渡邊雄太の名言40選!ブロックに跳び続けてNBAの本契約をつかんだ努力の言葉
NBAで6シーズンを戦った渡邊雄太の名言に「100回のうち99回ダンクされても、1回ブロックできる可能性があるのなら、僕は必ず、ああいう場面ではブロックに跳びます」があります。本契約からパリ五輪、千葉ジェッツまでの渡邊雄太の名言40選を、いつ・どの場面の言葉かと一緒に読めます。
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公式ライター Activel編集部
2021年3月、NBAでダンクを決められた場面を聞かれた渡邊雄太は「100回のうち99回ダンクされても、1回ブロックできる可能性があるのなら、僕は必ず、ああいう場面ではブロックに跳びます」と答えました。SNSで広まったこの名言から千葉ジェッツでの言葉まで、渡邊雄太の名言40選を時期ごとに読めます。
渡邊雄太のプロフィール
渡邊雄太は香川県で育ち、尽誠学園高校を卒業した2013年にアメリカへ渡ったバスケットボール選手です。ジョージ・ワシントン大学を経て2018年に日本人で2人目のNBA選手になると、契約の保証がない立場から何度も這い上がり、NBAで6シーズンを戦いました。2024年に日本へ戻ってからは千葉ジェッツでプレーし、2025年11月には日本代表のキャプテンも任されています。契約が保証されないNBAの日々と、引退をかけて臨んだ日本代表の大会が、渡邊雄太の名言の多くが生まれた場面です。
基本プロフィール
尽誠学園高校に入った時にはもう190cmあり、恩師の色摩拓也先生は、背の高い渡邊選手をセンターではなく、外からのシュートを生かす選手として育てました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1994年10月13日 |
| 出身地 | 香川県 |
| 身長・体重 | 206cm・98kg |
| ポジション | フォワード(SF・PF) |
| 所属 | 千葉ジェッツ(背番号1) |
| 出身校 | 尽誠学園高校・ジョージ・ワシントン大学 |
| NBA | 2018〜2024年(4チーム・6シーズン) |
| 著書 | 『「好き」を力にする』・『心』 |
新聞などでは「渡辺雄太」と書かれることもあるので、渡辺雄太の名言として見かける言葉も、同じ渡邊選手の言葉です。本人の著書は、NBA1年目のシーズンの後に出した『「好き」を力にする NBAプレーヤーになるために僕が続けてきたこと』(2019年)と、NBAの6年間をつづった『心 NBAで運命を切り拓いた本当に大切な想い』(2025年)の2冊があります。NBAでの最初の3シーズンは、NBAと下部のGリーグを行き来するツーウェイ契約でした。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2013年 | 高校を卒業してアメリカへ |
| 2018年 | グリズリーズとツーウェイ契約・NBAデビュー |
| 2020年 | ラプターズへ |
| 2021年 | ラプターズと本契約・東京五輪 |
| 2022年 | ネッツへ |
| 2023年 | サンズへ・W杯でパリ五輪の出場を決める |
| 2024年 | NBAを離れ千葉ジェッツへ・パリ五輪 |
| 2025年 | 日本代表のキャプテンに |
座右の銘
千葉ジェッツが2025-26シーズンに出した選手紹介の一問一答で、渡邊雄太は座右の銘に「初心、謙虚」と答えています。2018年9月、NBAで迎える1年目のシーズンに向けてアメリカへ出発する時にも、大切な言葉を聞かれて同じ2つを即答しました。どちらも高校の恩師から教わった言葉です。
- 大好きな言葉(2021年4月の本人の寄稿「言葉のチカラ」): 「まず大好きな言葉、それは『謙虚』だ。」
- 恩師から教わった言葉(同じ寄稿): 「初心と謙虚、2つの言葉を大事にしなさい」(尽誠学園高校の色摩拓也先生)
高校2年で日本代表に選ばれた時にも、色摩先生から「とにかく“謙虚”でいきなさい。日本代表に入ったからといって、偉そうぶってはいけないよ」と言われたことを、同じ寄稿で振り返っています。この寄稿を書いたのはラプターズとの本契約の直後で、渡邊選手はその中でも、ずっと大切にしてきたのは謙虚と感謝、そして初心だとつづっています。
渡邊雄太の名言40選
