1. Home
  2. >
  3. ゴルフ
  4. >
  5. ジャンボ尾崎(尾崎将司)の名言40選!弟子に贈った言葉と格言・語録
ジャンボ尾崎(尾崎将司)の名言40選!弟子に贈った言葉と格言・語録

ジャンボ尾崎(尾崎将司)の名言40選!弟子に贈った言葉と格言・語録

ジャンボ尾崎の名言として広まる「100を切るのに趣味を捨てた」は本人の言葉なのか。甲子園の優勝投手からプロゴルフで113勝した尾崎将司の名言40選を、弟子に贈った言葉や世界ゴルフ殿堂入りの言葉、ジャンボ尾崎の格言・語録まで、言った時期とともに読めます。

2026.10.21 | ゴルフ

Writer

writer avatar

公式ライター
Activel編集部

「100を切るのに、趣味を捨てた」で始まるゴルフの格言は、ジャンボ尾崎の名言として広まっていますが、本人が言った場面は見つかっていません。甲子園の優勝投手からプロゴルフで113勝した尾崎将司が本当に残した言葉を、全盛期の試合の後の会見から弟子に贈った言葉まで、ジャンボ尾崎の名言40選として、時期が分かるものは場面とともに載せています。

ジャンボ尾崎(尾崎将司)のプロフィール

ジャンボ尾崎こと尾崎将司は、高校野球の甲子園で優勝した投手で、プロ野球の西鉄ライオンズを3年で退団してゴルフに移り、国内ツアー94勝・賞金王12回の記録を残しました。シニアの試合には出ず、70代になってもレギュラーツアーで戦い続け、2025年12月23日に78歳で亡くなっています。ジャンボ尾崎の名言には、引退を口にせず、生涯現役を通した人の言葉が多く残っています。

基本プロフィール

本名は尾崎将司(まさし)で、プロになった頃は尾崎正司と書いていました。身長181cmの体で、木のドライバーの時代に300ヤードを飛ばし、それまで職人の世界だったプロゴルフを変えた選手です。通算113勝は、ツアーの制度ができる前の1971・72年の勝利や海外の1勝も含めた数で、1973年に始まったツアーの勝ち数は94勝です。

項目 内容
本名 尾崎将司(おざき まさし)
愛称 ジャンボ
生年月日 1947年1月24日
出身地 徳島県
身長 181cm
出身校 徳島県立海南高校
プロ野球 西鉄ライオンズ(1965〜1967年)
プロゴルファー 1970年から
優勝 国内ツアー94勝・プロ通算113勝
賞金王 12回
殿堂入り 世界ゴルフ殿堂(2010年選出)・日本ゴルフ殿堂(2026年選出)
死去 2025年12月23日(78歳)

愛称のジャンボは、1970年に千葉県習志野市で開かれたゴルフの月例の競技会を取材したスポーツ紙の記者が、記事を「ジャンボ・プロ誕生」と書き出したのが始まりです。ちょうどアメリカから、当時としては想像を超える大きさのジャンボジェット機が日本に入ってきた頃でした。

甲子園の優勝からプロ野球、ゴルフで113勝と殿堂入りまでの歩み

ジャンボ尾崎の歩みと名言の年表(甲子園の優勝からゴルフの初優勝、100勝目、世界ゴルフ殿堂入り、晩年まで)

ジャンボ尾崎と野球のつながりは深く、1964年の春には徳島海南高校のエースとして選抜高校野球大会で優勝しています。翌年プロ野球の西鉄ライオンズに入りましたが、同じ年に入団した池永正明投手との力の差を感じ、3シーズンで野球をあきらめました。オフに始めたゴルフに打ち込み、1970年にプロゴルファーになっています。

  • 1971年9月: 日本プロでプロ初優勝。そこからわずか3か月で5勝
  • 1973年: 賞金ランキングが始まった年に、初代の賞金王。マスターズで日本の選手として初めてメジャーの10位以内(8位)に入る
  • 1981年: 賞金ランキングが28位まで下がる(1980年代前半は不調が続く)
  • 1994〜1998年: 5年続けて賞金王(通算12回)
  • 1996年11月: ダンロップフェニックスで、49歳でプロ通算100勝
  • 2002年: 全日空オープンで、55歳でツアーの最年長優勝。これが最後の優勝で、通算113勝
  • 2010年: 世界ゴルフ殿堂入りが決まる
  • 2013年: つるやオープンの初日に62を出し、ツアーで初めてのエージシュート(年齢以下のスコア)
  • 2019年11月: ダンロップフェニックスが、最後に出たレギュラーツアーの試合に
  • 2025年12月23日: 78歳で亡くなる
  • 2026年: 日本ゴルフ殿堂入り

