しかった。強くなりたくて始めて、強くなっていくことを少しずつ実感して、ボクシング独特の世界に惹きこまれていきました」
— 2022年、ミズノ公式のスペシャルインタビューで
08「『他人と比較する必要はないんだよ。他人をうらやむんじゃないよ』…それが父の教えだった。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
09「父に言われて、やらされている練習では勝てない。自分から湧き出る主体性を持ち、自分からやらねば本物にはなれないのである。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
10「だから誰よりも真面目に、たゆまぬ努力をし続ける。その時間が確実に自分の自信になっていったし、結果にも繋がったんだと思います。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、部員が家族だけだった高校の部活を振り返って
11「心構えやマインドが一番大事だと思います。…普段の日常生活に気のゆるみや隙があると、いざ勝負の時に弱さがふっと出てしまう。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、高校時代を振り返って
12「リングを降り、観客席にいる父の姿を探した。顔を見るなり涙があふれた。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、高校時代に判定で負けた試合を振り返って
13「挫折は人を強くする。ただし逃げずに向かい合うことを忘れてはならない。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
14「僕は、五輪に出場できなかった理由をプロの世界へ宿題として持っていくことにした。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、ロンドン五輪の予選の敗戦を振り返って
15「だったら、プロに行ってチャンピオンになるほうが自分自身の心が燃え続けられる。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、プロへ進むと決めた時を振り返って
16「僕のボクシングはお父さんの理論が7割、僕の感覚が3割で成り立っている」
— 2022年までに語っていた、父との関係を表す言葉
17「お父さんの背中を見て追いかけながらやってきたので、誰かと言われればお父さん」
— 2022年の記事で、憧れのボクサーを聞かれて
18「憧れの選手はいません。誰かに憧れてボクシングを始めたわけではなく、ただ強くなりたい気持ちだけで始めたのがボクシング。父がボクシングをやっていたその延長線上でやった。」
— 2024年9月、大橋ジムのキッズ体験イベントの質疑で
19「ボクシングを教えてもらうにあたって、こうしないでおこうという姿は一つもない。本当に尊敬でしかない。」
— 2024年9月、同じイベントで、父について
20「いまの小中学生にアドバイスするなら、楽しくやることがまずは一番ですね。だって続かなかったら意味がないですから。」
— 2019年1月のインタビューで、小中学生へのアドバイスを聞かれて
プロデビューから2階級制覇までの名言
デビューした頃から、勝っても課題を口にする選手でした。世界王者になった後の防衛戦で「0点」と言い切り、拳の手術で1年離れた時期には、舞台に立てない怖さも語っています。
21「倒せたのは満足だけど、ガードが甘くなってパンチをもらったり、ダメなとこだらけだった。明日からでも課題を克服して次の試合の準備をしたい」
— 2012年10月、プロデビュー戦に4回TKOで勝った後
22「辰吉さん以来23年ぶりのタイ記録ということで気合いが入っている。記録は意識していなかったが、戦う以上は記録を作りたい」
— 2013年6月、辰吉丈一郎に並ぶプロ4戦目での日本王座挑戦を発表した会見で
23「今年の目標と聞かれたら世界しかありません。4団体どこでもいい。決まれば獲りに行きたい」
— 2014年1月、座間市の成人式で代表を務めた後
24「苦しい場面もあったが、打ち合いは楽しかった」
— 2014年4月、アドリアン・エルナンデスに6回TKOで勝ち、初めて世界王者になった後
25「情けない試合をして申し訳ない。相手がタフだった。正直L・フライ級に仕上げるのが精いっぱいで、リングの中では0点。」
— 2014年9月、ライトフライ級の初防衛戦に11回TKOで勝った直後
26「強いチャンピオンとやりたいのでぜひやらせてほしい」
