男子バレーの監督とは?全日本の歴代監督をわかりやすく紹介!
全日本男子バレーを率いる監督は、主に歴代の名選手が務めています。歴代の監督20人の中には、男子バレーを世界一に導いた監督や、成績を残せず不運に泣いた監督もいました。近年では監督とコーチが二頭体制で、選手の発掘・育成とチーム作りの仕事の分担をすることが主流となっています。
Writer
公式ライター まる蔵
選手・コーチ・認定審判員と、バレーボールと共に人生を謳歌しています。スポーツやバレーの楽しさをお伝えしたい、そう思いながらweb記事を書いています。
男子バレーの監督とは?
監督の任期はもうけられていますが、実績や状況に応じて監督が任期途中に交代することも珍しくありません。長期的なチーム強化を目的に監督の任期を伸ばすこともあります。
監督の選出の方法とは?
現在までの男子バレーの監督をみると、現役時代に実績を残した選手が選ばれることが多いです。近年では知名度のある監督を全日本のトップに選び、実際の強化はコーチ陣に任せるケースが増えています。監督にはコーチング以外の仕事が多いことも大きな理由です。
ワールドカップバレーの監督とは?
バレーのチーム作りには中長期的な選手発掘と養成が必要で、オリンピックとワールドカップは同じ体勢でいくことが望ましいからです。
男子バレーの現在の監督
残念ながら2020年の東京オリンピックは延期になりましたが、引き続き全日本の指揮をとることが決定しています。
中垣内祐一監督
生年月日 | 1967年11月2日 |
身長 | 194cm |
所属チーム履歴 | 1990年~2004年:新日鐵・堺ブレーザーズ |
ポジション | ウイングスパイカー |
中垣内監督は数多くの国際大会で活躍しましたが、シドニー五輪を逃した2000年に全日本代表を退き、2004年に現役を引退しました。監督就任時の全日本男子の世界ランクは14位でしたが、2020年2月の時点では9位です。
男子バレーの歴代監督(2016年〜2001年)
低迷が続いていた男子バレーですが、近年では選手個人の意識が高くなったこともあり、監督を中心によいチーム作りができています。バレー協会が、選手が海外でプレーをすることを容認する方向になったことも大きな要因です。
氏名 | 就任時の所属 | 在任期間 |
---|---|---|
南部正司 | パナソニックパンサーズ | 2014年~2016年 |
ゲーリー・サトウ | 所属なし | 2013年~2014年 |
植田辰哉 | 新日鐵 | 2005年~2013年 |
田中幹保 | 堺ブレーザーズ | 2001年~2004年 |
寺廻太 | NEC | 1997年~2000年 |
南部正司監督
生年月日 | 1967年8月6日 |
身長 | 186cm |
所属チーム履歴 | 1990年~1997年:日新製鋼ドルフィンズ |
1997年~2001年:松下電器・パナソニックパンサーズ | |
ポジション | ウイングスパイカー |
実績と海外バレーの知識と熱意が評価されての代表監督就任でしたが、若手の育成が大会の順位に結びつかなかったことから次期監督には選出されませんでした。
ゲーリー・サトウ監督
生年月日 | 1955年1月2日 |
身長 | 173cm |
所属チーム履歴 | カリフォルニア大学サンタバーバラ校 |
ポジション | レシーバー |
ゲーリーサトウ監督は、選手の判断力を重視するスマートバレーを提唱してチーム作りをはじめましたが、選手の選出や育成方法にJVAの方針とズレが生じて、結果を出す前に監督交代となりました。
植田辰哉監督
生年月日 | 1964年7月25日 |
身長 | 196cm |
所属チーム履歴 | 1987年~1992年:新日鐵・堺ブレーザーズ |
ポジション | センタープレーヤー |
試合のときにはスーツ姿できちっとした印象の植田監督ですが、普段の練習は基礎体力作りに重点を置く、アツく厳しいものでした。アスリートの礼儀を重んじる反面、選手目線で選手を鼓舞する熱血監督です。
田中幹保監督
生年月日 | 1955年3月18日 |
身長 | 195cm |
所属チーム履歴 | 1973年~1991年 新日鐵 |
ポジション | ウイングスパイカー |
田中監督は現役引退後、イタリアやアメリカにコーチ留学し、全日本ジュニアの監督を経て全日本男子の監督に就任しました。アテネオリンピック最終予選で敗れた後監督を退き、古巣の堺ブレーザーズの部長を経て現在は常務取締役です。
寺廻太監督
生年月日 | 1958年1月22日 |
身長 | 180cm |
