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エリック・カントナの名言30選!ブルーロックで引用された言葉とカモメの会見

エリック・カントナの名言30選!ブルーロックで引用された言葉とカモメの会見

「カモメがトロール船を追うのは…」。観客を蹴った事件の後、この名言だけを残して会見の席を立ったエリック・カントナ。「謙虚になること以外は、何でもできる」と言ってのける型破りなエリック・カントナの名言は、人に合わせて疲れた時、自分らしくいていいと思わせてくれます。

2026.10.25 | サッカー

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公式ライター
Activel編集部

エリック・カントナは、観客を蹴った事件の後の会見で「カモメがトロール船を追うのは、イワシが海に投げ込まれると思っているからだ」とだけ言い、席を立った選手です。マンチェスター・ユナイテッドで「キング」と呼ばれ、2023年には歌手として「謙虚になること以外は、何でもできる」と言ってのけました。人の目より自分を信じたエリック・カントナの名言は、周りに合わせすぎて疲れた時に、自分らしくいていいと思わせてくれます。『ブルーロック』で引用された「チームなんてどうでもいい」とは正反対の言葉や、ファーガソン監督への思いも、それが生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。

エリック・カントナのプロフィール

フランスのマルセイユで生まれたフォワードのエリック・カントナは、母国のクラブでは監督や審判とぶつかって何度も処分を受けました。1992年に渡ったイングランドで力が花開き、マンチェスター・ユナイテッドでは4年半でプレミアリーグを4回制して「キング」と呼ばれるようになりました。

基本プロフィール

マンチェスター・ユナイテッドでは背番号7を付け、ユニフォームの襟を立ててプレーする姿がトレードマークでした。

項目 内容
名前 エリック・カントナ
表記 Eric Cantona
生年月日 1966年5月24日
出身 フランス・マルセイユ
ポジション フォワード
身長 187cm
主な所属 オセール→マルセイユ→リーズ→マンチェスター・ユナイテッド
代表 フランス代表(45試合20得点)
主な個人賞 1993年バロンドール3位

マンチェスター・ユナイテッドでは公式戦185試合で82点を挙げ、そのうちプレミアリーグは143試合で64点です。リーズの時と合わせたプレミアリーグの通算は156試合70点で、プレミアリーグの殿堂にも選ばれています。フランス代表としては1987年8月にデビューし、最後の試合は1995年1月18日のオランダ戦です。その1週間後に、カンフーキック事件が起きました。

オセールからマンチェスター・ユナイテッド、30歳の引退までのキャリアの歩み

15歳で家族のいるマルセイユを出て、600km離れたオセールに入ったカントナは、その後マルセイユ、ボルドー、モンペリエ、ニームとクラブを移るたびに騒ぎを起こしました。1988年にはテレビの取材で代表監督をののしり、しばらくフランス代表から外されました。1991年12月にはニームの試合で主審にボールを投げつけて出場停止になり、そのまま一度は引退を口にしています。

年 主な出来事
1987年 フランス代表デビュー
1988年 マルセイユへ移籍
1991年12月 ニームで出場停止・引退を表明
1992年 リーズでリーグ優勝
1992年11月 マンチェスター・ユナイテッドへ
1995年1月 カンフーキック事件
1995年10月 出場停止が明けて復帰
1997年5月 30歳で引退
2005年 ビーチサッカーW杯優勝
2019年 UEFA 会長賞

マンチェスター・ユナイテッドでは、カンフーキック事件で8か月の出場停止を受けたあとも、ファーガソン監督に引き止められてクラブに残り、1997年5月、プレミアリーグの優勝トロフィーを掲げた数日後に、30歳で引退を発表しています。引退後は俳優として映画や舞台に立ち、2009年にはケン・ローチ監督の映画『エリックを探して』に本人役で出演しました。ビーチサッカーではフランス代表を率いて、2005年の第1回 FIFA ビーチサッカーW杯で優勝しました。2019年には UEFA 会長賞を受け、2023年には歌手として曲も出しています。