ジャンボ尾崎の殿堂入りは2回あります。2010年に、樋口久子さん、青木功さん、岡本綾子さんに続く日本人4人目として世界ゴルフ殿堂入りが決まりました。亡くなった後の2026年4月には、日本ゴルフ協会などが新しく始めた日本ゴルフ殿堂のプレーヤー部門に選ばれ、9月30日の式典では長男の智春さんが代わりに表彰を受けています。

座右の銘

ジャンボ尾崎が自分で座右の銘として挙げた言葉は、Activel編集部が探した限り見つかりませんでした。ただ、本人が大切にしていた言葉はいくつか分かっています。昔の格言や名言が好きで、正月の書初めでは、その年のテーマを込めた格言を着物姿で書いていました。

  • 体・技・心: デビューの頃から口癖のように言っていた考え方。「ゴルフは心・技・体ではなく、体・技・心の順なのだ」
  • 書初めの格言: 「捲土重来」「一期一振」「守破離」などを、キャディバッグのタグに書いてぶら下げていた
  • 『青春の詩』: 50〜60代のころに出合ったサミュエル・ウルマンの詩。自身のブログに「まさに自分の人生そのものだと思った」と書いた

「一期一振」の「一振」は、趣味の刀剣のことです。一振りの刀に自分の人生を託す、という意味を込めていました。『青春の詩』は「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言う」で始まり、「年を重ねただけで人は老いない」と続く詩で、シニアの試合に出ずにレギュラーツアーにこだわっていた時期に出合っています。

ジャンボ尾崎の名言40選

ジャンボ尾崎の名言のうち、言った時期が分かる一番古いものは、1979年頃にライバルの青木功さんと比べて自分のゴルフを語った言葉です。一番新しいものは、2025年11月に弟子の佐久間朱莉さんが年間女王になった時の祝福でした。その佐久間さんがなかなか勝てずにいた頃、尾崎将司は「俺も優勝の数より2位の方が多いんだ」と声をかけています。113勝した人のこの言葉は、佐久間さんが年間女王になった後に明かしたものです。ジャンボ尾崎の語録には、こうして弟子が後から明かした言葉も入っています。

賞金王を重ねた全盛期の名言

全盛期のジャンボ尾崎は、試合の後の会見を記者たちが楽しみにするほど、見出しになる言葉を口にする選手でした。飛距離で勝負するゴルフを貫き、OBを重ねて批判されても攻め方を変えなかった1970年代の終わりから、49歳で通算100勝を挙げた1996年までの言葉です。

01「刻んで正確にピンにからませられるんだったら、日本でドライバーは一切使わないよ。」

— 1979年頃のインタビューで、ライバルの青木功と自分のゴルフを比べて

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 1979年頃のインタビュー

発言状況: 青木功さんのアプローチとパットを「世界の3本指に入る」と認め、自分が2メートルを入れる確率と、青木さんが4メートルを入れる確率はだいたい同じだと話した流れの言葉です。だから人より20メートル先へ正確に飛ばし、短いクラブでピンを狙わなければ勝負にならない、と考えていました。刻んでからピンに寄せる技術は「今の僕にはそんな技術はない」とも話しています。

02「OBを続けて3発も同じところへ打って批判も受けたけど、逃げることなく、最初の意図のボールで攻めたいからね。復習しているのよ。逃げて勝ってもおもしろくないからね。」

— 1979年頃のインタビューで、川奈の15番で打った3発のOBについて

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 1979年頃のインタビュー

発言状況: 静岡県の川奈ホテルゴルフコース富士コースの15番ホールで、続けて3発のOBを打ち、批判されたことについての言葉です。同じインタビューでは、飛ぶのだからアイアンで刻め(ドライバーを使わず、短いクラブで安全な所へ運べ)と言われても、刻んでOBを避け、フェアウェイをキープするだけのゴルフは「僕のゴルフじゃない」と話していました。

