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宮本武蔵の名言50選!五輪書・独行道の言葉と二刀流の一節を現代語訳で解説

宮本武蔵の名言50選!五輪書・独行道の言葉と二刀流の一節を現代語訳で解説

「我、事において後悔をせず」は、宮本武蔵が亡くなる7日前の日付が入った『独行道』の一か条です。五輪書と独行道に残る宮本武蔵の名言50選を原文と現代語訳で読み、小説から広まった名言との違いも確かめてみてください。二刀流について書いた一節も。

2026.10.15 | スポーツ

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公式ライター
Activel編集部

「我、事において後悔をせず」「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」。宮本武蔵の名言として知られるこの2つは、本人が書いた『独行道』と『五輪書』の中にあります。一方、「われ以外みな我が師」のように、武蔵の言葉として広まっていながら、本人の書物には見当たらない言葉もあります。宮本武蔵の名言50選では、元の文に現代語訳が付き、どの書物のどこにある言葉かも分かります。

宮本武蔵のプロフィール

いま宮本武蔵の名言として読まれている言葉の多くは、60回以上の勝負に一度も負けなかった武蔵が、晩年を過ごした熊本で書き残したものです。若いころの勝負と晩年の暮らしを知っておくと、それぞれの言葉がどんな思いで書かれたのかが見えてきます。

基本プロフィール

宮本武蔵は、江戸時代の初めに活躍した剣術家(兵法家)です。左右の手に太刀と脇差を持つ「二天一流」を開き、晩年は熊本藩の細川家に招かれました。

項目 内容
名前 宮本武蔵
五輪書での名乗り 新免武蔵守藤原玄信
生まれ 1584年(天正12年)・島田美術館による
出身 播磨・美作など説が分かれる
亡くなった年 1645年(正保2年)・熊本
流派 二天一流
主な著作 五輪書・独行道・兵法三十五箇条

生まれた年は、島田美術館が1584年としている一方で、熊本大学の永青文庫研究センターの年表では「?」のままで、はっきりしていません。出身も、本人は五輪書の書き出しで「生国播磨の武士」と名乗っていますが、美作(今の岡山県美作市)の生まれとする説もあります。

武蔵が熊本に来たのは寛永17年(1640)、57歳のころです。藩主の細川忠利に三百石の客分として迎えられ、千葉城跡に住まいを与えられました。

13歳の初めての勝負から晩年の熊本までの歩み

若いころの勝負は、武蔵自身が五輪書の書き出しで振り返っています。初めての勝負は13歳の時で、相手は新当流の有馬喜兵衛でした。16歳で但馬国の秋山という兵法者を破り、21歳で京都に上ってからは名のある兵法者と次々に戦って、28〜29歳までの60回以上の勝負で一度も負けていません。

年・年齢 主な出来事
13歳 有馬喜兵衛に勝つ(初めての勝負)
1612年 巌流島の決闘(慶長17年・『二天記』による)
28〜29歳まで 60回以上の勝負に負けなし
1640年 熊本の細川家に招かれる
1643年 五輪書を書き始める
1645年 熊本で亡くなる

ただし、よく知られた巌流島の決闘は、五輪書には一言も出てきません。決闘の年は後の伝記によるもので、小倉に建てられた碑に刻まれた相手の名前も「岩流」だけです。「佐々木小次郎」という名前が出てくるのは、さらに後、亡くなってから100年以上たってからの伝記です。

30歳を過ぎた武蔵は、勝ってきたのは兵法を極めたからではなかったと振り返ります。そこから朝に夕に鍛錬を続け(朝鍛夕錬)、50歳のころに兵法の道にかなったと書きました。熊本に移ってからは兵法三十五箇条を著し、1643年からは五輪書をまとめて、1645年(正保2年)5月に熊本で亡くなっています。

五輪書と独行道はどんな書物か

宮本武蔵の五輪書と独行道は、どちらも武蔵が熊本で過ごした最後の数年に書かれました。五輪書は兵法の考え方と技を5つの巻にまとめた書物で、独行道は自分の生き方を21か条に書いた短い書です。