座右の銘

カントナの座右の銘に近い言葉は、2023年6月、歌手として曲を出した頃にイギリスの新聞ガーディアンの取材で話した「確かなのは、自分の疑いだけだ」です。自信と疑いは両立し、疑いがあるからこそ新しいことを試せる、という話の中で出てきた言葉です。年を取るほど、そう確信するようになったとも話しています。本人が座右の銘として「これだ」と挙げた言葉は、インタビューやクラブの公式サイトには見当たりません。

エリック・カントナの名言30選

エリック・カントナの経歴と、各時期に語った主な名言の年表

『ブルーロック』で引用された言葉のほかにも、カントナの名言には、自分こそ史上最高のフランス人選手だと言い切る強気な言葉と、家族や恩師、ファーガソン監督への思いを率直に語る言葉の両方があります。フランスで騒ぎを起こした頃、マンチェスター・ユナイテッドで「キング」と呼ばれた頃、カンフーキック事件の後、引退して俳優や歌手になってからと、言葉が出てきた時を知ると、型破りに見えた行動の裏にあった考えが見えてきます。

ブルーロックで引用された「チームなんてどうでもいい」

2018年に週刊少年マガジンで連載が始まった『ブルーロック』の1話で、指導者の絵心甚八は、世界一のストライカーになるには世界一のエゴイストでなければならないと説き、実在の名選手の言葉を引きます。その一人がエリック・カントナで、作中で引用された言葉は、名言サイトなどで「チームなんてどうでもいい」「俺が目立てばいい」と紹介されています。

ところが、この言葉に当たる英語やフランス語の記録は、カントナのインタビューや会見、FIFA・UEFA の公式サイト、英語の名言サイトをたどっても出てきません。日本語の「チームなんてどうでもいい」は、連載が始まる4年前の2014年には、すでに日本の名言サイトに載っています。反対にカントナは、リーズにいた1992年8月、ハットトリックを決めた試合の後に、自分よりチームが大事だと言い切っていました。

01「3点取れてとてもうれしい。でも僕自身は、それほど大事じゃない。大事なのはチーム全体だ」

“I’m very happy to score three goals but me, I’m not very important. It’s more important for the whole team.”

— 1992年8月8日、リーズの一員としてリバプール相手にハットトリックを決めた試合の後に

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発言時期: 1992年8月8日(FA チャリティ・シールド。前のシーズンのリーグ王者と FA カップ王者が戦う、開幕前の一戦)

発言状況: シーズンの始まりを告げるウェンブリーでの一戦で、リーズはリバプールに4-3で勝ち、カントナは3点を決めました。試合の後、カントナは手柄をチームメイトに譲ってこの言葉を口にしました。前線でコンビを組んだリー・チャップマンは「3点を取って当然の出来だった。彼は今季、すばらしいシーズンを送るだろう」と話しています。

フランス時代の名言

マルセイユで育ったカントナは、15歳でオセールに入り、フランスのクラブを渡り歩きました。代表監督への暴言や、主審にボールを投げつけた件など騒ぎの多い時代でしたが、のちのインタビューでは、家族や恩師への思いを率直に語っています。

02「僕は幸せな子どもだった。強くて仲のいい家族がいて、それが受けられるいちばんの教育だった。みんなで歌い、笑い、愛し合っていた。僕たちは移民で、地中海の人間なんだ」

“I was a happy child. We had a strong, close family, which gives you the best education you can get. … We sang, smiled and loved. We were immigrants, Mediterranean people.”