大学最後のシーズンを終えた2018年3月に「自分の目標はNBAです」と書いた渡邊雄太は、NBAの6シーズンを戦って日本に戻り、2026年7月には、自分で開いたクリニックで中学生に「失敗して当たり前」と語りかけています。その8年あまりの渡邊雄太の名言は、会見やインタビューで契約を勝ち取るまでを語った言葉、日本代表で自分を追い込んだ言葉、日本に戻ってから子どもたちに向けた言葉に分かれます。
NBA時代の名言(ブロックの言葉と本契約)
ツーウェイ契約はNBAに出られる日数に限りがある契約で、渡邊雄太がラプターズと本契約を結べたのは、NBAに入って3シーズン目の2021年4月のことです。ダンクにひるまずブロックに跳んだ話をした会見も、「努力は報われる」について語った会見も、その本契約の前後に開かれました。最後のシーズンになった2024年には、試合に出ないと告げられた日にメンフィスのホテルで泣き、NBAを離れると決めています。
01「自分の本当の戦いはこれからだと思っています。自分の目標はNBAです。無理だと言う人もきっとたくさんいるでしょう。口で言うほど簡単な事でないのは、大学ですごい選手を相手にしてきた自分が一番理解しています。だからこそ自分はそこにとことん挑戦していきます。」
— 2018年3月12日、ジョージ・ワシントン大学での最後のシーズンを終えた日に本人の X で
02「当然反対意見もたくさんあったのですけど、自分が一番したいことを優先してアメリカという場所に飛び込んで来ました。」
— 2018年5月、大学を卒業しNBAドラフトを前にしたインタビューで
03「自分のことを評価してもらって、ダメだったら実力がなかったというだけのこと。」
— 2018年5月、NBAドラフトを前にしたインタビューで、NBAのチームに練習を見てもらえる場(プロ・デー)を開く代理人を選んだ理由を聞かれて
04「ずっと目標にしてたNBAという舞台に立つ事ができました。でもそれはチームメイトの素晴らしい活躍のおかげで、立たせてもらっただけです。まだまだあくまでスタートライン。自分の目標はもっと高い所にあります!」
— 2018年10月28日(日本時間)、サンズ戦でNBAデビュー(4分31秒の出場で2得点)した後の本人の X で
05「僕は、これまで『努力している』と思ったことはありません。バスケットボールが好きでたまらず、さらにうまくなりたいから、いくら練習してもつらくないのです。」
— 2019年10月、1冊目の著書『「好き」を力にする』の発売の翌日に、本人の名前で載ったコラムで
06「実際に不安になったからといって状況がよくなることはありえないんで、とにかくオフシーズンにできることを集中してやるしかない。」
— 2021年3月のインタビューで、グリズリーズとの契約が更新されなかった2020年の夏を振り返って
07「100回のうち99回ダンクされても、1回ブロックできる可能性があるのなら、僕は必ず、ああいう場面ではブロックに跳びます」
— 2021年3月3日(現地)、NBAで初めて先発したピストンズ戦の後の会見で
08「努力し続けたかいがありました!」
09「努力は報われるとは成功した人が言えることで、努力してもなかなか結果が出ない人は当然いるし、僕もそういう時期が続いたこともあります。」
— 2021年4月20日(現地)、本契約の翌日のオンライン会見で
10「僕は口だけの人間は大嫌いで、自分はそうはなりたくないので、言ったからにはやれよ、と自分に言い聞かせてやっている時期はありました」
— 2021年4月20日(現地)、同じ会見で、苦しい時期に自分を奮い立たせたことを話して
11「この世界で生き残っていくのに大事なのは、常に、才能を含めた実力、努力、それから運も僕は絶対すごく大事だと思っています。」
— 2021年4月20日(現地)、同じ会見で、4月に活躍できた理由を聞かれて
12「そう。1分、1秒たりとも、無駄な時間なんて一切ない。“ガベージタイム”なんて言葉は僕の辞書には、ない。」
— 2021年4月30日、選手が自分で書いた文章を載せるサイト The Players’ Tribune への寄稿「言葉のチカラ」で
13「もはや僕にとっては『日本人選手として』という意識ではなく、かつてNBAをテレビで見て『僕もあの舞台でプレーしたい』と強く願った一人のバスケットボール少年の夢が、今こうやって5年目も実現し続けていることに自信を持ちたいと思います。」
— 2022年10月、ネッツで開幕の登録メンバーに入った直後の本人の寄稿「Dear Brooklyn and Toronto」
14「毎日、自分がうまくなっていると感じています」
“I feel like I’m getting better every day.”