武蔵が五輪書を書き始めたのは、寛永20年(1643)10月10日、60歳の時です。書き出しに「肥後の地岩戸山に上り」とあるように、筆を執ったのは熊本市の西の岩戸山で、山の中の洞窟・霊巌洞で書いたと伝わっています。

巻 書かれていること
地の巻 兵法の道のあらまし
水の巻 心の持ち方と剣の技
火の巻 戦い方・駆け引き
風の巻 ほかの流派との違い
空の巻 兵法の行き着く所

五輪書は武蔵が書いた原本が残っておらず、今読めるのは弟子の寺尾孫之丞らが書き写した写本です。そのうち寺尾孫之丞が慶安4年(1651)に写した「風の巻」は、熊本の島田美術館が持っています。

一方の独行道は、武蔵が自分で書いたものがそのまま残り、熊本県の重要文化財として熊本県立美術館に収められています。末尾にある正保2年5月12日の日付と弟子の寺尾孫之丞の名前は、亡くなる7日前のものです。ただ、熊本県の文化財の解説は、この日付から後の部分は墨の色が違い、後で書き入れたと考えるほうが自然だとしています。

座右の銘

宮本武蔵が「座右の銘は〜」と自分で語った記録は見つかりませんでした。武蔵の座右の銘としてよく挙げられるのは、独行道の第6条「我事において後悔をせず」です。

剣道の世界でも、この言葉を自分の座右の銘にしている人がいます。全日本剣道連盟のサイトに寄稿した剣道家は、「私の座右の銘は『我、事において後悔せず』です」と書いて、この言葉を独行道の一か条として挙げています。

宮本武蔵の名言50選

武蔵の言葉の多くは、兵法の書の五輪書と、生き方の心得を書いた独行道に残っています。宮本武蔵の名言50選はこの2つを中心に、伝記と小説に残る言葉も加えたもので、本人の書物の名言は1行目が元の文、2行目が今の言葉にした訳です。格言や語録、名言集として出回っている形と、元の文が少し違う言葉もあります。五輪書の二刀について書いた3つの一節は、後の二刀流の見出しの下にあります。

五輪書の名言20選

宮本武蔵の名言を五輪書の5つの巻(地・水・火・風・空)ごとにまとめた画像

剣道の稽古で今も使われる「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と「観の目」は、どちらも五輪書の水の巻の一文です。「構えあって構えなし」として知られる教えや、朝鍛夕錬という四字熟語のもとになった一文も含めて、地・水・火・風・空の巻の順に載せています。

01「兵法の利にまかせて、諸芸諸能の道となせば、万事において、我に師匠なし」

兵法の道理に沿って、さまざまな芸や技能に当てはめていけば、どんなことにも私には師匠がいない

— 『五輪書』地の巻・書き出し(1643年)

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書かれた時期: 1643年(寛永20年)10月に書き始めた五輪書の書き出し

書かれている場面: 13歳からの勝負と、50歳のころに兵法の道にかなったことを振り返った後に続く一文です。武蔵はこの後、「この書を作るにあたって、仏の教えや儒学の古い言葉も、昔の軍記や兵法書の言葉も借りない」と書いています。

02「なおもふかき道理を得んと、朝鍛夕錬してみれば、おのずから兵法の道にあうこと、我五十歳の比也」

さらに深い道理を得ようと、朝に晩に鍛錬してみると、自然と兵法の道にかなうようになった。私が50歳のころである

— 『五輪書』地の巻・書き出し(1643年)

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書かれた時期: 1643年(寛永20年)、武蔵が60歳の時に書いた書き出し

書かれている場面: 13歳から28〜29歳までの60回以上の勝負で負けなかった武蔵は、30歳を過ぎて振り返り、勝てたのは兵法を極めたからではなかったと書きます。そのうえで続けたのがこの一文です。朝に鍛え夕べに錬る「朝鍛夕錬」という言葉は、ここに出てきます。ただし、写本によっては「朝鍛夕練」と書かれています。