— 2008年、イギリスのサッカー誌 FourFourTwo で読者の質問に答えて

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発言時期: 2008年(FourFourTwo の2008年11月号)

発言状況: 読者から寄せられた質問に本人が答える企画で、「マルセイユで育った頃の一番の思い出は? 幸せな子どもだった?」と聞かれた時の答えです。労働者の一家で、小さなことに満足し、礼儀正しく、人を敬って暮らしていたと続けています。本人は、父はイタリアから、母はバルセロナから来たと話し、祖父の一人はスペイン内戦の後にフランスへ来た人だったとも振り返っています。

03「両親は、世界の美しさも悲しさも見つめる義務があると教えてくれた。車で走っていると、父は何かを見つけて車を止め、『ほら、あのきれいな光を見てごらん』と言うんだ」

“my parents taught us that we had a duty to observe the world – the beauty of it, the tragedy of it. We would be driving and my father would see something and stop the car, saying: ‘Look at that beautiful light.'”

— 2012年3月、イギリスの新聞オブザーバーの取材で

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発言時期: 2012年3月(パリのカフェで受けた取材)

発言状況: カントナは、祖父母が家に作り替えた丘の洞窟で、2人の兄弟と育ちました。精神科の看護師だった父は、売るためではなく描かずにいられないから絵を描く人で、子どもたちを美術館にも連れて行きました。カントナは、細かなところを見ることで自分たちは育てられたと話しています。

04「マルセイユの家族と離れて、600km先のオセールへ行った。まだ15歳だった。僕たち若い選手にとって、ギー・ルー監督は父親のような人だった。……オセールで、僕は家族を見つけたんだ」

“I left my family in Marseille to go to Auxerre, which was 600 kilometres away. I was just 15. For us young players, Guy Roux was like a father. … But at Auxerre I found my family.”

— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(オセールの監督ギー・ルーについて)

05「いつか、アンリ・ミシェルが世界のサッカーで最も無能な代表監督の一人だと、みんなが気づく日が来てほしい」

“Je souhaite qu’un jour, on s’aperçoive qu’Henri Michel est l’un des plus incompétents sélectionneurs du football mondial…”

— 1988年8月21日、フランス代表に選ばれなかった後のテレビの取材で

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発言時期: 1988年8月21日(フランスのテレビ局アンテーヌ2の昼のニュース)

発言状況: 8月24日のチェコスロバキアとの親善試合のメンバーから外された後の取材で、カントナは代表監督のアンリ・ミシェルを名指しして、この言葉のほかに「クソ野郎とそう変わらない」とまで言いました。この発言で、カントナはしばらくフランス代表から締め出されています。日本の名言サイトで「クズ野郎、世界のサッカー界で最も無能な監督の一人」として載っている言葉は、この2つの発言をつなげた形です。

06「経験があっても、人は間違える。でもその間違いから学ばなければ、うまくはなれない。サッカーでも、人生でも」

“because even with experience, you can make a mistake. But you have to learn from mistakes to improve, both in football and in your life.”

— 2008年、FourFourTwo で、1993年にW杯出場を逃したブルガリア戦を振り返って

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発言時期: 2008年(出来事は1993年11月17日)

発言状況: 1994年アメリカW杯の予選、パリでのブルガリア戦で、先制点を決めたのはカントナでした。ところが追いつかれ、試合終了間際に勝ち越されて1-2で敗れ、フランスはW杯に出られませんでした。読者にこの試合のことを聞かれたカントナは、最後の数秒で決勝点を許したことを振り返り、この言葉で答えています。

07「(史上最高のフランス人選手は、プラティニか、ジダンか、それともほかの誰か?)ほかの誰かだ。僕だよ」

“Somebody else. Me.”

— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて

リーズとマンチェスター・ユナイテッド時代の名言

1992年にイングランドへ渡ったカントナは、リーズで優勝を経験したあと、マンチェスター・ユナイテッドで背番号7の「キング」になりました。この頃の言葉には、イングランドで自由になれたという振り返りや、トレードマークの襟立てのきっかけ、後輩のベッカムやロナウドへの評価があります。2人自身の言葉はベッカムの名言とクリスティアーノ・ロナウドの名言で読めます。

08「イングランドで、すべてが変わった。僕は自由になった」

“In England everything changed and I felt free.”