— 2014年11月、ナルバエスへの挑戦を打診された時の答え
27「今回はつまらない試合になっても構わないと思っている。勝ちに徹したボクシングをしたい」
— 2014年12月、ナルバエス戦の11日前に
28「減量から解放されて本来の力が出た。試合前はプレッシャーで押しつぶされそうにもなったけど、若さと勢いで乗り切った。これからはだれの挑戦でも受けたい」
— 2014年12月、ナルバエスに2回KOで勝ち、ファンへのあいさつで
29「アスリートは大きな試合の舞台に出なければ、世の中から忘れ去られてしまう。そんな気がして、嫌だったんです。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで、右拳の手術を決めた時を振り返って
30「これが今日のぼくの実力。こんなんじゃビッグマッチとか言ってられない。どんどん練習するのみです」
— 2016年9月、3度目の防衛戦に10回KOで勝った後
31「勝って当たり前と思われる試合ほど怖いものはない」
— 2017年5月、5度目の防衛戦の前に
プロ4戦目での日本王座の記録を持っていた辰吉丈一郎さんは、井上尚弥が著書でも天才の例に挙げた人です。辰吉さんの言葉は辰吉丈一郎の名言で読めます。
バンタム級とWBSSの名言
「試されたいんじゃなくて、試したいんです」と話してバンタム級に上げ、階級の最強を決める WBSS に挑んだ時期です。70秒で終わったパヤノ戦のあとに語ったゾーンの話も、右目の周りの骨を折られたドネア戦のあとに明かした本音も、この時期のものです。
32「バンタム級で具志堅さんのV13を目指す」
— 2018年3月、バンタム級の王者マクドネルに挑むと発表した会見で
33「試されたいんじゃなくて、試したいんです。自分の能力を試してみたいんです」
— 2018年、マクドネル戦の前のインタビューで
34「正直、記録はどうでもいいんです。…そんなことより、強い相手とやりたい。自分の底がどんなものか、接戦になったときに、どんな新しい自分が出てくるのか。それが知りたい。」
— 2018年、同じインタビューで
35「詳しい人なら『勝って当たり前』と思っている。それではあまり面白くないでしょう」
— 2018年、同じインタビューで、試合の後に喜ばない理由を話す中で
36「今日はめちゃめちゃ硬かったです。ぶんまわしちゃいました」
— 2018年5月、マクドネルを1回1分52秒TKOで倒した後
37「内側から打ち抜くジャブ。これで右ストレートに繋げる距離タイミングが完全一致!! この瞬間はスローに感じるほどゾーンに入っていた…。過去(オマール・)ナルバエス戦でしかなかったゾーンが再び…」
— 2018年10月、WBSS の1回戦でパヤノを70秒で倒した後、本人の Instagram で
38「倒す直前に、何かが降りてきたんですよ」
— 2018年11月、テレビ番組で、同じパヤノ戦について
39「ノニトはすごくキャリアもあって、すごく強い選手なので、またこれからどう戦うか練っていきたい。僕のあこがれていた選手でもあるので、このファイナルで戦えることをすごく光栄に思います」
— 2019年5月、ロドリゲス戦の勝利者インタビューで、リングに上がったドネアを前に
40「正直、2ラウンドからドネアが2人に見えました。その中で最終ラウンドまでいったことを最大のキャリアとして誇り、また来年から精進したい」
— 2019年11月、WBSS決勝のドネア戦の後、リングの上で
41「皆さんの期待するようなファイト、正直できなかった。これがボクシングです。そして今の実力です。また応援よろしくお願いします」
— 2019年11月、ドネア戦の後のリング上インタビューの締めくくり
42「ドネアとドネアの陣営に、自分がよく見えていないことを悟られないようにするのが一番大変だった」
— 2019年11月、テレビ番組で、ドネア戦を振り返って
V13は、具志堅用高さんが作った世界王座13度の連続防衛の記録です。具志堅さんの言葉は具志堅用高の名言で読めます。
強さと準備を語った名言
井上尚弥の練習を支えているのは、いいイメージではなく最悪のイメージを描き、不安を消すために努力するという考え方です。「100%の準備」の言葉も、同じ考え方を2019年の連載インタビューで語ったものです。
43「自分にとって強さとは、『強い相手と闘って、勝ち続けること』。シンプルですが、それだけです。」
— 2019年、ワークポートの連載インタビューで
44「ただ、負けることを恐れていると、本当に強くはなれないと思うんです。」
— 2019年、同じ連載で