03「死する道においては、武士ばかりにかぎらず、出家にても、女にても、百姓以下に至るまで、義理をしり、恥をおもい、死する所を思いきる事は、其差別なきもの也」

死を覚悟することについては、武士に限らず、僧でも、女性でも、農民などでも、義理を知り、恥を思い、死ぬべき時に思い切ることに違いはない

— 『五輪書』地の巻・序

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の地の巻

書かれている場面: この前には「おおかたの武士は、武士とはただ死ぬ覚悟をする道だと思っている程度だ」という一文があります。死ぬ覚悟については武士もほかの人も変わらないとしたうえで、武士が兵法を行う道は、何事においても人より優れることを基本とし、主君のため、自分のために名をあげることだと続けます。

04「水は方円のうつわものに随い、一てきとなり、さうかいとなる」

水は四角い器にも丸い器にも形を合わせ、一滴にもなり、大海にもなる

— 『五輪書』地の巻・五つの巻の説明

05「実の道をきわめざれば、少し心のゆがみに付て、後には大きにゆがむもの也」

本当の道を極めなければ、心が少しゆがむと、後には大きくゆがんでしまうものだ

— 『五輪書』地の巻・五つの巻の説明

06「あまりたる事は、たらぬと同じ事也。人まねをせずとも、我身に随い、武道具は手にあうようにあるべし」

多すぎることは、足りないのと同じだ。人のまねをしなくても、自分の体に合わせて、武具は手になじむものにするのがよい

— 『五輪書』地の巻・武具の利を知ること

07「役にたたぬ事をせざる事」

役に立たないことはしないこと

— 『五輪書』地の巻・兵法の道を行う心得9か条の第九

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の地の巻の終わり

書かれている場面: 兵法の道を行う人の心得として挙げた9か条の最後の条です。ほかの8つは「よこしまでないことを思う」「道を鍛練する」「いろいろな芸に触れる」「いろいろな職の道を知る」「物事の損得をわきまえる」「物の良し悪しを見分ける目を養う」「目に見えない所を悟って知る」「わずかなことにも気を付ける」です。

08「兵法の道において、心の持ようは、常の心に替る事なかれ」

兵法の道では、心の持ち方を、ふだんの心と変えてはいけない

— 『五輪書』水の巻・兵法の心の持ち方

09「大身も小身も、心を直にして、我身のひいきをせざるように、心をもつ事肝要也」

体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分の身をひいきしないように心を持つことが大切だ

— 『五輪書』水の巻・兵法の心の持ち方

10「常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事、肝要也」

ふだんの体の構えを兵法の構えとし、兵法の構えをふだんの体の構えとすることが大切だ

— 『五輪書』水の巻・兵法の身なり

11「観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也」

観の目を強く、見の目を弱くして、遠い所を近くのように、近い所を遠くのように見ることが、兵法で最も大切だ

— 『五輪書』水の巻・兵法の目付

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の水の巻

書かれている場面: 「兵法の目付と云事」という項目の一文です。項目は「目の付け方は、大きく広く付ける目である」と始まり、この後に「敵の太刀の動きを知りながら、少しも敵の太刀を見ないことが兵法で大事だ」と続きます。また、武蔵は熊本で著した兵法三十五箇条でも、「観の目つよく、見の目よはく見るべし」と同じことを書いています。

12「構はありて構はなき」

構えはあって、構えはない

— 『五輪書』水の巻・有構無構の教え

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の水の巻

書かれている場面: 「有構無構」(構えありて構えなし)の教えの一文です。武蔵は「太刀を構えるということは、本来あるべきことではない」と書き、太刀を置く5つの方向はあるので構えにもなるが、どの構えも敵を切るためのものだと続けます。そのため「構えはあって構えはない」という道理だと結んでいます。

13「大かたは、身を先へ打、太刀を跡より打もの也」

たいていは、体を先に打ち込み、太刀は後から打つものだ

— 『五輪書』水の巻・太刀にかわる身

14「千里の道もひと足ずつはこぶなり」

千里の道も、ひと足ずつ進むものだ

— 『五輪書』水の巻・終わりの言葉

15「今日は昨日の我に勝ち、明日は下手に勝ち、後は上手に勝つと思い」

今日は昨日の自分に勝ち、明日は自分より下の者に勝ち、その後は自分より上の者に勝とうと思い

— 『五輪書』水の巻・終わりの言葉

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の水の巻

書かれている場面: 水の巻の終わりで、稽古の続け方を書いた部分です。武蔵は、急がずに稽古を続けることを武士の役目と心得て、今日は昨日の自分に勝つと思うように書き、この書物のとおりにして少しも脇道にそれないようにと続けています。写本の表記は「けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち」です。