— 2022年11月5日(現地)、ネッツのホーネッツ戦の後に、地元のテレビ局の取材に英語で
15「自分のワンプレー、一つのミスがチームの勝敗を決めるみたいなヒリヒリする時間帯で、出られるというのは何よりもうれしかった」
— 2023年4月28日、ネッツでのシーズンを終えて日本に帰った時の会見で、自分のベストシーズンと言える理由を聞かれて
16「これだから人生って楽しい」
— 2024年2月8日(現地)、サンズからグリズリーズへのトレードが決まった日に本人の X で
17「一番大きな理由は、シンプルにバスケットがしたいというところです」
— 2024年4月20日(日本時間)、来季から日本でプレーすると明かした本人の Instagram のライブ配信で
18「アメリカで自分は全力を尽くせたと言い切れます。小さな頃からずっと思い描いていた夢を成し遂げた自分を誇りに思います。」
渡米の背中を押した田臥勇太さん自身の言葉は、田臥勇太の名言25選で読めます。
日本代表の名言(東京五輪・W杯・パリ五輪)
渡邊雄太が初めて日本代表に選ばれたのは、尽誠学園高校2年の時です。それから世界の大会では、大学2年で出たリオ五輪の世界最終予選から2021年の東京五輪まで10連敗し、2023年のW杯の前には、パリ五輪に行けなければ代表活動を最後にすると公にして沖縄の大会に臨みました。2025年11月からは日本代表のキャプテンを務めています。
19「奇跡という言い方はあまりしたくない」
— 2016年6月、大学2年の時に選ばれたリオ五輪の世界最終予選を前にした取材で
20「正直このままでは日本に帰れない」
— 2019年9月、W杯(中国)でニュージーランドに30点差で敗れた後に(同じ取材で「日本代表として恥だと思います」とも)
21「3連敗して悔しい気持ちしかないですけど、この前のワールドカップみたいに恥だとは僕は思っていません。」
— 2021年8月1日、東京五輪のアルゼンチン戦に敗れて3連敗となった後に
22「先に言っとくけど俺は出る」
— 2023年6月27日、八村塁のW杯欠場が発表された日に、次のNBAの契約が決まる前の本人の X で(続けて「でも出ない判断をしたルイの気持ちもめちゃくちゃわかる」と投稿)
23「このチームでパリに行けなかった場合、今回で代表活動は最後にしようと思っています」
— 2023年8月19日、W杯前の強化試合の後に、有明アリーナの観客に向けて
24「あいつが、『雄太さん、まだまだ引退させませんよ』って・・・。僕の言葉を、そういうふうに聞いてくれてたんだと思って、本当に頼もしい後輩です」
— 2023年8月27日、W杯のフィンランド戦に勝った後、河村勇輝のことを聞かれて言葉を詰まらせながら
25「公でああいうこと言ったので、僕も引くことはできなかった。少しでもチームに火が付いてくれたならよかった。結果オーライかな。死ぬまで代表やりますから!」
— 2023年9月2日、W杯のカーボベルデ戦に勝ってパリ五輪の出場を決めた後に
26「しんどい思いをするのは僕らの世代まででいい」
— 2023年9月2日、同じ日に、河村勇輝や富永啓生ら若い選手について聞かれて
27「言う必要もない事をあえて公言しました。今まで自分が崖っぷちに立たされた時こそ結果を出せてきたので。」
— 2023年9月6日、代表引退の宣言の真意を説明した本人の Instagram で