03「堂々と王者の勝ち方をしたいと思っているから。不遜に聞こえるかもしれないがね……。」

— 1979年頃のインタビューで、人より正確に飛ばして人よりピンに寄せる理想を話して

04「下向きの尾崎ではなく、ひたむきの尾崎をお見せします」

— 1980年代前半、不調が続いた時期に

05「このパッティングフォームを石膏で固めてとっておきたいよ」

— 1982年、関東オープンで優勝した後の記者会見で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 1982年、関東オープンの優勝会見

発言状況: 1980年代前半の尾崎は不調で、1982年の賞金ランキングも16位でした。この年はずっとパッティングに悩み、ようやく自分でしっくりくるパットができて優勝した後の会見で出た言葉です。300ヤードを飛ばす選手が、パットの形を石膏で固めたいと言ったジョークに、記者たちはどっと沸きました。

06「太く長く生きるためには、ボディスウィングだ」

— 1983年8月8日、千葉県習志野市の自宅で行われた雑誌の対談で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 1983年8月8日の深夜

発言状況: 聞き手はスポーツライターの山際淳司さんでした。1979〜85年のスランプのさなかで、メタルドライバーを使い始めて復調を探っていた年です。マスコミに言い訳をしなかった尾崎が、説き伏せられて応じた対談で、今では当たり前になった、体の回転で打つボディスウィングの考えをすでに話していました。同じ対談で「器用な右手を殺して、不器用にボディスウィングを追い続ける。それが太く長く生きる道だ」とも語っています。

07「この勝利の実感はオフになってからわいてくるのかな。こんないい舞台でこんなことができたなんて・・自分の存在がこんな形でなしとげたことに感謝するしかない」

— 1996年11月17日、ダンロップフェニックスでプロ通算100勝目を挙げた日に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 1996年11月17日

発言状況: 49歳で迎えたダンロップフェニックスで3連覇を果たし、プロ通算100勝目を挙げた日の言葉です。2位のトム・ワトソンには3打差をつけ、この年7勝目でした。「1ホール1ホールが厳しかった」と振り返った後、「ボクが力のあるうちに、挑戦してくれる若手が出てきてほしい」とも話しています。

08「過去は振り返らない。一番新しい勝利が最も貴重なものなんだ。さあ、またゼロからの出発だ!」

— 1996年11月17日、100勝目の優勝インタビューで

「100を切るのに」の出どころと練習・上達の名言

アマチュアゴルファーの間でジャンボ尾崎の言葉として語られる「100を切るのに、趣味を捨てた。90を切るのに、仕事を捨てた。80を切るのに、家族を捨てた。70を切ったら、全てが返ってきた」は、本人が言った場面が見つかっていません。2010年には、ネットの質問サイトに作者の名前のない「ゴルフの格言」として出ていました。ジャンボ尾崎の名前つきで出てくるのは、2013年のブログが一番古いものです。本人が練習や上達について話した言葉は、次のとおりです。

09「ゴルフは心・技・体ではなく、体・技・心の順なのだ」

10「飛ばすためにはそれなりの体が必要なんだよ。ふだん何もしていない人が飛ばそうというのはムシがよすぎるんじゃないの」

11「力をつけるより柔軟性を磨け。飛ばしたくて肩や腕の筋肉をつけても、それによって柔軟性が失われるようでは逆効果でしかない。強い部分に頼りすぎるとバランスが崩れる」

12「練習だけで何かをマスターできるものではない。練習し、実戦でも練習と同じ結果を出した時に、初めてマスターしたといえる。しかし実戦で成功する確率は50%ほどしかない。だから練習を積み、実戦で試し、また練習する。その繰り返しだよ」

13「天才ほど努力をする。だから天才でいられるのだ」

14「上手いゴルファーより強いゴルファーになれ」

15「ゴルフで『これだ!』は絶対ないんだよ。せいぜいあっても『これぐらいだろう』くらいでね」

— 2013年、エージシュートを達成した後の対談で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2013年、エージシュートの達成の後