— 2020年2月、マンチェスター・ユナイテッドの公式ポッドキャストで

09「その頃、僕は何かを見つけた。前は人に期待しすぎていたと気づいたんだ。好きな人たちには、自分のことも好きでいてほしかった。でもそれでは、その考えのとりこになってしまう。だから答えを探して、言葉を見つけた。フランス語で言えば『ジュ・スイ・ド・パサージュ(僕は通りすがりだ)』。この言葉が、人としても選手としても、とても助けになった」

“At this time, I found something. I realised I expected too much from people before. I thought I loved these kinds of people, and I wanted them to love me. Then I realised, you become a prisoner of this idea. So I tried to find the solution. I found the words. In French, it is to say ‘Je suis de passage’ (I am in transit). It helped me a lot as a man and a player.”

— 2022年、スポーツ媒体 The Athletic の取材で(リーズに来た頃の心の持ち方を振り返って)

10「考えてやったことじゃない。シャツを着たら寒い日で、襟が立ったままだったから、そのままにした。その試合に勝ったから、襟を立ててプレーするのが習慣になったんだ」

“It wasn’t an idea. I put my shirt on. It was a cold day. The collar stayed up so I kept it like that. We won, so it became a habit to play with my collar up.”

— 2008年、FourFourTwo で、襟を立てたきっかけを聞かれて

11「ベッカムはチームを勝たせることができる。ロナウドも同じだ。点はロナウドの方が多く取るけれど、試合への影響は同じだ」

“Beckham can help a team win a game. Ronaldo does the same. He scores more goals than Beckham, but their influence is the same.”

— 2008年、FourFourTwo で、背番号7の後継者としてベッカムとロナウドのどちらが上かを聞かれて

12「僕がいた頃、監督はもう何年もクラブにいたのに、毎試合が初めての試合のようだった。子どものようだった。だから選手に、あの情熱と火をくれるんだ」

“I remember that when I was there he had been there for years and it was still like every game was like his first one. He was like a child. So he gives you that passion, that fire.”

— 2012年4月、イギリスの雑誌ビッグイシューの取材で(ファーガソン監督について)

13「リバプールとの FA カップ決勝のゴールが、僕の生涯最高のゴールだ。ボレーで決勝点を決めたんだ」

“The goal in the FA Cup final against Liverpool is my greatest ever. I volleyed home the winning goal.”

— 2016年10月、マレーシアのクアラルンプールでファンと会った席で

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発言時期: 2016年10月2日(出来事は1996年5月11日)

発言状況: FA カップは、プロもアマチュアも出るイングランドのカップ戦です。1996年の決勝は、ウェンブリーでのリバプール戦でした。主将のスティーブ・ブルースがいないこの試合でカントナが主将を務め、自らボレーで決勝点を決めて1-0で勝っています。マンチェスター・ユナイテッドはこの年、リーグと FA カップの2冠を取っています。クアラルンプールでは、この言葉の前に「リバプール相手に僕が悪い試合をしたことがあるか、リバプールのファンに聞いてみるといい」と切り出していました。

14「お手本になりたいと思ったことは一度もない。お手本でいるのは、牢屋に入っているような気分になる」

“I never wanted to be an example. It’s a way to feel like being in jail.”

— 2020年2月、クラブの公式ポッドキャストで(ベッカムら若い選手への影響を聞かれて)

15「頂点にいるうちに引退すると、ずっと決めていた。マンチェスター・ユナイテッドで、僕はキャリアの頂点にたどり着いた」

“I always planned to retire when I was at the top and, at Manchester United, I have reached the pinnacle of my career.”