28「東京五輪は悔しいという涙だったんですけど、W杯に関しては嬉しくて。ああいった泣き方は幸せだなと思いました。」
— 2024年7月、パリ五輪の前に田臥勇太さんとの対談で、2つの大会で流した涙の違いを聞かれて
29「“キャプテンが目立っているチームは二流だ”という風に言われて育ってきた。そういうチームにならないように、いい意味で誰がキャプテンかわからないようなチームでないといけないなと思っています」
— 2025年11月19日、日本代表のキャプテンを任された日の取材で
30「絶対にロスに出て、ロスで勝ちたい。その思いはパリが終わってからさらに強くなったのかなと思います。」
— 2026年6月、W杯アジア地区予選に向けた代表合宿の初日の後に、2028年のロサンゼルス五輪について
千葉ジェッツでの名言(日本に戻ってから)
2024年7月、渡邊雄太は千葉ジェッツと契約し、11年ぶりに日本でプレーすることになりました。1年目はけがが続いて35試合しか出られず、2025年5月には、契約継続の発表に寄せたコメントで「本当に悔しい一年」と振り返りました。2年目の2025-26シーズンも、1年目と同じく、Bリーグの優勝を決めるプレーオフ(チャンピオンシップ)の準決勝で敗れています。
31「また新たなプロバスケ人生を日本で一からスタートすると言う事で、背番号は『1』にしました。」
— 2024年7月11日、千葉ジェッツとの契約の発表の日に本人の Instagram で
32「アリーナや勇樹との約束がなくても、僕はジェッツを選んでいただろうなと。それくらいの熱量をいただきました。」
— 2024年8月27日、千葉ジェッツの入団会見で
33「やっぱり逆境のときにその人の本質が出る。その人の本当の強さが出る。」
— 2025年6月、日本での1年目を終えて子どもたちと話したイベントで、アメリカでの壁をどう乗り越えたかを聞かれて
34「この問題に正解はないと思います。ないからこそ、自分自身で選び取り、歩んできた道を正解にすればいい。それが唯一の答えです。」
— 2025年6月、同じイベントで、強豪校に行くか試合に出られる学校に行くかを子どもに聞かれて
35「ぼくがプロバスケットボール選手である理由は、バスケが好きだから。」
— 2025年6月、同じイベントの終わりに、子どもたちと過ごした感想を聞かれて
36「『自分はダメなんだ』と思うのではなく、『自分が上を目指したから、成長したからこそ壁にぶつかっているんだ』と考えてみてほしい。」
— 2025年7月16日、千葉市の中学3年生に向けた夢授業で
37「絶対にダーティなプレーはしないですが、コート上でいい人でいる必要はない。」
— 2025年夏、日本での1年目を振り返ったインタビューで
38「何かを始めることに『遅すぎる』はありません。」
— 2025年10月、英語の試験 TOEIC を運営する団体のインタビューで、英語を学ぶ人に向けて
39「優勝だけを目指してやってきた中で、負けて終わりの時点で満足感や達成感を得られることはないです」
— 2026年5月30日、チャンピオンシップの準決勝で敗れた後の取材で
40「プロになっている僕ですら試合中にターンオーバーを連発したりする。中学生なのだから失敗して当たり前だと思っています。」
— 2026年7月18日、中学生を集めて自分で開いたバスケットボールのクリニックの後の取材で
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