発言状況: 66歳の2013年、つるやオープンの初日に62を出し、年齢より4打少ないスコアでツアー初のエージシュートを達成しました。その後に、エージシュートを1472回達成していた熊本の植杉乾蔵さんと対談した時の言葉です。バックスウィングの上げ方を聞かれ、「うーん、実は、正直いうといまだにバックスウィングの上げ方で『これだ』というのは感じたことがないんだよ」と答えた後に続きました。

16「ゴルフ(技術練習)だけやってうまくなろうと思っているのか。それは大きな間違いだ」

— 2020年2月1日、千葉市で開いたジュニアレッスン会で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2020年2月1日

発言状況: 本気でプロを目指すジュニア選手が集まるレッスン会で、技術の指導はほかのプロに任せ、73歳の尾崎は黙って練習を見て回りました。かける言葉は決まって「トレーニング、やってるか?」で、「していない」と答えた選手に返したのがこの言葉です。レッスン会は、自身のジュニアアカデミーに入る選手を選ぶ場でもありました。

17「うまくなろうと思ったら、人よりしんどい思い、つらい思い、苦しい思いをしないと。人間というのは、苦しさとかつらさが、楽しさに、うれしさに、喜びに変わっていくんだ。レッスンをしてもらったからといって、その場ですぐにはうまくならない。1年後、2年後、3年後にうまくなろうという気持ちをもって、いいことを継続していく。そういう心構えでいかないと」

— 2020年2月1日、ジュニアレッスン会の終わりに選手たちを集めて

世界ゴルフ殿堂入りから晩年の名言

2010年に63歳で世界ゴルフ殿堂入りが決まった時、ジャンボ尾崎はまだレギュラーツアーで優勝を狙う現役選手でした。腰の手術を2度受け、歩いて回るのがつらくなってからも、72歳の2019年までツアーの試合に出続けています。

18「殿堂入り? おれにはまだ早いだろ!」

— 2010年、世界ゴルフ殿堂入りが決まった時の記者会見で

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2010年、63歳

発言状況: 会見には当時19歳の石川遼さんも駆けつけています。「殿堂入りするのは現役を辞めてからだろ。今はまだレギュラーツアーを勝つことしか考えてない」とも話しました。練習場では、ドライバーの飛距離で石川さんに引けを取らなかったといいます。

19「スーパースターは『下積み』があってはなれないね」

20「肉体は歳をとっても、情熱は歳をとらない」

21「まさに自分の人生そのものだと思った。この心なんだよ。自分には詩の才はないが、代筆してくれているとしか思えない……嬉しくなってしまったよ」

— 50〜60代のころ、サミュエル・ウルマンの『青春の詩』について自身のブログで

22「自分の人生にはゴルフしかない。今までの人生で満足する部分もあるが、それは過去のこと。人間はこれから先も生きていかなければならない、少しでも長く続けられるようにやっていきたい。」

— 2017年1月、70歳になった時の取材で

23「いや、クラブを置く。生涯現役と思って今までやってきたのだから。」

— 2017年1月、70歳になった時の取材で、シニアツアーに出るかと聞かれて

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2017年1月

発言状況: 前年の2016年は腰の痛みで棄権が続き、その年の最終戦だったダンロップフェニックスも2日目の9ホールで棄権していました。この取材では、4日間戦う持久力を鍛えるために歩いたり自転車をこいだりしていると話し、「これでダメならクラブを置く」と言っています。そのうえで、シニアツアーに出るかと聞かれた時の答えです。尾崎は最後まで、シニアの試合には出ていません。

24「ないない。ほとんどありません。この齢で何をしろって言うんだ」

— 2024年2月4日、77歳の近況を話した時に、ツアーに戻る気持ちを聞かれて

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2024年2月4日

発言状況: レギュラーツアーに最後に出たのは2019年11月のダンロップフェニックスで、その年は7試合に出て5回棄権しました。翌年からのコロナ禍で表に出ることはまれになり、「コロナでこの4年間のギャップがちょっと大きかった」と話しています。健康のためにゴルフをするのは自分の性分に合わない、真剣勝負ができないなら試合に出る気になれない、という考えでした。

25「現役の自分は過去の栄光に全く興味がないんだ」

— 日本プロゴルフ殿堂入りの打診を断った理由として(2026年9月、長男の智春さんが明かした言葉)