— 1997年5月、クラブが読み上げた引退の声明で

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発言時期: 1997年5月18日

発言状況: シーズン最後のウェストハム戦で、主将としてプレミアリーグの優勝トロフィーを掲げた数日後の発表です。マーティン・エドワーズ会長が急いで開いた会見にカントナは出ず、クラブが本人の声明を読み上げました。声明は「13年間プロとしてプレーしてきた。長い時間だ。これからは別のことをしたい」と始まります。31歳の誕生日を迎える6日前でした。

カンフーキック事件とカモメの会見の言葉

1995年1月25日、クリスタル・パレス戦で退場になったカントナは、ピッチの外を引き上げる途中で、罵声を浴びせようと観客席の前列まで下りてきた男性に向かって、飛び蹴りをしました。このカンフーキック事件のあと、クラブはシーズンの終わりまで、イングランドのサッカー協会は9月末まで、カントナを試合に出しませんでした。カントナは2008年の取材でも、2021年のドキュメンタリー映画でも、もっと強く蹴ればよかったと口にしています。

16「カモメがトロール船を追うのは、イワシが海に投げ込まれると思っているからだ」

“When seagulls follow the trawler it is because they think sardines will be thrown into the sea”

— 1995年3月31日、控訴審の後の会見で(この言葉だけを言って席を立った)

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発言時期: 1995年3月31日

発言状況: トロール船は、網を引いて魚をとる漁船のことです。事件の後、カントナは暴行の罪で禁錮2週間を言い渡されました。この日、ロンドン南部のクロイドンの裁判所で開かれた控訴審で、刑はマンチェスターの子どもたちにサッカーを教える120時間の社会奉仕に変わりました。報道陣が待つ会見で、カントナは水を一口飲んでからこの言葉を言い、会見場を出て行きました。残されたクラブの法務担当のモーリス・ワトキンスは「よく分からない言葉だった。彼はもううんざりしていて、ここに残って質問に答えたくないだけだ」と話しました。

17「何か言ったけれど、僕には何の意味もなかった。なのにみんなが意味を探した。それが楽しかった」

“I said something and it meant nothing to me, and they all tried to find meaning. I loved it.”

— 2020年2月、クラブの公式ポッドキャストで(カモメの言葉を振り返って)

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発言時期: 2020年2月

発言状況: カントナは、準備した言葉ではなかったと振り返っています。記者とは話さないつもりだったのに、法務担当のワトキンスに、何か言わなければだめだと説得されたそうです。「『この納屋が大好きだ』と言ってもよかった」とも話しました。ただし、ワトキンスは後に、2人で紙に下書きしたと話しており、本人の説明も年によって変わっています。2024年のフランスのテレビ番組では「話してほしいと言われたから話した。ただ出てきて、それで出て行った」と語りました。

出典: マンチェスター・ユナイテッド公式サイト(2020年2月16日)

18「あれはドラマで、僕は役者だった。僕は物事を真剣にやるけれど、自分のことは真剣に考えない」

“It was a drama and I was an actor. I do things seriously without taking myself seriously.”

— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(事件の映像を見たかと聞かれて)

19「ファンは平日にマンチェスターからクロイドンまで来てくれた。その支えを感じて、とても助けられた。クラブも支えてくれた。だから僕は残ったんだ」

“They travelled from Manchester, in the middle of the week, to Croydon. I could feel that support and it helped me a lot. The club, also, supported me. So I stayed.”

— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(出場停止の間もクラブに残った理由)

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発言時期: 2008年(出来事は1995年)

発言状況: 出場停止の間には、イタリアのインテルへの移籍が決まりかけていました。ファーガソン監督はパリまで出向き、閉店の札を掛けた小さなレストランでカントナと会って、引き止めています。カントナは1995年10月1日のリバプール戦で復帰し、開始2分にアシストを記録して、後半には PK を決めて2-2の引き分けに持ち込みました。

20「監督はいつものように、正しい言葉を見つけてくれた。僕は監督を愛し、尊敬していた。父親のように」

“The manager found the right words like always. And I loved him and respected him. Like a father.”

— 2021年、クラブの歴史を描いたドキュメンタリー映画『The United Way』で(事件の後のファーガソン監督について)

21「何千回も侮辱されて、一度も言い返さなかった。でも、人はもろくなる時がある」

“I have been insulted thousands of times and have never reacted, but sometimes you are fragile.”