45「ただ、100%の自信はありません。だからこそ、最悪のイメージをするし、全力で練習するわけです。100%の準備をして負けたなら、それは相手が強いだけですから、仕方がない。」
— 2019年、同じ連載で
46「一番嫌なのは、もっとやっておけばよかったと後悔することですね。やり残しのないように精一杯取り組むだけです。」
— 2019年、同じ連載で
47「イメトレはしますけど、『いいイメージ』はしないんです。むしろ、『最悪なイメージ』ばかりして臨みます。」
— 2019年、同じ連載で
48「それと相手を過大評価してむちゃくちゃ強いイメージで行くんです。そうすると、実際リングで向き合った時に『この程度か』って気が楽になるんです。」
— 2019年、同じ連載で
49「だって落ち込んでいる暇があったら、練習しろって話ですからね。」
— 2019年、同じ連載で
50「誰よりも練習を積んできた自信があるから、大きく見せる必要もないし、そのまま出ていけばいいわけです。」
— 2019年、同じ連載で
51「クールであることが一番のボクシングの美しさ」
— 2019年、同じ連載で
52「プロボクサーとして残りあと10年。終わった時に振り返って、『必死に頑張ってきてよかった』と思えたら、本望です。」
— 2019年、同じ連載の中で、35歳までは現役を続けると話した流れで
53「人は3分間も絶対に集中できませんから。自分も無理です」
— 2019年1月のインタビューで、マクドネル戦とパヤノ戦を振り返って
54「つねに不安と向き合っていますよ。その不安があるからこそ、120パーセントに仕上げる作業ができる。まだまだ自分に満足していないし、満足した時点で終わってしまう。だから、つねに不安を持ちながら、その不安を消すために努力をしているんです。」
— 2022年、ミズノ公式のスペシャルインタビューで
55「自分は期待とかプレッシャーを、力に変えることができる性格だと思っています。…プロとしてやっている以上は、期待どおりではダメだと感じているし、みんなが予想も想像もしていなかった勝ち方が大事なのかな、と思っています」
— 2022年、同じインタビューで
56「スイッチを切り替える瞬間は、自分のなかでは決めていません。ジムに行くなりすれば、自然とスイッチが入ります。ルーティーンなども決めていなくて、大事にしているのは“直感力”です」
— 2022年、同じインタビューで
57「現役を引退するときに、すべてが分かるのかな。まだまだ成長できるところも見えるし、いまがピークだとは思っていません。」
— 2022年、同じインタビューで、今の自分の評価を聞かれて
著書『勝ちスイッチ』の名言
井上尚弥の本『勝ちスイッチ』で、本人は自分を天才ではないと言い切ります。1回が終わった後のインターバルが大嫌いだという告白や、モンスターの呼び名が嫌だったという話、35歳を区切りに決めた理由も、この本に書かれています。
58「他人に興味がない。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
59「僕には天才と呼ばれるほどのセンスがないことを、当時から自覚していた。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
60「自分が考える天才の定義とは『何もしていないのにできる人。努力しないで才能をリング上で発揮できる人』。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
61「僕の感覚からすれば、1万時間で天才になれるのならば楽なもの。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、1万時間の練習で天才になれるという、父がよく話す法則について
62「質の高い練習を毎日、1万時間以上、積み重ね、結果が出たときに、やっと天才の『て』くらいに言われるようになるのかもしれない。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
63「ガード、ステップワーク、カウンター。今までできなかったものが、一つできるようになれば、それが喜びに変わり、次へのモチベーションに変わり成長の2文字となる。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
64「継続は力なり、というが、時には、継続することで持っている力以上の何かを発揮することがあるのだ。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、ゾーンの体験について
