エリック・カントナの名言30選!ブルーロックで引用された言葉とカモメの会見
「カモメがトロール船を追うのは…」。観客を蹴った事件の後、この名言だけを残して会見の席を立ったエリック・カントナ。「謙虚になること以外は、何でもできる」と言ってのける型破りなエリック・カントナの名言は、人に合わせて疲れた時、自分らしくいていいと思わせてくれます。
Writer
公式ライター Activel編集部
エリック・カントナは、観客を蹴った事件の後の会見で「カモメがトロール船を追うのは、イワシが海に投げ込まれると思っているからだ」とだけ言い、席を立った選手です。マンチェスター・ユナイテッドで「キング」と呼ばれ、2023年には歌手として「謙虚になること以外は、何でもできる」と言ってのけました。人の目より自分を信じたエリック・カントナの名言は、周りに合わせすぎて疲れた時に、自分らしくいていいと思わせてくれます。『ブルーロック』で引用された「チームなんてどうでもいい」とは正反対の言葉や、ファーガソン監督への思いも、それが生まれた場面と一緒にたどっていきましょう。
エリック・カントナのプロフィール
フランスのマルセイユで生まれたフォワードのエリック・カントナは、母国のクラブでは監督や審判とぶつかって何度も処分を受けました。1992年に渡ったイングランドで力が花開き、マンチェスター・ユナイテッドでは4年半でプレミアリーグを4回制して「キング」と呼ばれるようになりました。
基本プロフィール
マンチェスター・ユナイテッドでは背番号7を付け、ユニフォームの襟を立ててプレーする姿がトレードマークでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | エリック・カントナ |
| 表記 | Eric Cantona |
| 生年月日 | 1966年5月24日 |
| 出身 | フランス・マルセイユ |
| ポジション | フォワード |
| 身長 | 187cm |
| 主な所属 | オセール→マルセイユ→リーズ→マンチェスター・ユナイテッド |
| 代表 | フランス代表(45試合20得点) |
| 主な個人賞 | 1993年バロンドール3位 |
マンチェスター・ユナイテッドでは公式戦185試合で82点を挙げ、そのうちプレミアリーグは143試合で64点です。リーズの時と合わせたプレミアリーグの通算は156試合70点で、プレミアリーグの殿堂にも選ばれています。フランス代表としては1987年8月にデビューし、最後の試合は1995年1月18日のオランダ戦です。その1週間後に、カンフーキック事件が起きました。
オセールからマンチェスター・ユナイテッド、30歳の引退までのキャリアの歩み
15歳で家族のいるマルセイユを出て、600km離れたオセールに入ったカントナは、その後マルセイユ、ボルドー、モンペリエ、ニームとクラブを移るたびに騒ぎを起こしました。1988年にはテレビの取材で代表監督をののしり、しばらくフランス代表から外されました。1991年12月にはニームの試合で主審にボールを投げつけて出場停止になり、そのまま一度は引退を口にしています。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1987年 | フランス代表デビュー |
| 1988年 | マルセイユへ移籍 |
| 1991年12月 | ニームで出場停止・引退を表明 |
| 1992年 | リーズでリーグ優勝 |
| 1992年11月 | マンチェスター・ユナイテッドへ |
| 1995年1月 | カンフーキック事件 |
| 1995年10月 | 出場停止が明けて復帰 |
| 1997年5月 | 30歳で引退 |
| 2005年 | ビーチサッカーW杯優勝 |
| 2019年 | UEFA 会長賞 |
マンチェスター・ユナイテッドでは、カンフーキック事件で8か月の出場停止を受けたあとも、ファーガソン監督に引き止められてクラブに残り、1997年5月、プレミアリーグの優勝トロフィーを掲げた数日後に、30歳で引退を発表しています。引退後は俳優として映画や舞台に立ち、2009年にはケン・ローチ監督の映画『エリックを探して』に本人役で出演しました。ビーチサッカーではフランス代表を率いて、2005年の第1回 FIFA ビーチサッカーW杯で優勝しました。2019年には UEFA 会長賞を受け、2023年には歌手として曲も出しています。
座右の銘
