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ソフトテニスの歴史とは?発祥国や起源・始まりはいつから?【軟式】

ソフトテニスの歴史とは?発祥国や起源・始まりはいつから?【軟式】

ソフトテニスの歴史は、130年以上前の日本で始まりました。ソフトテニスの発祥は、テニスの硬式ボールをゴムのボールで代用したことがきっかけです。ゴムボールを使ったソフトテニスは独自の歴史を歩むようになり、現在では硬式テニスとは別のスポーツとして発展し、海外でも人気があります。

2021.12.16 テニス

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ソフトテニス(軟式テニス)の歴史

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ソフトテニスの歴史は、明治時代の日本で始まりました。いまから130年以上前に、芝生の上で球を打ち合うローンテニスというスポーツが日本に伝来します。ローンテニスはイギリスやアメリカで人気がありましたが、当時の日本は西欧化が始まったばかり。テニスコートはなく、スポーツ用品も高級品で、洋服や靴も庶民にとっては高嶺の花でした。

ソフトテニスの起源

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ソフトテニスの起源は、テニスの硬式ボールをゴムボールで代用したことが始まりです。明治時代に日本でテニスが楽しまれるようになりましたが、当時のボールは消耗品にもかかわらず非常に高価で、輸入品のため手に入れるのが困難でした。
そのため、ゴムボールで代用することにしたのが、ソフトテニスの起源です。テニスの日本伝来に関しては諸説ありますが、本格的な指導が行われる前から真似をして遊ぶ人もいたようです。

ソフトテニスの語源

ソフトテニスの語源は、硬式ボールを使用するローンテニスに対して、フェルトでコーティングしていないやわらかいボールを使用することから考案されました。
ソフトテニスは発祥から100年以上のあいだ、軟式庭球と呼ばれていました。しかし平成4年に国際普及の観点から、正式名称がソフトテニスに変更されます。
国内では現在も、硬式テニスに対して軟式テニスという呼び名で親しまれています。

ソフトテニスの発祥地

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ソフトテニス発祥の地は、現在の東京都千代田区にあった体操伝習所(1878~1886年)と言われています。
明治政府が招聘した米国人医師のリーランド氏が、欧米的な体育学を日本人に合わせて体系立てる中で、テニスの指導を行いました。リーランドは1881年に帰国しますが、1884年(明治17年)ごろから、同校でゴム製のボールが使用されるようになります。これが軟式テニス、のちのソフトテニスの始まりです。

ソフトテニスの発祥国

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ソフトテニスの発祥国は日本です。日本が発祥という歴史はあまり知られていないようですが、ソフトテニス出身の日本人選手がオリンピックで硬式テニスのメダルを獲得したり、海外でナショナルチームのヘッドコーチをつとめるなど活躍しています。

ソフトテニスのルールや道具は独自の発展を遂げて、国際的に人気のあるスポーツになりました。現在は硬式ボールを使用するローンテニスとは別のスポーツとして普及しています。

ソフトテニスのルールの歴史

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ソフトテニスのルールは、最初はローンテニスと同じで、ボール以外に違いはありませんでした。初期には競技ではなく娯楽として親しまれていて、コートの外に出たボールも打ち返してラリーを楽しんだようです。

日本で試合が行われるようになり、ルールが制定されてから、得点の数え方や試合形式が確立します。硬式テニスとは違いダブルスが主流になり、ソフトテニス独自のルールが発展しました。

ルールの歴史

ソフトテニスのルールは、初期は硬式テニスのルールと同じでした。1885年に出版された「西洋戸外遊戯法」「戸外遊戯法」に日本の歴史で初めて、テニスルールの翻訳が記載されたと言われています。

1904年(明治37年)に東京高等師範学校など4校の代表が集まり、初めて日本独自のルールを制定しました。何度も改定されましたが、平成4年に大幅な改定が行われ、現在のルールが確立しています。

ソフトテニスのコートの歴史

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ソフトテニスのコートの歴史は、硬式テニスのコートに準じて変遷してきました。日本の本格的なテニスコートの発祥は、1878年に在留外国人のために作られた、横浜の山下公園のテニスコートだと言われています。