65「無謀と勇気は違うのだ。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
66「記録だけがボクサーの評価ではない。ファンが見ているのはパフォーマンス。記録より記憶。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、ナルバエス戦を選んだ話の中で
67「実は、僕は1ラウンドが終わった後の最初の1分間のインターバルが大嫌いだ。ある種の恐怖感に襲われる。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
68「だが、いつか〝井上レーダー〟の照射が外れることがあるかもしれない。そう思っているからこそ努力に終わりなどないのである。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、リングの上で相手の力を五感で探る感覚を「井上レーダー」と呼んで
69「正直に言えば、『井上尚弥だけでよくない?』と思っていたし嫌だった。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、大橋会長に付けてもらったモンスターの呼び名について
70「天才ではなく世界中の人々に井上尚弥イコール『モンスター』と同義語で語られるボクサーでありたい。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
71「なぜ35歳か? 37歳、38歳では中途半端。キリのいいところで35歳に決めた。なにごとも感性、気分で決める僕らしい区切りの設定だ。」
— 著書『勝ちスイッチ』で、引退の区切りについて
72「引退はボクサーとしてのゴールだが、人生のゴールではない。」
— 著書『勝ちスイッチ』で
ラスベガスとドネア再戦、4団体統一の名言
2020年のラスベガスの試合を、本人はキャリアの第2章の出発と呼びました。その後はドネアとの再戦を2回TKOで制し、相手を挑発してでも倒しにいったバトラー戦でバンタム級の4団体を統一します。4本のベルトを返して上の階級へ進む時も、執着はないと話しました。
73「プロデビューして8年がたって、ゴールまであと8年と考えると折り返し地点。ここが区切りの第2章ととらえてもいい。第2章の出発がラスベガス、そこは気合いを入れていい試合をします」
— 2020年9月、モロニー戦のオンライン発表会見で
74「僕はまだ自分のボクシングにもキャリアにも満足していないから、もっとよくなる余地がある。自信を持ちすぎないように気をつけている。無理にそう考えているわけではなく、本当にそう思っている」
“I am not yet satisfied with my boxing and career, so I still have room to be better. I’m cautious not to get overconfident. And it’s not like I’m forcing myself to think that way — I really do think that way.”
— 2020年10月、ESPN の英語のインタビュー記事で
75「結果的に8回かかったのは何も思っていないです。時には期待を超えない勝ち方をすることを覚えておいてください(笑)」
— 2021年12月、ディパエンに8回TKOで勝った後の会見で
76「再戦が決まった時、前回決勝を鮮明に思い出しました。昨日のように思い出せる。次は13ラウンド目だと覚悟しています」
— 2022年3月、2019年に12回まで戦ったドネアとの再戦を発表した時に
77「まずは1ラウンド目は絶対に取らないといけないと思っていた。左フックを貰った瞬間、それ以上のインパクトを残さないとこのラウンドを取れないと思った。最後の10秒でエンジンをかけて、それで当たった。2ラウンド目は父にも『行かない』と伝えた。1ラウンドの終了間際のダウンでどれだけダメージが残っているかわからない。父に『行かない』と伝えたけど、性格上は自分を抑えるために言った。けど、行きましたね(笑)」
— 2022年6月、ドネアとの再戦に2回TKOで勝った後
78「プロボクサーとして到着点、最終地点は35歳まで。そこまでの道のり、理想は無敗でゴール。ボクシングはそんなに甘くない。まして階級を上げていけばぶち当たることも出てくる。このボクシングをやって良かったな、と35歳まで思えれば満足できるのかなと思います」
— 2022年6月、今後のボクシング人生の理想を聞かれて