カントナの座右の銘に近い言葉は、2023年6月、歌手として曲を出した頃にイギリスの新聞ガーディアンの取材で話した「確かなのは、自分の疑いだけだ」です。自信と疑いは両立し、疑いがあるからこそ新しいことを試せる、という話の中で出てきた言葉です。年を取るほど、そう確信するようになったとも話しています。本人が座右の銘として「これだ」と挙げた言葉は、インタビューやクラブの公式サイトには見当たりません。
エリック・カントナの名言30選

『ブルーロック』で引用された言葉のほかにも、カントナの名言には、自分こそ史上最高のフランス人選手だと言い切る強気な言葉と、家族や恩師、ファーガソン監督への思いを率直に語る言葉の両方があります。フランスで騒ぎを起こした頃、マンチェスター・ユナイテッドで「キング」と呼ばれた頃、カンフーキック事件の後、引退して俳優や歌手になってからと、言葉が出てきた時を知ると、型破りに見えた行動の裏にあった考えが見えてきます。
ブルーロックで引用された「チームなんてどうでもいい」
2018年に週刊少年マガジンで連載が始まった『ブルーロック』の1話で、指導者の絵心甚八は、世界一のストライカーになるには世界一のエゴイストでなければならないと説き、実在の名選手の言葉を引きます。その一人がエリック・カントナで、作中で引用された言葉は、名言サイトなどで「チームなんてどうでもいい」「俺が目立てばいい」と紹介されています。
ところが、この言葉に当たる英語やフランス語の記録は、カントナのインタビューや会見、FIFA・UEFA の公式サイト、英語の名言サイトをたどっても出てきません。日本語の「チームなんてどうでもいい」は、連載が始まる4年前の2014年には、すでに日本の名言サイトに載っています。反対にカントナは、リーズにいた1992年8月、ハットトリックを決めた試合の後に、自分よりチームが大事だと言い切っていました。
01「3点取れてとてもうれしい。でも僕自身は、それほど大事じゃない。大事なのはチーム全体だ」
“I’m very happy to score three goals but me, I’m not very important. It’s more important for the whole team.”
— 1992年8月8日、リーズの一員としてリバプール相手にハットトリックを決めた試合の後に
フランス時代の名言
マルセイユで育ったカントナは、15歳でオセールに入り、フランスのクラブを渡り歩きました。代表監督への暴言や、主審にボールを投げつけた件など騒ぎの多い時代でしたが、のちのインタビューでは、家族や恩師への思いを率直に語っています。
02「僕は幸せな子どもだった。強くて仲のいい家族がいて、それが受けられるいちばんの教育だった。みんなで歌い、笑い、愛し合っていた。僕たちは移民で、地中海の人間なんだ」
“I was a happy child. We had a strong, close family, which gives you the best education you can get. … We sang, smiled and loved. We were immigrants, Mediterranean people.”
— 2008年、イギリスのサッカー誌 FourFourTwo で読者の質問に答えて
03「両親は、世界の美しさも悲しさも見つめる義務があると教えてくれた。車で走っていると、父は何かを見つけて車を止め、『ほら、あのきれいな光を見てごらん』と言うんだ」
“my parents taught us that we had a duty to observe the world – the beauty of it, the tragedy of it. We would be driving and my father would see something and stop the car, saying: ‘Look at that beautiful light.'”
— 2012年3月、イギリスの新聞オブザーバーの取材で
04「マルセイユの家族と離れて、600km先のオセールへ行った。まだ15歳だった。僕たち若い選手にとって、ギー・ルー監督は父親のような人だった。……オセールで、僕は家族を見つけたんだ」
“I left my family in Marseille to go to Auxerre, which was 600 kilometres away. I was just 15. For us young players, Guy Roux was like a father. … But at Auxerre I found my family.”
— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(オセールの監督ギー・ルーについて)
05「いつか、アンリ・ミシェルが世界のサッカーで最も無能な代表監督の一人だと、みんなが気づく日が来てほしい」
“Je souhaite qu’un jour, on s’aperçoive qu’Henri Michel est l’un des plus incompétents sélectionneurs du football mondial…”
— 1988年8月21日、フランス代表に選ばれなかった後のテレビの取材で
06「経験があっても、人は間違える。でもその間違いから学ばなければ、うまくはなれない。サッカーでも、人生でも」
“because even with experience, you can make a mistake. But you have to learn from mistakes to improve, both in football and in your life.”
— 2008年、FourFourTwo で、1993年にW杯出場を逃したブルガリア戦を振り返って
07「(史上最高のフランス人選手は、プラティニか、ジダンか、それともほかの誰か?)ほかの誰かだ。僕だよ」
“Somebody else. Me.”
— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて
リーズとマンチェスター・ユナイテッド時代の名言
1992年にイングランドへ渡ったカントナは、リーズで優勝を経験したあと、マンチェスター・ユナイテッドで背番号7の「キング」になりました。この頃の言葉には、イングランドで自由になれたという振り返りや、トレードマークの襟立てのきっかけ、後輩のベッカムやロナウドへの評価があります。2人自身の言葉はベッカムの名言とクリスティアーノ・ロナウドの名言で読めます。
08「イングランドで、すべてが変わった。僕は自由になった」
“In England everything changed and I felt free.”
— 2020年2月、マンチェスター・ユナイテッドの公式ポッドキャストで
09「その頃、僕は何かを見つけた。前は人に期待しすぎていたと気づいたんだ。好きな人たちには、自分のことも好きでいてほしかった。でもそれでは、その考えのとりこになってしまう。だから答えを探して、言葉を見つけた。フランス語で言えば『ジュ・スイ・ド・パサージュ(僕は通りすがりだ)』。この言葉が、人としても選手としても、とても助けになった」
“At this time, I found something. I realised I expected too much from people before. I thought I loved these kinds of people, and I wanted them to love me. Then I realised, you become a prisoner of this idea. So I tried to find the solution. I found the words. In French, it is to say ‘Je suis de passage’ (I am in transit). It helped me a lot as a man and a player.”
— 2022年、スポーツ媒体 The Athletic の取材で(リーズに来た頃の心の持ち方を振り返って)
10「考えてやったことじゃない。シャツを着たら寒い日で、襟が立ったままだったから、そのままにした。その試合に勝ったから、襟を立ててプレーするのが習慣になったんだ」
“It wasn’t an idea. I put my shirt on. It was a cold day. The collar stayed up so I kept it like that. We won, so it became a habit to play with my collar up.”
— 2008年、FourFourTwo で、襟を立てたきっかけを聞かれて
11「ベッカムはチームを勝たせることができる。ロナウドも同じだ。点はロナウドの方が多く取るけれど、試合への影響は同じだ」
“Beckham can help a team win a game. Ronaldo does the same. He scores more goals than Beckham, but their influence is the same.”
— 2008年、FourFourTwo で、背番号7の後継者としてベッカムとロナウドのどちらが上かを聞かれて
12「僕がいた頃、監督はもう何年もクラブにいたのに、毎試合が初めての試合のようだった。子どものようだった。だから選手に、あの情熱と火をくれるんだ」
“I remember that when I was there he had been there for years and it was still like every game was like his first one. He was like a child. So he gives you that passion, that fire.”
— 2012年4月、イギリスの雑誌ビッグイシューの取材で(ファーガソン監督について)
13「リバプールとの FA カップ決勝のゴールが、僕の生涯最高のゴールだ。ボレーで決勝点を決めたんだ」
“The goal in the FA Cup final against Liverpool is my greatest ever. I volleyed home the winning goal.”
— 2016年10月、マレーシアのクアラルンプールでファンと会った席で
14「お手本になりたいと思ったことは一度もない。お手本でいるのは、牢屋に入っているような気分になる」
“I never wanted to be an example. It’s a way to feel like being in jail.”