16「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」

千日の稽古を「鍛」とし、万日の稽古を「錬」とする

— 『五輪書』水の巻・終わりの言葉

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の水の巻

書かれている場面: 水の巻の最後の一文で、この後に「よくよく吟味あるべきもの也(よく考えて身につけるべきである)」と続きます。直前の文は、剣術の力で兵法の道を身につけるようにという内容です。また、写本によって「錬」を「練」と書くものがあり、細川家に伝わった写本は「万日の稽古を練とす」です。

17「敵、山と思わば海としかけ、海と思わば山としかくる心、兵法の道也」

敵が山と思っていれば海のように、海と思っていれば山のように仕掛ける心が、兵法の道である

— 『五輪書』火の巻・山海の替わり

18「岩尾の身と云事、兵法を得道して、たちまち岩尾のごとくに成て、万事あたらざる所、うごかざる所」

「岩尾の身」とは、兵法の道を身につけて、たちまち大きな岩のようになり、何事にも打たれず、動かされないところである

— 『五輪書』火の巻・岩尾の身

19「我一流において、太刀に奥口なし、構に極りなし」

私の流派では、太刀の技に奥義も入り口もなく、構えに決まった形はない

— 『五輪書』風の巻・終わりの言葉

20「空を道とし、道を空とみる」

空を道とし、道を空と見る

— 『五輪書』空の巻

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書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の空の巻

書かれている場面: 五輪書の最後の巻、空の巻の結びの一文です。武蔵は、物事を分かっていないところを「空」と見るのは本当の空ではなく迷う心だと書きます。そのうえで、武士の道を正しく広く行い、大きな所を思い取って「空を道とし、道を空とみる」と結んでいます。

独行道の21か条

独行道は、武蔵が自分の生き方を21か条に書いた書です。1行目は熊本県立美術館の自筆の書の文に濁点と句読点を補い、読みやすい字に直したもので、その下が独行道の現代語訳です。「我事において後悔せず」「神仏を尊びて神仏を頼らず」「何れの道にも別れを悲しまず」のように、名言のサイトでは自筆の書と少し違う形で知られている条もあります。

21「世々の道をそむくことなし」

世の中で代々受け継がれてきた道にそむかない

— 『独行道』第1条(1645年)

22「身にたのしみをたくまず」

自分のために楽しみを企てない

— 『独行道』第2条(1645年)

23「よろずに依怙の心なし」

何事にも、えこひいきする心を持たない

— 『独行道』第3条(1645年)

24「身をあさく思い、世をふかく思う」

自分のことは軽く考え、世の中のことを深く考える

— 『独行道』第4条(1645年)

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書かれた時期: 1645年(正保2年)5月12日の日付がある独行道

書かれている場面: 自筆の書には21か条ありますが、武蔵が亡くなった後の伝記『二天記』や明治時代の本に載った独行道は19か条で、この第4条と第20条「身を捨てても名利は捨てず」がありません。また、名言のサイトでは「身を浅く思ひ、世を深く思ふ」の形でも紹介されています。

25「一生の間、欲心思わず」

一生の間、欲を持とうと思わない

— 『独行道』第5条(1645年)

26「我事において後悔をせず」

自分のしたことについて、後悔はしない

— 『独行道』第6条(1645年)

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書かれた時期: 1645年(正保2年)5月12日の日付がある独行道

書かれている場面: 独行道の中で最もよく知られた条で、「我、事において後悔せず」の形で座右の銘に挙げられることが多い言葉です。ただし、読み方は「わがことにおいて」と「われ、ことにおいて」の2通りがあり、前者なら「自分のしたことについて」、後者なら「私は何事においても」という意味になります。

