相撲の歴史とは?始まりの起源や番付・横綱の歴史を解説!
相撲の歴史はとても古く、神話の時代から続いています。相撲の起源は、二人の男性の力比べの戦いでした。番付の歴史は、享保年間に木版印刷の形式で番付を発行したこと、横綱の歴史は、明治時代に張り出しとなった先輩大関の番付に横綱と書いたことがきっかけで始まっています。
2022.12.04
|
スポーツ
相撲の歴史とは?
日本の相撲の歴史は、2000年以上に始まりました。古事記や日本書紀の古い記録には、相撲の取り組みのもととなった力比べの話が記載されています。古い時代の相撲は、現在のルールと異なり、殴る・蹴るを含めた男たちの力比べの戦いでした。
武芸や武道でありながら、神事や祭りとして発展してきた相撲の歴史を辿ると、相撲が古くから世代と共に人々に愛されてきた経緯や、現在の形になるまでの歩みを知ることができます。
武芸や武道でありながら、神事や祭りとして発展してきた相撲の歴史を辿ると、相撲が古くから世代と共に人々に愛されてきた経緯や、現在の形になるまでの歩みを知ることができます。
相撲の起源・始まり
年代 | 経緯 |
---|---|
古事記の頃 | 神様の力比べ |
日本書紀の頃 | 力自慢の男の対決 |
相撲の起源や始まりは、闘争本能から生まれた力比べや取っ組みあいといった男たちの戦いでした。日本の古い記録には、相撲がいつから始まったのかといった経緯や、神様と人間それぞれの相撲の取り組みの起源が記されています。
【古事記】
・出雲の武御雷神が建御名方神の腕を掴んで投げた。
【日本書紀】
・垂仁天皇7年7月7日に、当麻蹴速と野見宿禰がスマヰ(すもう)の訓練で戦った。
【古事記】
・出雲の武御雷神が建御名方神の腕を掴んで投げた。
【日本書紀】
・垂仁天皇7年7月7日に、当麻蹴速と野見宿禰がスマヰ(すもう)の訓練で戦った。
相撲の語源
相撲の語源は、スマヰまたはすまひ(争ひ)であると考えられます。スマヰやすまひは、争うや負けまいと争うといった意味となり、スマヰやすまひがすまふへと言葉が変化していくうちに、名詞化されて現在の相撲(すもう)になったという説が有力です。
相撲の発祥国
相撲の発祥国は日本です。日本最古の歴史書の日本書紀のなかに、初めて相撲がとられたときの話が記載されています。
相撲の発祥地
相撲の発祥地は、当麻蹴速と野見宿禰の戦いがおこなわれた場所であると伝えられる奈良県葛城市です。葛城市には、野見宿禰が当麻蹴速の腰の骨を折って倒したエピソードに由来して名付けられた腰折田という地名もあります。
葛城市では、相撲の開祖である当麻蹴速を地元の英雄と称えた供養塔・當麻蹶速塚が建てられ、現在も多くの人々が祈りを捧げています。
葛城市では、相撲の開祖である当麻蹴速を地元の英雄と称えた供養塔・當麻蹶速塚が建てられ、現在も多くの人々が祈りを捧げています。
相撲とは?
via www.photo-ac.com
相撲とは、2人の力士が直径4m55cmの円の土俵のなかに入り、1体1で戦うスポーツのことです。相撲のルーツを知るためには、次の3つの知識を知る必要があります。
・江戸時代の相撲
・相撲のしきたり
・相撲の儀式
・江戸時代の相撲
・相撲のしきたり
・相撲の儀式
江戸時代の相撲とは?