79「誘い出すという意味もあるんですけど、倒されなければいいのかとちょっと思った部分もあるので。何しに日本に来てるんだと。倒しにきたんじゃないのかと。」
— 2022年12月、バンタム級の4団体統一戦でバトラーを倒した後の一問一答で、相手への挑発について
80「ベルトは自分にとっては宝物ですが、ベルトに執着することなく次に進みたいと思いこの時期にしました」
— 2023年1月、バンタム級の4本のベルトを返上した会見で
スーパーバンタム級に上げた2023年の名言
階級を上げて最初に戦った相手は、2団体の王者フルトンでした。「過去イチ」と気合いを語って臨み、試合の後は一睡もできなかったと明かします。同じ年に2階級での4団体統一を果たしても、「70点です」と伸びしろを口にしました。
81「みんなさ、デビューしたばかりの天心と俺を比べるのは流石に可哀想だからやめーや。。」
— 2023年4月、本人のツイッターで
82「素材は一流だからいつか戦える日が来るまで楽しみにしておる そして俺も絶対に負けられない、、」
— 2023年4月、同じ投稿で
83「過去イチ、気合が入っている。これまで3回挑戦しているが、それ以上」
— 2023年7月、フルトン戦の前の公開練習で
84「気持ちいい最高の日になりました。階級の壁は感じず戦うことができた。全然、スーパーバンタム級でやれるなと思いました」
— 2023年7月、フルトンに8回TKOで勝った後の記者会見で
85「この試合に向けて凄くモチベーションが高かった。転向して2団体王者と試合ができたのは大きい。この試合が組めたことに感謝したい。試合中は楽しかったですよ。技術戦で凄く頭を使ったし、楽しく戦っていました」
— 2023年7月、同じ試合の後の会見で、楽しそうに戦っていたことを聞かれて
86「一睡もしていない。試合後は初めてじゃないか。それだけこの試合への想いが大きかった」
— 2023年7月、フルトン戦の一夜明け会見で
87「階級の壁とか苦戦とか言われてますけど、この内容で言われたらどうしたら良いんです?(笑) タパレスも世界王者ですよ。それだけ自分に期待値があったり、皆さんの感情があるのは凄く嬉しいことなんですけど、これで言われたらやりづらいですよ! 1、2発パンチをもらったら『苦戦してる』とか、漫画じゃないんだから(笑)。」
— 2023年12月、タパレス戦の一夜明け会見で
88「70点です。まだ30点分の伸びしろがある」
— 2023年12月、同じ会見で、ボクサーとしての完成度を聞かれて
89「僕がボクシングをする理由はお金ではない。最高の自分を見せるためにやっている」
“The reason I box is not for the money; I do this to show my best self.”
— 2024年、タパレス戦の後のリング誌の英語のインタビュー記事で、お金のために階級を上げることはないと話す中で
2023年の投稿で名前を出した那須川天心さんは、のちに井上尚弥の弟、拓真と戦うことになります。天心さんの言葉は那須川天心の名言で読めます。
東京ドームのネリ戦とダウンの名言
2024年5月の東京ドームで、井上尚弥はプロで初めてリングに倒れました。そこから6回TKOで逆転した本人は、悔しかったのではなく楽しかったと振り返ります。試合の前の「日本に来ればいい」という投稿や、ダウンの映像に苦笑いして話した言葉も、この年のものです。
90「アメリカに来て試合をしろと言うコメントに????? 今や軽量級の本場はここ日本にある。 試合が見たいのなら日本に来ればいい。 日本のマーケット以上の物がアメリカにあるのなら喜んで行く。 それだけの価値がここ日本にはある。」
91「みなさん1ラウンド目のサプライズ、たまにはいかがでしょうか」
— 2024年5月、ネリ戦の後の東京ドームのリング上で
92「若い選手たちにとって自分がラスボスでありたい」
— 2024年5月、同じリング上で
93「自分が負けたら日本人がなめられる。負けられない戦い」
— 2024年5月、同じリング上で
94「出だし、ちょっと気負っていた部分あったと思うので、ダウンして冷静に立て直すことができた。あのダウンがあったからこそ、あの戦い方ができたのかな」
— 2024年5月、ネリ戦の後の会見で
95「東京ドームでの試合で、ダウン後に悔しいとかどうとかではなく、その出来事自体が自分をハイテンションにした。楽しかった」
— 2024年5月、ネリ戦の一夜明け会見で
96「ダウンシーンをツイッター(X)で切り取って流すのやめてほしいですよね!Xを開くたびに流れてくる…勘弁してほしいですよね、ダウンの仕方もダサいし」