— 2021年、ドキュメンタリー映画『The United Way』で(事件を振り返って)

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発言時期: 2021年(映画の公開は2021年5月)

発言状況: 本人が語り手を務めた、マンチェスター・ユナイテッドの歴史を描くドキュメンタリーでの言葉です。この言葉に続けて「後悔は1つだけ。もっと強く蹴ればよかった」と言い、さらに「9か月の出場停止になった。みんなは僕を見せしめにしたかったんだ」と語っています。クラブやイングランドのサッカー協会の記録では、出場停止は1995年9月末までの8か月です。

引退後の名言(俳優・UEFA 会長賞のスピーチ)

30歳で引退したカントナは、俳優、ビーチサッカーの監督、歌手と、サッカーの外へ活動を広げました。引退の理由を振り返る言葉のほか、2016年にマンチェスター・ユナイテッドに加わったイブラヒモビッチへ「君は王子になればいい」と語りかけた動画、2019年の UEFA 会長賞でシェイクスピアの一節から始めたスピーチ、ファーガソン元監督をかばった投稿など、引退後も言葉で話題を作り続けています。イブラヒモビッチ自身の言葉はイブラヒモビッチの名言で読めます。

22「ある日、もうこれ以上うまくならないと気づく。そして、情熱を少し失うんだ」

“One day you realise you will not improve any more, and you lose a bit of the passion.”

— 2009年5月、イギリスの新聞ガーディアンの取材記事で(1997年の引退を振り返って)

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発言時期: 2009年5月9日に載った記事(取材は2008年、映画『エリックを探して』の撮影現場などで)

発言状況: 1997年に引退を決めた理由を聞かれ、「これ以上うまくプレーできないと感じたからだ。『いつだってもっとうまくなれる』と自分に言い聞かせなければいけない」と話した後の言葉です。引退は死のようだったと話したのは本当かと聞かれると、24歳の時に2〜3か月サッカーをやめたことがあり、その時も死のように感じたと答えています。

23「僕は人間じゃない。フランス人でもない。エリック・カントナだ!」

“I am not a man. I am not French. I am Eric Cantona!”

— 2020年2月、マンチェスター・ユナイテッドの公式ポッドキャストで

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発言時期: 2020年2月

発言状況: よく似た「俺は人間じゃない、カントナだ」は、2009年の映画『エリックを探して』で、カントナが本人役で言う台詞です。脚本家のポール・ラヴァティが書いた台詞で、主人公との冗談の場面でした。こちらは、その11年後に本人がクラブ公式のポッドキャストに出演した回の言葉です。どの質問に答えた言葉なのかは、クラブの公式サイトの記事にも書かれていません。

24「マンチェスターに王は1人しかいない。なりたいなら、君は王子になればいい。……王は去った。王子、万歳!」

“there can only be one King in Manchester. You can be the Prince if you want to. … The King is gone! Long live the Prince!”

— 2016年7月、マンチェスター・ユナイテッドに加わったイブラヒモビッチに向けた動画で

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発言時期: 2016年7月

発言状況: イブラヒモビッチが加入した直後に、スポーツ専門局ユーロスポーツのために撮った動画のメッセージで、「赤を選んだのは君の人生で最高の選択だ」と歓迎し、「背番号7が欲しければ君のものだ。それが僕からの歓迎の贈り物だ」と続けました。イブラヒモビッチはこれに、自分はマンチェスターの王ではなく神になると返しています。

25「『神々にとって私たちは、いたずらな子どもにとってのハエのようなもの。神々は戯れに私たちを殺す』……私はサッカーを愛している。ありがとう」

“As flies to wanton boys we are for the gods, they kill us for their sport … I love football. Thank you.”