27「善悪に他をねたむ心なし」

善いことにつけ悪いことにつけ、他人をねたむ心を持たない

— 『独行道』第7条(1645年)

28「いずれの道にも、わかれをかなしまず」

どんな道においても、別れを悲しまない

— 『独行道』第8条(1645年)

29「自他共にうらみかこつ心なし」

自分に対しても他人に対しても、恨んだり嘆いたりする心を持たない

— 『独行道』第9条(1645年)

30「恋慕の道、思いよる心なし」

恋い慕う道に、心を寄せない

— 『独行道』第10条(1645年)

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書かれた時期: 1645年(正保2年)5月12日の日付がある独行道

書かれている場面: 自筆の書の文は「れんほの道思ひよるこゝろなし」です。また、名言のサイトで見かける「恋慕の思いに、寄る心なし」は、自筆の書とも、伝記『二天記』の「れんぼの道思ひよる心なし」とも、明治時代の本の「戀慕の思なし」とも違う形です。

31「物ごとにすきこのむことなし」

何事にも、好みにこだわらない

— 『独行道』第11条(1645年)

32「私宅において望む心なし」

自分の住まいに、望みを持たない

— 『独行道』第12条(1645年)

33「身ひとつに美食をこのまず」

自分一人のために、ぜいたくな食事を好まない

— 『独行道』第13条(1645年)

34「末々代物なる古き道具を所持せず」

後々まで値打ちの残る古い道具を持たない

— 『独行道』第14条(1645年)

35「わが身にいたり物いみすることなし」

自分のことについて、縁起をかついで物事を避けることはしない

— 『独行道』第15条(1645年)

36「兵具は格別、余の道具たしなまず」

武具は別として、ほかの道具に凝らない

— 『独行道』第16条(1645年)

37「道においては死をいとわず思う」

兵法の道においては、死をいとわないと思う

— 『独行道』第17条(1645年)

38「老身に財宝所領もちゆる心なし」

年老いた身に、財宝や領地を持とうとする心はない

— 『独行道』第18条(1645年)

39「仏神は貴し、仏神をたのまず」

神や仏は尊いが、神や仏に頼ることはしない

— 『独行道』第19条(1645年)

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書かれた時期: 1645年(正保2年)5月12日の日付がある独行道

書かれている場面: 名言のサイトでは「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」の形で広く紹介されている条です。一方、自筆の書は「佛神は貴し佛神をたのます」で、「仏」が先、「我」はありません。明治42年(1909年)に出た本『宮本武蔵』の独行道は「神佛を尊み神佛を頼まず」と書いており、今よく見る形はこの書き方に近いものです。

40「身を捨てても名利は捨てず」

命を捨てることがあっても、名誉と利益は捨てない

— 『独行道』第20条(1645年)

41「常に兵法の道をはなれず」

いつも兵法の道から離れない

— 『独行道』第21条(1645年)

「小次郎敗れたり」など伝記に残る言葉

「小次郎敗れたり」「小次郎破れたり」の言葉は、巌流島の決闘の場面として知られています。ただし、武蔵が自分の書物に書いた言葉ではなく、亡くなってから100年以上後の伝記に書かれた一言です。

42「小次郎敗れたり」

小次郎、お前の負けだ。勝つつもりなら、なぜ鞘を捨てるのか

— 『武公伝』(『二天記』の凡例では1755年)に書かれた巌流島の決闘の場面

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書かれた時期: 後の『二天記』の凡例に宝暦5年(1755年)とある伝記『武公伝』

書かれている場面: 『武公伝』は武蔵の伝記で、『二天記』の凡例は豊田正脩の著としています。決闘の相手が刀を抜いて鞘を海に投げ捨てた時、武蔵が水の中に踏みとどまり、笑って「小次郎負タリ。勝バ何ゾ其鞘ヲ捨ン」と言ったと書かれています。のちの『二天記』(1776年)はこの伝記を書き直したもので、吉川英治の小説では「小次郎っ。負けたり!」というせりふになっています。つまり、「敗れたり」という形は、どちらにもありません。