— 2024年5月、同じ会見で
97「あれがあったからボクシングへの向き合い方も変わった」
— 2024年9月、TJ・ドヘニーとの防衛戦に勝った後、ネリ戦のダウンについて
衰えの声に答えた2025年の名言
1年に4試合を戦った2025年、2度目のダウンで衰えただのピークを過ぎただのと言われるようになりました。本人は「本気を出させていただきます」と宣言し、次の試合に判定で勝つと「誰が衰えたって?」と返します。本人はボクシングが好きだとも、繰り返し話しています。
99「みなさん、きょうの試合を見ていただければ、僕が殴り合いが好きだということは証明できたと思います。すごく楽しかったです」
— 2025年5月、カルデナスに8回TKOで勝った後のラスベガスのリングで
100「ダウンを期待されても困りますけど、このダウンというものが、自分に火をつけるというか、やっぱりファイターなんだなと思いました」
— 2025年5月、同じ試合の後
101「人間ですから、衰えは避けられないもの。だからこそ準備をし、自分自身を知ることが大切だと考えています」
— 2025年5月、リング誌の取材で
102「あの一発は確かにもらいました。ですがあの試合が終わるまでほぼほぼ一発もパンチをもらってないので、自分の過信、油断から生まれるシーンだと思うので、『9月14日の井上尚弥は少し違うぞ』と。本気を出させていただきます」
— 2025年7月、アフマダリエフ戦の発表会見で
103「アウトボクシングもいけるでしょう?誰が衰えたって?」
— 2025年9月、アフマダリエフに判定で勝った後のリングで
104「数発ちょっと被弾するシーンがあったり、30戦やってきて2度のダウンがあり、それだけで衰えただの、ピーク過ぎただの、そんなことを言われ放題なので」
— 2025年9月、同じ試合の一夜明けに
105「たぶん、あの中で一番楽しんでいたのは僕だと思うし、ということは、見ている人も楽しめたんじゃないかと率直に思う」
— 2025年9月、同じ試合の一夜明けに
106「強くなれるかどうかは分からないですけど、強くなる方向に向かっていく。そういう気持ちが大事だから。プライドですよね。ここまで来たら。“井上尚弥”っていう名前と、プロボクシングで高めてきたプライドですよね。次の試合だけではなくて、これから先引退するまで自分自身のプライドのために戦います」
— 2025年9月、動画配信の Lemino のインタビューで
107「戦うことが好きなので、間隔を空けないことで常に張りつめたこの空気が非常に心地いい。年4試合というのは自分にとって苦ではなく、成長できた一年だったと思います」
— 2025年12月、Lemino のインタビューで
108「僕にはできるんです、ボクシングが好きだから。練習も好きだし、戦うのも好きなんです」
“I can do it because I love boxing. I love training, and I love fighting.”
— 2025年12月、リング誌の英語のインタビュー記事で
109「気絶します」
— 2025年12月、サウジアラビアのリヤドでアラン・ピカソに勝った後のリングで、正月の過ごし方を聞かれて
中谷潤人戦の名言
2026年5月2日の東京ドームは、無敗どうしの日本人対決になりました。発表の会見で「格の違いを見せて勝つ」と言い切り、試合の前には「人生懸けて挑んでいく」と語りました。判定で勝った後は、8回に笑顔を交わした時のことを「その領域でやっている人にしか分からない楽しさ」と表現しています。
110「少なからずファンからそういった声が出ているのであればそこは証明したい。自分が積み上げてきたキャリアを見たときに(その意見が出ることは)舐められているんじゃないか。やってきたことは違うよ、と。5月2日は格の違いを見せて勝つ」
— 2026年3月、中谷戦の発表会見で
111「今回、守る気持ちは一切ありません。中谷潤人を倒すために5月2日、全力でぶつかります」
— 2026年3月、同じ会見で
112「キャリア最大の大一番が待っている。そこに向けて人生懸けて挑んでいく。勝ちにこだわる。それだけ」
— 2026年4月、本人の TikTok で
113「減量を苦に感じないほどの、試合に対する楽しみ、気持ちが強かった。減量すらも楽しめた」
— 2026年5月、前日計量で
114「その伝説は井上尚弥だったと、言わせるような日にしたい」
— 2026年5月、前日計量で、大会の題名「THE DAY やがて、伝説と呼ばれる日」を受けて
115「今日は体力というか、やっぱり脳のスタミナがすごく、今日は削られたなと。」
— 2026年5月2日、中谷戦の後に