— 2019年8月29日、UEFA 会長賞を受けた時のスピーチで

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発言時期: 2019年8月29日(モナコでのチャンピオンズリーグの組み合わせ抽選会)

発言状況: UEFA のチェフェリン会長から賞を受けたカントナは、正装の会場にハンチング帽と赤いシャツで登壇し、シェイクスピアの『リア王』の一節から話し始めました。科学が老化を止めて人は永遠に生きるようになり、事故と犯罪と戦争だけが人を殺す、と続けて、最後に「サッカーを愛している」と結んでいます。この一節を選んだのは、画家フランシス・ベーコンが好んでいたと読んだのがきっかけだと、後にクラブの取材で明かしました。

出典: マンチェスター・ユナイテッド公式サイト(2019年10月10日)

26「ルイ16世以来、いちばんだめな代表監督」

« le sélectionneur le plus nul depuis Louis XVI »

— 2009年11月、マルセイユでのビーチサッカーの大会の前の会見で(フランス代表のドメネク監督について)

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発言時期: 2009年11月

発言状況: フランス代表がアイルランドとのプレーオフを戦った後の言葉です。ルイ16世は、フランス革命で処刑された18世紀のフランス国王です。ドメネク監督は「ルイ16世が代表監督だったとは知らなかった」と返しました。

27「ロナウドは分かっていなかったし、今も分かっていない。もう25歳じゃないんだ。……キャリアの終わりは、死ぬようなもの。小さな死だ」

“I think Ronaldo didn’t realise – and he still doesn’t realise – he’s not 25 years old. … The end of a career is like dying. It’s a little death.”

— 2023年1月、マンチェスターの地元紙の取材で(ユナイテッドを去ったクリスティアーノ・ロナウドについて)

28「歌詞も曲も自分で書いて、ビデオも自分で書いて撮った。謙虚になること以外は、何でもできる」

“I did the lyrics, I wrote the music, I wrote the video and directed the video. I can do everything but be humble.”

— 2023年6月、イギリスの新聞ガーディアンの取材で(歌手として出した曲について)

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発言時期: 2023年6月

発言状況: 13歳の息子が出演するミュージックビデオを自分で撮った話の中での一言です。本当に謙虚さがないのかと聞かれると、カントナは笑い出しました。記者に自分を笑うということかと返されると、「そう。自分を、あるいは人生を笑っているんだ。人生はサーカス、大きなサーカスだよ」と答えました。

29「自分を表現する機会がないなら、死んだほうがいい。挑戦が必要なんだ。生きていると感じるには、内側に火を感じていたい」

“If I don’t have the opportunity to express myself, I prefer to die. I just need challenge. To feel alive, I need to feel fire inside me.”

— 2023年6月、同じガーディアンの取材で(引退後の人生を聞かれて)

30「サー・アレックス・ファーガソンは、永遠に私のボスだ!」

“Sir Alex Ferguson will be my boss forever!”

— 2024年10月、マンチェスター・ユナイテッドがファーガソン元監督に払っていたクラブ大使の報酬を打ち切ると決めた後、本人の Instagram の投稿で

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発言時期: 2024年10月

発言状況: 投稿では「ファーガソンは、死ぬその日までクラブで好きなことをしていいはずだ。なんという敬意のなさだ」とも書いています。

名言サイトでよく見かける言葉の出どころ

日本の名言サイトには、カントナの言葉として、ここまでの30選に入っていない言葉もたくさん載っています。その中には、映画の台詞だったもの、元の言葉から意味が変わって広まったもの、いつ・どこで言ったのか分からないものが混ざっています。

映画の台詞: 「俺は人間じゃない、カントナだ」「俺は観客を驚かせたかった。毎試合、何か贈り物がしたかった」などは、2009年の映画『エリックを探して』で、カントナが本人役で言う台詞です。脚本はポール・ラヴァティが書いていて、本人のインタビューの言葉ではありません。

意味が変わって広まった言葉: 引退の時の言葉として載っている「私はサッカーに対する情熱を失ってしまった」は、UEFA 公式サイトの英語の記事では「試合は大好きだった。でも、早く寝て、友だちと出かけず、酒も飲まない生活を続ける情熱がもう無かった」という言葉です。また、1997年の引退は本人が会見を開いたのではなく、クラブが声明を読み上げたものでした。