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2026年9月30日、日本ゴルフ殿堂の式典で長男の智春さんが明かした

発言状況: 尾崎は生前、日本プロゴルフ殿堂から殿堂入りの打診を何度も受けましたが、すべて断っていました。智春さんが理由を聞いた時、尾崎はこう答えたといいます。日本プロゴルフ殿堂はその後なくなり、日本ゴルフ協会などがアマチュアにも対象を広げて引き継いだのが、今の日本ゴルフ殿堂です。その最初の殿堂入りの式典で表彰を受けた智春さんは「実は(式典に出席するなどの)面倒くさいことがいやだっただけと思います」と話し、会場を笑わせました。

弟子に贈った言葉

ジャンボ尾崎の弟子には、2015年から教わった原英莉花さん、2018年に作ったゴルフアカデミーの1期生の西郷真央さん、中学3年の日本女子オープンをきっかけに入門した佐久間朱莉さんらがいます。教え子からは、笹生優花さんと西郷さんの2人のメジャーチャンピオンが出ました。だらけた選手を怒鳴りつける厳しい師匠でしたが、弟子が優勝した日には、すぐに祝福のコメントを出しています。

26「いいぞいいぞ、もっと悩め。もっと深く悩め」

— 成績が出ずに悩んでいた石川遼に(2025年12月、石川遼が追悼のコメントで明かした言葉)

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 石川遼さんが成績を出せずに悩んでいた頃(2025年12月24日、石川さんが追悼のコメントで明かした)

発言状況: 石川遼さんは冬の間、何度も尾崎の練習場でトレーニングを教わりました。ゴルフの練習の前に、体の使い方を覚えるために野球のピッチングを1週間みっちり教わり、アイアンでは、尾崎の「フェード」「ドロー」(右に曲がる球と左に曲がる球)の声に合わせて打ち分ける練習をしています。石川さんはこの言葉を、自分で考えて自分で殻を破ることが人間を強くする、というメッセージとして受け止めています。

27「脳が小学生だ。今度誰かに聞かれたら、そう言っておけ」

— 2018年7月、プロテストに合格して報告に来た原英莉花に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2018年7月のプロテストの後

発言状況: 原英莉花さんは2度目の挑戦でプロテストに合格しましたが、トップとは9打差の10位での通過でした。久しぶりに尾崎の家を訪ねた原さんに、まず「スコアが出ないやつだなー。もう見る気もなくなるよ」と言った後に続けた言葉です。原さんは「その言葉の裏から学ばないといけない」と話し、自分のマネジメントの力の低さを認めています。

28「誰でもラッキーで勝つ事はある。大事なのは2つ目の勝利をとらえにいかなくてはならない!それが一番大事!」

— 2019年6月2日、原英莉花のツアー初優勝に寄せたコメント

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2019年6月2日

発言状況: リゾートトラストレディスでプレーオフを制して初優勝した原さんに、尾崎はマネジメント会社を通じてこのコメントを出しました。優勝会見で聞かされた原さんは「いつも言われていることですね(笑)」と笑い、「2勝目を早く、早く上げないと。大事なのは2勝目なので!」と次の目標を口にしています。

29「やっぱり『強いゴルファー』を目指してもらいたい」

— 2020年2月1日、ジュニアレッスン会で一緒になった原英莉花に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2020年2月1日

発言状況: 前の年に初優勝した原さんへの課題として話した言葉です。尾崎は「強いゴルファーというのは、優勝争いを数多くできるということ」と説明し、「勝つ負けるはともかくとして、安定して自分のゴルフを見せること」「いいときと悪いときがはっきりするようでは、まだ大した実力者ではない」と続けました。原さんは「おっしゃる通りだと思います」と受け止めています。

30「英莉花はパッティングさえ良くなれば、トッププレーヤーになれる」

— 2020年10月4日、日本女子オープンで優勝した原英莉花へのメッセージ

31「オープンは『オーペン』なんだよ。オーペン、チャンピオン!」

— 2020年10月6日、日本女子オープンの優勝を報告に来た原英莉花に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2020年10月6日

発言状況: 国内メジャーで初めて勝った原さんが千葉の尾崎の家を訪ねると、尾崎は握りこぶしを差し出してグータッチをしました。2019年の初優勝の時は「たまたまだろ」という感じだった師匠に、初めて「おめでとう」と言われたと原さんは喜んでいます。試合を振り返って「本当に見応えがある試合だったよ」とも話しました。