ソフトテニスコートは、コートの外に確保する面積や、砂入の人工芝が好まれる点などが硬式テニスと違います。現在では、縦23.77m横10.97mで、大きさも規格も硬式テニスのコートとほぼ同じです。

ソフトテニスのサーブの歴史

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ソフトテニスのサーブの歴史は、ボールの特性と試合形式を反映したものです。

・スピードが出にくい
・バウンドした球が伸びない
・軌道の変化が大きい

ゴムボールの特性から、パワープレイよりもネット際に落としたり、スピンをかけて変化球を活かすようになりました。サーブの種類も豊富です。
守備範囲が広い・雁行陣では前衛の選手を避けること、ダブルス特有の返球コースも予測してサーブをするようになりました。

ソフトテニスのラケットの歴史

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ソフトテニスのラケットの歴史は、ローンテニスの用具をそのまま使用していた時期と、軟式テニス用の用具が開発されて以降に分かれます。ボールがゴム製であることやダブルスが主流であることから、ソフトテニス専用のラケットが開発され、現在は兼用されることはなくなりました。

ソフトテニスのラケットの始まり

初期のソフトテニスでは、ラケットはローンテニスの用具を使用していました。当時のラケットは枠が木製で重たく、耐久性も現在のものとは比べ物にならなかったようです。腸を意味するガットにも、名前の通り動物の腸や筋が使われており、一本ずつ手張りで作成されていました。

ソフトテニスラケット改良の歴史

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ソフトテニスラケットは、素材と機能の両面で、改良の歴史があります。フレームには木製からアルミ、カーボンが使われるようになり、形状も試行錯誤されました。

ガットには天然素材に加えてナイロンやポリエステルが使われるようになり、ゲージの多様化、千本以上の糸をより合わせたマルチフィラメントなどの工夫もされます。機能面では使いやすさとともに、試合で勝つことを追求した開発もすすめられました。

現在のソフトテニスラケット

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現在のソフトテニスラケットは重さや大きさ、素材や形状がバリエーション豊富なのはもちろん、用途によっても選べるようになりました。

ソフトテニスラケットの特徴は、前衛用、後衛用、Wフォワード用とポジションによって適したラケットが違うことです。オールラウンダーや初心者向けのものもありますが、パワー重視、スピードやコントロールを重視したいなど、目的によっても選べるようになっています。

ヨネックスのソフトテニスラケットの歴史

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ヨネックスは1970年代にソフトテニス専用のラケットを発表し、開発したメーカーです。現在は日本ソフトテニス連盟公式のラケットを製造しており、ラケットやテニスウェア、テニス用品全般にわたり、国内海外ともに高い人気があります。

ヨネックスのソフトテニスラケットの始まり

ヨネックスが初めてソフトテニスラケットを製造したのは、1973年(昭和48年)です。最初は木製品の製造会社としてスタートし、事業不振のためバトミントンのラケットを製造していました。

ヨネックスは1969年に初めてアルミ製テニスラケットを発売し、テニス事業に参入します。ソフトテニスラケットの発売を経て、1974年には木製テニスラケットの製造を開始しました。

ヨネックスのソフトテニスラケット改良の歴史

1976年に木製ラケットをカーボンでラミネート加工したTS-7000カーボネックスが発売され、ベストセラー商品となりました。1978年にはカーボン製のカーボネックス25、26も発売されます。

アルミフレームのラケットもありましたが、1980年代に入ってもフレームは木製のものが主流でした。木製のラケットに宇宙工学から生まれたシリコンカーバイドをラミネートした、セピアロンなども開発されます。

現在のヨネックスソフトテニスラケット

現在のヨネックスの高価格帯のシリーズには、炭素の同素体であるフラーレンや、ゴムメタルというチタン合金が使われています。2019年に発売されたモデルには、新素材LPCファイバーが採用されました。

ヨネックスカスタムフィットと呼ばれているサイズ・形状・バランスポイントを自分で選んで注文できるサービスもあります。また、ヨネックス独自の製品として、シングルス用のラケットも発売されています。

ソフトテニスボールの歴史

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ソフトテニスのボールの歴史は、ローンテニスの硬式ボールをゴムのボールで代用したことが始まりです。輸入品のゴムボールが起源ですが、やがて国内での製造が始まり、大きさ、重さ、ボールの反発性も統一されました。現在は公式試合で使用できる公認級には厳密な規格が求められます。