116「必ずまたスーパーバンタムでチャンピオンになる選手だなというのは、今日戦って感じました」
— 2026年5月2日、同じ試合の後に、中谷について
117「僕のボクシング人生というのは今日がゴールではないので、まだまだ伝説を作っていけるんじゃないかなとも思っている。今日以上の伝説を今後作っていけたらいいなと思います」
— 2026年5月2日、中谷戦の後に
118「THE DAY やがて、伝説と呼ばれる日。 皆んなの応援が力になりました 今日はチームの勝利です そして中谷くんありがとう! 強かった! まだまだ強くなって戻って来ます。 またいつかの東京ドームで しばらくいっぱい休みます おやすみ!!」
119「試合が1番の生きがい。『苦』ではなかったです。」
— 2026年5月、中谷戦の後の手記で
120「このまま、たたきのめそう、という気持ちが100%ではなかった。初めての、複雑な感情だった」
— 2026年5月3日、中谷戦の一夜明け会見で、11回の右アッパーの後の思いを聞かれて
121「お互いが高い技術を持って、オフェンス、ディフェンス。ディフェンスからのオフェンス、それでも当たらない。そこにあのほほ笑みがあったと思う。その領域でやっている人にしか分からない楽しさが詰まってましたね」
— 2026年5月、報道ステーションの独占取材で、8回に交わした笑顔について
中谷戦の後、フェザー級と引退を語った名言
中谷戦に勝った後の井上尚弥は、次の相手と現役の終わりを少しずつ口にするようになりました。かつて35歳と決めた区切りについて、今は年齢より気持ちだと話を変え、衰えが見えたら止めてほしいと父と大橋会長に自分から伝えたことも明かしています。
122「今は年齢ではなくて、自分の気持ち。」
— 2026年5月、テレビ番組で、35歳で引退と話した6年前の映像を見た後で
123「妥協する気持ちが入ってきてしまったら、35になってなくても辞めると思います」
— 2026年5月、同じ番組で
124「今後も負けることは1ミリも考えていないです。無敗のまま引退というのが理想という気持ちが強いです。」
— 2026年5月、中谷戦の後の手記で
125「対戦相手に関しても、まだ白紙状態。自分が熱い気持ちになれる選手と戦いたい。あと2年は(実力が)伸びるんじゃないか。まだまだ伝説は続けていきたい。終わった時に『とんでもないことをしたんだな』というものを作れればいい」
— 2026年5月、報道ステーションの独占取材で
126「拓真の成長は物凄い 自信を持つと人間これだけ変われるのかってことを証明してくれてる」
— 2026年7月、本人の X で、弟の井上拓真について
127「プロボクサーという職業ができるのもあと数年になってきているので、小学校1年生から始めたボクシングを辞めるときに、『ボクシングをやってきて良かったな』と思える引退のときというのを目標にこれから頑張ります」
— 2026年7月、座間でのイベントで、子どもたちの質問に答えて
128「まだ力があるうちに、いい状態のうちに引退したい」
“I want to retire while I’m still good, while I’m still in a good place”
— 2026年8月、リング誌の英語のインタビュー記事で
129「実は、僕が父に言ったんです。父と大橋秀行会長には、衰えが見えたら止めてほしいと伝えています」
“Actually, I’m the one who told him that. I’ve told my father and Hideyuki Ohashi, the chairman, that if they see signs of decline, they should stop me.”
— 2026年8月、同じ記事で、衰えが見えたら引退を勧めるという父の話について聞かれて
130「バムをダラダラ待つ気はないからフェザー級に行く準備も始めるよ👆🏼」
— 2026年10月13日、本人の X 投稿で、バムと呼ばれる王者ジェシー・ロドリゲスについて
131「フェザー級はいずれ確実に挑戦して、キャリア後半にしっかりとフェザー級を主戦場としてやっていきたいと思う。フェザー級挑戦はみなさんと一緒に挑戦したいと思っている。」
— 2026年10月、THE DAY 展の取材で
132「トップレベル。身長、リーチ、サウスポー、懐の深さ、過去33戦のうちトップレベルでした」
— 2026年10月、同じ取材で、中谷戦を半年後に振り返って
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