32「勝つことが全てではないし、常に上位にいられるのもすごいこと。あともう少し頑張れ」

— 2021年10月、2位が続いていた西郷真央に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2021年10月

発言状況: ルーキーの西郷真央さんは、2020年と2021年をまとめた1つのシーズンで、その時点までの44試合で2位が5回あり、賞金ランキング5位にいながら、トップ10の選手で1人だけ優勝がありませんでした。尾崎の練習場を訪ねた時にかけられた言葉で、西郷さんは「早く勝ちたいと思うほど、空回りする性格」を見抜いて「焦らずに」と言ってくれたのかな、と振り返っています。

33「何と言ってもゴルフに対する考え方や取り組み方が優等生で、プロの中でもそのゴルフ頭脳はトップではないかと思うときがある」

— 2022年3月6日、西郷真央のツアー初優勝に寄せたコメント

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2022年3月6日

発言状況: 開幕戦のダイキンオーキッドレディスで初優勝した西郷さんに、「西郷どん優勝おめでとう」と始まるコメントを寄せました。2018年の大河ドラマにちなんで、尾崎は西郷さんを「せごどん」と呼んでいます。2020年と2021年をまとめた前のシーズン全体で、2位を7回経験した弟子に向けて、コメントは「今回の優勝では2位にはない副賞がたくさんもらえる喜びを知っただろう。早めの2勝目を期待する」と続きます。

34「いつまでそこら辺で戦っているんだよ」

— 2023年4月24日、まだ優勝のなかった佐久間朱莉に

35「きょうからエリカを尊敬することにしたよ。お前じゃない方のな」

— 2023年10月、日本女子オープンの優勝を報告に来た原英莉花に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2023年10月

発言状況: 腰の手術から復活し、日本女子オープンで2年ぶりに優勝した原さんを、尾崎はグータッチで迎えました。その後に続けたのがこの言葉で、「エリカ」は原さんではなく、最終組で優勝を争い、ボギーなしで最後まで食らいついた菊地絵理香さんのことです。「あとアイアンショットも磨けよ」と、次の課題も出しました。

36「もう俺のことはいいんだよ。人生がほとんど終わってんだから。だから、終わる前に、なんか良いものを見てみたいってのはあるわな。うちの女の子が頑張ってるのを」

— 2024年2月4日、77歳の近況を話した時に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2024年2月4日

発言状況: 1月の77歳の誕生日には、弟の健夫さん・直道さんや原英莉花さんら教え子がお祝いに駆けつけ、尾崎は「(門下生は)かわいいね。もう孫みたいなのが、一生懸命頑張ってるんだから」と喜びました。この頃は、教え子やジュニアのために、ホームセンターで資材を買ってきて練習器具を自分で作っていました。

37「俺も優勝の数より2位の方が多いんだ」

— なかなか勝てずに苦しんでいた佐久間朱莉に(2026年1月、佐久間朱莉が明かした言葉)

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 佐久間朱莉さんが初優勝する前(2026年1月13日、年間女王の祝勝パーティの日に本人が明かした)

発言状況: 佐久間さんは、もう勝てないかもと思う時もあったけれど、あれだけ勝った人がそう言うのなら「私はまだまだだな」と、毎回気持ちを奮い立たせてもらったと話しています。「去年の結果があるのは、ジャンボさんのひと言もあったから」とも振り返りました。

38「あと一歩が届かない悔しさを体験して諦めずに努力した事が1つ目の勝利を呼び込んだね。朱莉、優勝おめでとう」

— 2025年4月20日、佐久間朱莉のツアー初優勝に寄せたメッセージ

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2025年4月20日

発言状況: 佐久間さんはKKT杯バンテリンレディスで、同じく尾崎に教わる小林夢果さんと首位で並んで終盤を迎え、初優勝をつかみました。それまでにプレーオフでの負けや1打差の2位を何度も経験しており、1打差で負けた富士フイルム・スタジオアリス女子オープンについて、本人は「一番きつかったのはスタジオアリスかな」と振り返っています。優勝の後に、尾崎から届いたのがこのメッセージです。