ソフトテニスボールの始まり

ソフトテニスのボールの歴史は、1884年(明治17年)ごろに、ゴム製のボールを硬式ボールの代わりに使うようになったのが始まりです。ドイツ製のゴムボールの価格は、イギリスやアメリカから輸入する硬式ボールの1/5以下でした。

それでもごく上流階級の人しか手に入れられない高級品でしたが、日本ではゴム製品が普及しておらず生産工場もなかったため、輸入品に頼っていました。

ソフトテニスボールの改良の歴史

1890年(明治23年)に日本のゴム製造所、三田土ゴムによってソフトテニスボールの製造が開始されました。初めての国産ボールが完成したのは1900年。現在もファンが多い赤エムと呼ばれるソフトテニスボールのロゴマークは、三田土ゴムの頭文字のMです。1908年に特許を取得しています。

製造のきっかけは体操伝習所でリーランドの後任をつとめ、のちに東京高等師範学校に赴任した坪井玄道の提言と言われています。

現在のソフトテニスボール

現在のソフトテニスボールはカラーバリエーションもあり、重量の軽いジュニア用の製品などもあります。ソフトテニスのボールには大きく分けて2種類あり、公認球と練習球に分けられます。

公認球は日本ソフトテニス連盟の基準をクリアしたもので、公式試合で使用できる球です。製造会社のロゴマークが赤いものが公認球で、練習球には青いロゴが入ります。公認球として認められる製品は国内で3社だけです。

ソフトテニス団体・連盟の歴史

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ソフトテニス団体の歴史は、1924年(大正13年)、全国の軟式テニスを統括する機関が誕生したのが始まりです。

初期のソフトテニスは勝ち負けよりも、ラリーを楽しむスポーツでした。1898年(明治31年)に初めて対抗戦が行われたと言われています。1902年(明治35年)に東京高等師範学校の呼びかけで、大学生による大会が開催されましたが、連盟が発足する以前はいずれも自主的な活動にとどまっていました。

日本ソフトテニス連盟の歴史

公益財団法人日本ソフトテニス連盟、通称JSTAの歴史は、1924年(大正13年)に軟式テニスの全国統括機関として、日本軟球協会が発足したことが始まりです。

日本ソフトテニス連盟はルールの制定や大会の開催、指導者の育成など多岐にわたって活動しています。1956年には初めてのアジア選手権を開催するなど、アジアをはじめヨーロッパ、アメリカ、南アメリカ、アフリカなど国際的な普及活動もおこなっています。

ソフトテニスの国際連盟の歴史

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ソフトテニスの国際連盟の起源は、1955年(昭和30年)に日本、台湾、韓国によって設立されたアジア軟式庭球連盟です。1974年にはアメリカ、ブラジル、ベネズエラ、香港の4か国を加え国際軟式庭球連盟、のちの国際ソフトテニス連盟が発足しました。

翌年には第一回の世界選手権が開催され、現在でも4年に一度開催されています。世界ソフトテニス連盟には欧米諸国も加わり、現在40以上の国が加盟しています。

ソフトテニスの海外連盟の歴史

ソフトテニスの海外連盟の歴史は、1975年にハワイ軟式庭球連盟が創立されたのが始まりです。ソフトテニスには4大国際大会と呼ばれる大会があります。

・世界選手権
・アジア選手権
・東アジア競技大会
アジア競技大会

このうちアジア選手権は、1988年にアジアソフトテニス連盟の主催で初めて開催されました。1993年に東南アジアソフトテニス連盟が、2014年にはカンボジアにソフトテニス連盟が設立されました。

ソフトテニスプロプレイヤーの登場

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ソフトテニスは幅広い年齢層が楽しめるアマチュアスポーツとして人気がありますが、韓国ではプロプレイヤーも活躍しています。

2019年には、日本の船水颯人がプロプレイヤーとして名乗りをあげました。同年4月にヨネックスとスポンサー契約を締結し、日本人初のプロプレイヤーとしてあり方を模索していくと語っています。ソフトテニス界にまた、新しい歴史が刻まれます。

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