— 2020年2月、クラブの公式ポッドキャストで(ベッカムら若い選手への影響を聞かれて)
15「頂点にいるうちに引退すると、ずっと決めていた。マンチェスター・ユナイテッドで、僕はキャリアの頂点にたどり着いた」
“I always planned to retire when I was at the top and, at Manchester United, I have reached the pinnacle of my career.”
— 1997年5月、クラブが読み上げた引退の声明で
カンフーキック事件とカモメの会見の言葉
1995年1月25日、クリスタル・パレス戦で退場になったカントナは、ピッチの外を引き上げる途中で、罵声を浴びせようと観客席の前列まで下りてきた男性に向かって、飛び蹴りをしました。このカンフーキック事件のあと、クラブはシーズンの終わりまで、イングランドのサッカー協会は9月末まで、カントナを試合に出しませんでした。カントナは2008年の取材でも、2021年のドキュメンタリー映画でも、もっと強く蹴ればよかったと口にしています。
16「カモメがトロール船を追うのは、イワシが海に投げ込まれると思っているからだ」
“When seagulls follow the trawler it is because they think sardines will be thrown into the sea”
— 1995年3月31日、控訴審の後の会見で(この言葉だけを言って席を立った)
17「何か言ったけれど、僕には何の意味もなかった。なのにみんなが意味を探した。それが楽しかった」
“I said something and it meant nothing to me, and they all tried to find meaning. I loved it.”
— 2020年2月、クラブの公式ポッドキャストで(カモメの言葉を振り返って)
18「あれはドラマで、僕は役者だった。僕は物事を真剣にやるけれど、自分のことは真剣に考えない」
“It was a drama and I was an actor. I do things seriously without taking myself seriously.”
— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(事件の映像を見たかと聞かれて)
19「ファンは平日にマンチェスターからクロイドンまで来てくれた。その支えを感じて、とても助けられた。クラブも支えてくれた。だから僕は残ったんだ」
“They travelled from Manchester, in the middle of the week, to Croydon. I could feel that support and it helped me a lot. The club, also, supported me. So I stayed.”
— 2008年、FourFourTwo の読者の質問に答えて(出場停止の間もクラブに残った理由)
20「監督はいつものように、正しい言葉を見つけてくれた。僕は監督を愛し、尊敬していた。父親のように」
“The manager found the right words like always. And I loved him and respected him. Like a father.”
— 2021年、クラブの歴史を描いたドキュメンタリー映画『The United Way』で(事件の後のファーガソン監督について)
21「何千回も侮辱されて、一度も言い返さなかった。でも、人はもろくなる時がある」
“I have been insulted thousands of times and have never reacted, but sometimes you are fragile.”
— 2021年、ドキュメンタリー映画『The United Way』で(事件を振り返って)
引退後の名言(俳優・UEFA 会長賞のスピーチ)
30歳で引退したカントナは、俳優、ビーチサッカーの監督、歌手と、サッカーの外へ活動を広げました。引退の理由を振り返る言葉のほか、2016年にマンチェスター・ユナイテッドに加わったイブラヒモビッチへ「君は王子になればいい」と語りかけた動画、2019年の UEFA 会長賞でシェイクスピアの一節から始めたスピーチ、ファーガソン元監督をかばった投稿など、引退後も言葉で話題を作り続けています。イブラヒモビッチ自身の言葉はイブラヒモビッチの名言で読めます。
22「ある日、もうこれ以上うまくならないと気づく。そして、情熱を少し失うんだ」
“One day you realise you will not improve any more, and you lose a bit of the passion.”
— 2009年5月、イギリスの新聞ガーディアンの取材記事で(1997年の引退を振り返って)
23「僕は人間じゃない。フランス人でもない。エリック・カントナだ!」
“I am not a man. I am not French. I am Eric Cantona!”
— 2020年2月、マンチェスター・ユナイテッドの公式ポッドキャストで
24「マンチェスターに王は1人しかいない。なりたいなら、君は王子になればいい。……王は去った。王子、万歳!」
“there can only be one King in Manchester. You can be the Prince if you want to. … The King is gone! Long live the Prince!”