39「海外での初優勝がメジャーとは西郷らしいね。常に準備を怠らない西郷だからいずれ勝利の報告があるとは思っていた。西郷どんメジャー優勝おめでとう」

— 2025年4月28日、シェブロン選手権で優勝した西郷真央へ、自身のYouTubeチャンネルで

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2025年4月28日

発言状況: 西郷さんは、女子メジャーで史上最多の5人によるプレーオフを勝ち抜き、日本の女子選手で5人目のメジャー優勝を果たしました。教え子のメジャー優勝は、全米女子オープンを2度制した笹生優花さんに続いて2人目です。尾崎は自分の近影とともにこのメッセージを載せ、動画では西郷さんと笹生さんが尾崎の家で練習する数年前の様子も流しました。

40「朱莉年間女王おめでとう。1年を通して他の誰よりも強かったという証。昨年は勝つことが出来ずずいぶん悔しい思いをしたと思うが、その思いがあったからこそ、今年の成績に繋がったと思う。本当によかったな朱莉。残りの試合皆に今年の集大成見せてくれ」

— 2025年11月21日、年間女王を決めた佐久間朱莉に

この名言の背景を詳しく読む

発言時期: 2025年11月21日

発言状況: 佐久間さんは、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーから出た初めての年間女王です。その後、報告に来た佐久間さんには「強くなったな、おめでとう」と言い、すぐに「あれ、(国内)メジャーは獲ってないんだっけ?」と付け加えました。佐久間さんは、優勝を報告に行くと最初は「おめでとう」と言われるけれど、絶対に何かグサッとくる言葉がある、と話しています。尾崎が亡くなったのは、その年の12月23日でした。

ほかのゴルフ選手の名言も読みたい人は、ゴルフ選手の名言90選もどうぞ。ライバルだった青木功さんや、石川遼さん、松山英樹さんの言葉も載っています。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「100を切るのに趣味を捨てた」はジャンボ尾崎の言葉ですか?

本人がいつどこで言ったかが分かる記録は、Activel編集部が探した限り見つかりませんでした。2010年には作者の名前のない「ゴルフの格言」としてネットで紹介されており、ジャンボ尾崎の言葉とする書き込みで見つかった一番古いものは、2013年のブログです。

Q2. ジャンボ尾崎の座右の銘は何ですか?

本人が座右の銘として挙げた言葉は、見つかっていません。近い言葉は、デビューの頃から口癖のように言っていた「ゴルフは心・技・体ではなく、体・技・心の順なのだ」です。50〜60代には、サミュエル・ウルマンの『青春の詩』を「まさに自分の人生そのもの」とブログに書いています。

Q3. ジャンボ尾崎は弟子にどんな言葉をかけていましたか?

2018年にプロテストに合格した原英莉花さんには「脳が小学生だ」と言い、2025年に年間女王になった佐久間朱莉さんには「1年を通して他の誰よりも強かったという証」と祝福を送りました。2位が続いて悩む西郷真央さんには「勝つことが全てではない」と声をかけています。

Q4. 「いいぞ」はジャンボ尾崎の名言ですか?

1988年発売のファミコンのゲーム『ジャンボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル』には、尾崎さんがアドバイスをくれる「ジャンボ尾崎のワンポイントレッスン」の画面があり、画面の言葉を「いいぞ。」だけに書き換えたネタが、動画サイトを中心に流行しました。本人の言葉では、悩む石川遼さんにかけた「いいぞいいぞ、もっと悩め」があります。

Q5. ジャンボ尾崎は野球選手だったのですか?

はい。1964年の春に徳島海南高校のエースとして選抜高校野球大会で優勝し、翌年プロ野球の西鉄ライオンズに入りました。3シーズンで野球をあきらめてゴルフに移り、1970年にプロゴルファーになっています。

Q6. ジャンボ尾崎の名言集や語録の本はありますか?

本人が書いた名言集は見当たりません。プロゴルファーの金子柱憲さんが書いた『誰も書けなかったジャンボ尾崎』(2022年・本人公認)に、尾崎将司の名言を集めた「ジャンボの名言集」の章があります。


商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。

Follow Us
公式SNS
x logo facebook logo youtube logo
Search
サイト内検索