小説などから広まった、本人のものではない言葉

吉川英治の小説『宮本武蔵』は、1935年から1939年まで朝日新聞に連載された作品です。宮本武蔵の名言として紹介される言葉には、この小説で武蔵が言うせりふも多く入っています。次の5つは、作中で武蔵が口にしたり心の中で思ったりした言葉で、吉川英治の宮本武蔵の名言としてよく紹介されるものです。ただし、小説の言葉なので、本人の言葉ではありません。

43「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」

— 吉川英治『宮本武蔵』空の巻・武蔵が弟子の伊織に

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書かれた時期: 1935〜1939年に連載された小説『宮本武蔵』の空の巻

書かれている場面: 江戸に入った武蔵が、隅田川の渡し場で伊織と話す場面です。伊織が「おらも大きくなったら、柳生様のようになろう」と言うと、武蔵は「そんな小さい望みを持つんじゃない」と答え、富士山を指してこの言葉を続けます。後には「世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる」とあります。

44「天地の万物を以て、また天下の先輩を以て、みなわが師と心得て勉強中の者でござります」

— 吉川英治『宮本武蔵』水の巻・奈良の宝蔵院で、師は誰かと聞かれて

45「あたたかい心で人のなかに住め。人のあたたかさは、自分の心があたたかでいなければ分る筈もない」

— 吉川英治『宮本武蔵』円明の巻・武蔵が伊織に

46「生きていること、それはすでに、世間の恩であった」

— 吉川英治『宮本武蔵』円明の巻・巌流島へ向かう日の武蔵の心の中

47「自力――以外に道はないのだ。…もう恃むまい」

— 吉川英治『宮本武蔵』円明の巻・武蔵の心の中

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書かれた時期: 1935〜1939年に連載された小説『宮本武蔵』の円明の巻

書かれている場面: 何十日も教えを乞い続けた禅僧の愚堂は、武蔵の周りの地面に棒で大きな円を描くと、「行こう」とだけ言って去っていきます。取り残された武蔵が、頼れる師がいると思ったことを悔やみ、自分の力で進むしかないと心に決める場面です。

宮本武蔵の名言として出回っている言葉には、小説の中のほかの人物のせりふや、まったく別の書物の言葉もあります。次の10の言葉は、武蔵が書いた五輪書と独行道には見当たりません。

言葉 本当の出どころ
われ以外みな我が師 吉川英治『新書太閤記』(秀吉についての文)
もっと弱くならにゃいかん 小説『宮本武蔵』の老僧・日観
真に生命を愛する者こそ、真の勇者である 小説の沢庵の言葉
怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気 小説の沢庵の言葉
楽しまずして何の人生ぞや 小説の真田幸村
波騒は世の常である 小説の結びの地の文
一芸万法に通ず 小説の松下舞之允
一理に達すれば万法に通ず 見つからない
武士は己を知る者のために死す 中国の歴史書『史記』
打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ 見つからない

「一理に達すれば万法に通ず」に近い言葉は、小説で松下舞之允が言う「一芸万法に通ず」です。また、「打ち込む態勢をつくるのが先で…」は、五輪書の水の巻の「身を先へ打、太刀を跡より打もの也」に中身が近い言葉ですが、この形の文は見つかりませんでした。

宮本武蔵のほかにも、格闘技や武道の名言は格闘技の名言100選で読めます。

二刀流と剣道に受け継がれる宮本武蔵の言葉

宮本武蔵の二刀流は、太刀と脇差の2本を使う剣術です。五輪書の名言の中には、2本の刀を持つ理由を書いた一節があり、剣道の稽古では「観の目」や「千日の稽古」の言葉が今も使われています。

二刀流について五輪書に書いた言葉と大谷翔平の二刀流

太刀と脇差の二刀を構える剣士のイメージ

宮本武蔵が自分の流派を「二刀」と名付けたのは、両手に1本ずつ持って稽古することで、太刀を片手で使えるように慣らすためでした。その理由は、五輪書の地の巻に武蔵自身の言葉で残っています。