元の記録が見つからない言葉: 「世間では普通と違う人間を異常と呼ぶ。私はそう呼ばれることを誇りに思っている」「ゴールすることが美しいのではない。シュートをする、その行為が美しいのだよ」「監督やチームメイトが何を言おうが関係ないね」などは、本人がいつ・どこで言ったのかが分かる記録が見当たりません。

反対に、出どころのはっきりしない言葉に見えて、公式の記録に本人の言葉として載っているものもあります。「俺の墓石には、どんな言葉も刻んで欲しくない」は、FIFA 公式サイトにフランス語の « Je ne veux aucune inscription sur ma tombe. Une pierre vierge. J’aimerais laisser une image de mystère. »(墓には何も刻んでほしくない。まっさらな石でいい。謎のイメージを残したい)として載っています。ただし、いつ・どこで言ったかは、FIFA の記事にも書かれていません。

よくある質問(Q&A)

Q1. ブルーロックで引用されたカントナの言葉は?

名言サイトなどでは「チームなんてどうでもいい」「俺が目立てばいい」と紹介されています。『ブルーロック』の1話で、指導者の絵心甚八が、世界一のストライカーになるには世界一のエゴイストでなければならないと説く場面で、エリック・カントナの言葉として引用されます。アニメでは2022年10月に放送された第1話の場面です。

Q2. 「チームなんてどうでもいい」は本当にカントナの言葉?

英語やフランス語の元の記録は見つかっていません。日本語の「チームなんてどうでもいい」は、『ブルーロック』の連載が始まる前の2014年には、すでに日本の名言サイトに載っていました。反対に、1992年8月にリーズでハットトリックを決めた試合の後には、「僕自身はそれほど大事じゃない。大事なのはチーム全体だ」と話した記録が残っています。

Q3. カモメの言葉はどういう意味?

本人は、自分には何の意味もなかったと振り返っています。1995年3月31日、カントナはカンフーキック事件の控訴審の後の会見で、この言葉だけを言って席を立ちました。イギリスの報道では、自分を追い回す報道陣をカモメにたとえた言葉として受け止められ、その意味が長く議論されてきました。本人は2020年、マンチェスター・ユナイテッドの公式ポッドキャストで、準備した言葉ではなかったと話し、それなのにみんなが意味を探したのが楽しかった、とも語っています。一方で、クラブの法務担当だったモーリス・ワトキンスは、2人で紙に下書きしたと話していて、本人の説明も年によって変わっています。

Q4. カンフーキック事件では何があった?なぜ観客を蹴った?

1995年1月25日のクリスタル・パレス戦で退場になったカントナが、ピッチの外を引き上げる途中で、罵声を浴びせようと観客席の前列まで下りてきた男性に、飛び蹴りをした事件です。男性が実際に何と言ったかは資料によって違い、男性自身も後に正確には覚えていないと話しています。禁錮2週間の判決は控訴審で社会奉仕に変わり、カントナは出場停止が明けた1995年10月1日に復帰しました。2021年には「何千回も侮辱されて、一度も言い返さなかった。でも、人はもろくなる時がある」と振り返っています。

Q5. 襟を立てていたのはなぜ?

カントナの襟立ては、考えてやったことではありませんでした。2008年にサッカー誌の読者の質問に答えて、寒い日に着たシャツの襟が立ったままだったのでそのままにし、その試合に勝ったので習慣になった、と本人が振り返っています。いつの試合だったかは、本人も話していません。

Q6. カントナの名言は英語?フランス語?

両方あります。フランスで暮らしていた頃の取材や、2009年のドメネク監督への言葉はフランス語で、イングランドに渡ってからのインタビューやクラブの公式ポッドキャスト、UEFA 会長賞のスピーチは英語です。カモメの言葉も英語で、控訴審の後の会見で口にしました。


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