所属チーム履歴 | 1980年~1987年 日本電気・NECブルーロケッツ |
ポジション | オールラウンド |
寺廻監督はオリンピック予選の最終戦で監督を辞任し、後に海外に渡りコーチングの勉強と実績を重ね、現在もバレーボールの振興に尽力しています。
男子バレーの歴代監督(1923年~2000年)
ミュンヘン五輪で活躍した大古誠司監督が全日本男子を率いた時期もありましたが、思うような結果は出せませんでした。日本独自のバレースタイルや、選手の育成を工夫することの必要性が叫ばれ始めた時期です。
名前 | 就任時の所属 | 在任期間 |
辻合真一郎 | 新日鐵 | 1996年 |
---|---|---|
大古誠司 | サントリー | 1991年~1995年 |
南将之 | 旭化成 | 1989年~1990年 |
小山勉 (再) | 富士フィルム | 1986年~ 1988年 |
斎藤勝 | 東海大学 | 1984年~1986年 |
中野尚弘 | 長崎中野蒲鉾店 | 1980年~1984年 |
中村祐造 | 新日鐵 | 1977年~1980年 |
大古誠司監督
生年月日 | 1948年2月15日 |
身長 | 194cm |
所属チーム履歴 | 1967年~1973年:日本鋼管 |
1973年~1982年:サントリー | |
ポジション | ウイングスパイカー |
大古監督は1991年から4年間全日本男子の監督を務め、バルセロナ五輪で6位の成績をおさめましたが、1994年の世界バレーでは順位を上げることができませんでした。
南将之監督
生年月日 | 1941年7月8日 |
身長 | 196cm |
所属チーム履歴 | 1960年~1970年:旭化成 |
ポジション | センタープレーヤー |
南監督は、現役引退後に全日本のコーチ・全日本男子ジュニア監督を務め、全日本男子を率いました。息子の南克之選手と南裕之選手はともに一流のバレー選手です。
男子バレーの歴代監督(1923年~1980年)
前田豊監督や松平康隆は、バレーボールの父と呼ばれ日本そして世界のバレーの普及と発展に寄与した功労者です。前田豊監督は、20世紀を創った人々550の1人に選ばれました。
名前 | 就任時の所属 | 在任期間 |
---|---|---|
小山勉 | 富士フィルム | 1973年~1976年 |
松平康隆 | NKK | 1965年~1972年 |
坂上光男 | 中京女子大学 | 1957年,1958年,1961年~1964年 |
和田助則 | ー | 1955年 |
長崎重芳 | ー | 1955年,1958年,1960年,1962年 |
前田豊 | ー | 1954年 |
多田徳雄 | ー | 1923年,1925年,1927年,1930年 |
松平康隆監督
松平監督は、時間差攻撃などの攻撃方法の基礎をつくり、バレーの近代化と普及に尽力しました。バレーを一般にPRするために、雑誌などにに男子バレーを紹介したのも松平監督が初です。
前田豊監督
1954年に全日本男子バレーの監督に就任しましたが、前田豊監督の傑出した功績は監督業以上に、世界にバレーボールを普及させたことにあります。国際バレーボール連盟副会長やアジアバレーボール連盟会長などに就任し、国内外でバレーの発展に寄与しました。
男子バレーの歴代コーチとは?
2020年現在の全日本男子のコーチはフィリップ・ブラン氏と津曲勝利氏で、監督とコーチの役割分担が確実になされています。監督とコーチの役割を明確化された現在の体勢は、選手の育成やコミュニケーション強化、監督が対外的な活動をするのにとても効果的です。
フィリップ・ブランコーチ
フィリップ・ブランコーチの指導方法は、責めるのではなく理由を問う方式です。彼の欧風の明るくはっきりした性格と理論的なコーチングは、通訳を介しながらも選手たちと心を通じさせています。
津曲勝利コーチ
津曲コーチはリベロ目線から日本の男子バレーを知り尽くしており、フィリップブランコーチとうまく連携して、全日本男子の強化に貢献しています。津曲コーチの優しい外見とやわらかい物腰から出る厳しい叱咤激励は、選手たちに必要不可欠です。
バレーボール男子日本代表の監督まとめ
以前は監督の指示でチーム作りや選手の養成をしてきましたが、近年では監督とコーチの役割分担を明確化することがチーム強化に重要と認識されてきました。現監督の中垣内監督とコーチ陣・スタッフはよい関係を保ち、チーム全体の意識を向上させています。
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