48「此二つの利をしらしめんために、二刀一流と云なり」

この2本(太刀と脇差)の使い方の利を知らせるために、「二刀一流」と名付けた

— 『五輪書』地の巻・二刀と名付けること

49「一命を捨るときは、道具を残さず役に立てたきもの也」

命を捨てる時には、持っている道具を残さず役に立てたいものだ

— 『五輪書』地の巻・二刀と名付けること

この名言の背景を詳しく読む

書かれた時期: 1643〜1645年に書かれた五輪書の地の巻

書かれている場面: 武士は大将も兵も、太刀と脇差の2本を腰に差すのが務めだと書いた後に続く一文です。武蔵は「道具を役に立てず、腰に納めたまま死ぬのは本意ではない」と書き、馬に乗る時や走る時、沼や石の多い道、人ごみの中、左手に弓や槍を持つ時のために、太刀を片手で扱えるよう2本で稽古すると説明しています。

50「太刀一つ持ちたるよりも、二つ持ちてよき所、大勢を一人して戦う時、又、とり籠りものなどの時に、よき事有」

太刀を1本持つより2本持つほうがよいのは、一人で大勢と戦う時や、立てこもった者を相手にする時などだ

— 『五輪書』地の巻・二刀と名付けること

「二刀流」という言葉は、今では大谷翔平の投打の二刀流で知られています。2021年の新語・流行語大賞では「リアル二刀流/ショータイム」が年間大賞に選ばれ、選評ではベーブ・ルースを「元祖二刀流」と呼んでいます。一方で、大谷翔平本人や球団の公式の発信で、宮本武蔵に触れたものは見つかりませんでした。投打の二刀流は宮本武蔵の剣術とは別のものですが、同じ「二刀流」の言葉で語られています。

大谷翔平自身の言葉は、大谷翔平の名言100選で読めます。

剣道の稽古で使われる武蔵の言葉

武蔵の言葉は、剣道の名言としても受け継がれています。全日本剣道連盟のサイトに寄稿した剣道家は、「『観見二つの目付け』、『観の目強く、見の目弱く』はご存知だろうし、『観の目』で稽古されていると思う」と書いていて、五輪書の目付の言葉が、剣道をする人なら知っている言葉として今も稽古の中で生きていることが分かります。別の剣道家も、「千日の稽古を鍛となし、万日の稽古を錬となす」を剣豪宮本武蔵の言葉として挙げています。

宮本武蔵の名前は剣道の大会にも残っています。熊本市では、全国の小・中学生が出る剣聖「宮本武蔵」旗全国小・中学生剣道大会が開かれ、2025年4月に第26回を迎えました。

剣道をしている人には、部活の日々をまとめた剣道部あるある60選もあります。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「我、事において後悔をせず」はどこに書かれた言葉?

独行道の第6条です。自筆の書の文は「我事におゐて後悔をせす」で、「我事において後悔せず」の形でも知られています。末尾に1645年5月12日の日付があり、亡くなる7日前にあたります。

Q2. 「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」の出典は?

五輪書の水の巻の最後の一文です。ただし、写本によって表記が違い、細川家に伝わった写本では「千日の稽古を鍛とし万日の稽古を練とす」です。

Q3. 「小次郎敗れたり」は本当に武蔵が言った言葉?

武蔵の書物にはなく、亡くなってから100年以上後の伝記『武公伝』(『二天記』の凡例では1755年)に「小次郎負タリ」と書かれた言葉です。さらに、五輪書には巌流島の決闘そのものが出てきません。

Q4. 五輪書と独行道はどう違う?

五輪書は兵法の考え方と技を地・水・火・風・空の5巻にまとめた書物で、原本はなく写本が残ります。独行道は生き方を21か条に書いた短い書で、自筆の書が熊本県立美術館にあります。

Q5. 「神仏を尊びて神仏を頼らず」はどんな意味?

「神や仏は尊いが、神や仏に頼ることはしない」という意味の独行道の第19条です。自筆の書の文は「佛神は貴し佛神をたのます」で、「仏」が先に来ます。

Q6. 「われ以外みな我が師」は宮本武蔵の言葉?

武蔵の言葉ではありません。吉川英治の小説『新書太閤記』で、豊臣秀吉について書かれた文です。一方、小説『宮本武蔵』では、武蔵が「天地の万物を以て…みなわが師と心得て」と話しています。


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