— 2016年7月、マンチェスター・ユナイテッドに加わったイブラヒモビッチに向けた動画で
25「『神々にとって私たちは、いたずらな子どもにとってのハエのようなもの。神々は戯れに私たちを殺す』……私はサッカーを愛している。ありがとう」
“As flies to wanton boys we are for the gods, they kill us for their sport … I love football. Thank you.”
— 2019年8月29日、UEFA 会長賞を受けた時のスピーチで
26「ルイ16世以来、いちばんだめな代表監督」
« le sélectionneur le plus nul depuis Louis XVI »
— 2009年11月、マルセイユでのビーチサッカーの大会の前の会見で(フランス代表のドメネク監督について)
27「ロナウドは分かっていなかったし、今も分かっていない。もう25歳じゃないんだ。……キャリアの終わりは、死ぬようなもの。小さな死だ」
“I think Ronaldo didn’t realise – and he still doesn’t realise – he’s not 25 years old. … The end of a career is like dying. It’s a little death.”
— 2023年1月、マンチェスターの地元紙の取材で(ユナイテッドを去ったクリスティアーノ・ロナウドについて)
28「歌詞も曲も自分で書いて、ビデオも自分で書いて撮った。謙虚になること以外は、何でもできる」
“I did the lyrics, I wrote the music, I wrote the video and directed the video. I can do everything but be humble.”
— 2023年6月、イギリスの新聞ガーディアンの取材で(歌手として出した曲について)
29「自分を表現する機会がないなら、死んだほうがいい。挑戦が必要なんだ。生きていると感じるには、内側に火を感じていたい」
“If I don’t have the opportunity to express myself, I prefer to die. I just need challenge. To feel alive, I need to feel fire inside me.”
— 2023年6月、同じガーディアンの取材で(引退後の人生を聞かれて)
30「サー・アレックス・ファーガソンは、永遠に私のボスだ!」
“Sir Alex Ferguson will be my boss forever!”
— 2024年10月、マンチェスター・ユナイテッドがファーガソン元監督に払っていたクラブ大使の報酬を打ち切ると決めた後、本人の Instagram の投稿で
名言サイトでよく見かける言葉の出どころ
日本の名言サイトには、カントナの言葉として、ここまでの30選に入っていない言葉もたくさん載っています。その中には、映画の台詞だったもの、元の言葉から意味が変わって広まったもの、いつ・どこで言ったのか分からないものが混ざっています。
映画の台詞: 「俺は人間じゃない、カントナだ」「俺は観客を驚かせたかった。毎試合、何か贈り物がしたかった」などは、2009年の映画『エリックを探して』で、カントナが本人役で言う台詞です。脚本はポール・ラヴァティが書いていて、本人のインタビューの言葉ではありません。
意味が変わって広まった言葉: 引退の時の言葉として載っている「私はサッカーに対する情熱を失ってしまった」は、UEFA 公式サイトの英語の記事では「試合は大好きだった。でも、早く寝て、友だちと出かけず、酒も飲まない生活を続ける情熱がもう無かった」という言葉です。また、1997年の引退は本人が会見を開いたのではなく、クラブが声明を読み上げたものでした。
元の記録が見つからない言葉: 「世間では普通と違う人間を異常と呼ぶ。私はそう呼ばれることを誇りに思っている」「ゴールすることが美しいのではない。シュートをする、その行為が美しいのだよ」「監督やチームメイトが何を言おうが関係ないね」などは、本人がいつ・どこで言ったのかが分かる記録が見当たりません。
反対に、出どころのはっきりしない言葉に見えて、公式の記録に本人の言葉として載っているものもあります。「俺の墓石には、どんな言葉も刻んで欲しくない」は、FIFA 公式サイトにフランス語の « Je ne veux aucune inscription sur ma tombe. Une pierre vierge. J’aimerais laisser une image de mystère. »(墓には何も刻んでほしくない。まっさらな石でいい。謎のイメージを残したい)として載っています。ただし、いつ・どこで言ったかは、FIFA の記事にも書かれていません。
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