江戸時代の相撲は、興行化して庶民の娯楽となり、民衆に広がりました。室町幕府時代までは、組み打ちの鍛錬として栄えていた武家相撲が勧進相撲に形を変え、見物客からお金を取るように変化していきました。
相撲が庶民に定着したことで、各地の大名たちはこぞって相撲が強い人を家臣にするようになり、力士は歌舞伎役者と並ぶ花形職業へと変化を遂げました。
相撲が庶民に定着したことで、各地の大名たちはこぞって相撲が強い人を家臣にするようになり、力士は歌舞伎役者と並ぶ花形職業へと変化を遂げました。
相撲のしきたり
相撲には、神事や祭事だったことの名残から、現在もさまざまなしきたりが存在しています。力士に共通するおもなしきたりは、次の3つです。
・常に髪を伸ばして結び、髷を結う
・日常生活時は浴衣を着用する
・相撲部屋に所属して共同生活をする
力士共通の3つのしきたり以外に、所属する相撲部屋ごとの特有の細かいしきたりも存在します。
・常に髪を伸ばして結び、髷を結う
・日常生活時は浴衣を着用する
・相撲部屋に所属して共同生活をする
力士共通の3つのしきたり以外に、所属する相撲部屋ごとの特有の細かいしきたりも存在します。
相撲の儀式
相撲では取り組みを始める前に、力士を紹介する土俵入りと呼ばれる儀式をします。
【土俵入りの流れ】
①横綱以外の十両と幕内力士全員が土俵に上がる
②俵に沿って、円を描くように外向きに並ぶ
③全員の名前や出身地、所属している部屋がアナウンスされる
④全員が揃った時点で、内側に向き直る
⑤拍手をする
⑥右手を挙げる
⑦化粧廻しを掴む
⑧両手を挙げる
⑨順番に退場する
【土俵入りの流れ】
①横綱以外の十両と幕内力士全員が土俵に上がる
②俵に沿って、円を描くように外向きに並ぶ
③全員の名前や出身地、所属している部屋がアナウンスされる
④全員が揃った時点で、内側に向き直る
⑤拍手をする
⑥右手を挙げる
⑦化粧廻しを掴む
⑧両手を挙げる
⑨順番に退場する
女相撲の歴史
女相撲の歴史は、江戸時代に始まりました。女相撲は、江戸時代中期に女性力士と男の盲人を戦わせたことが始まりとなり人気を集めましたが、女性が裸になることを禁止したり、相撲界が女人禁制となった動きを機に縮小されていきました。
女相撲は江戸時代にあった?
女相撲は、江戸時代の中期に江戸の両国で女性と男性の盲人との相撲を取り組ませたことが評判となり、世間に広まりました。1番始めの頃は、女性同士の取り組みでしたが、美人が少ないと民衆に飽きられてしまったことから、男性の盲人との取り組みを始めました。
相撲が女人禁制になった理由
相撲が女人禁制になった理由は、宗教上の理由だと考えられます。かつての日本には、山や神社など神々が宿るとされる場所は女人禁制とするといった風潮がありました。相撲はスポーツでありながら神事とされてきた歴史があるため、女人禁制の考えが根付いたものとされています。
現代相撲での女人禁制
女人禁制は現代相撲でも続き、2020年現在でも、女性が土俵に上がることが禁止されています。
近年、小学校で開催された相撲大会で優勝した女の子が次の大会の舞台の土俵に上がれない、といったエピソードが生まれたことがきっかけで相撲界での女性差別が問題となりました。現在は、女人禁制のしきたりを変えようとする動きが強まっています。
近年、小学校で開催された相撲大会で優勝した女の子が次の大会の舞台の土俵に上がれない、といったエピソードが生まれたことがきっかけで相撲界での女性差別が問題となりました。現在は、女人禁制のしきたりを変えようとする動きが強まっています。
相撲の番付の歴史
相撲の番付の歴史は、享保年間に、相撲場に行かなくても興行の概要を知ることができるようにするために木版印刷の形式で番付を発行したことが始まりとなりました。
番付の歴史を辿るためには、相撲の番付の起源・始まりや関取の語源を知る必要があります。
番付の歴史を辿るためには、相撲の番付の起源・始まりや関取の語源を知る必要があります。
相撲の番付の起源・始まり
相撲の番付は、江戸時代に見物客への広告の意味で始めた木の掲示板が起源であるとされています。相撲の興行の場所に興行札と呼ばれた木の掲示板を設置し、出場する力士の名前や順序を記載していました。
関取の語源
関取の語源は、次の2つの説が有力であると考えられています。
・名乗っただけで関所を通ることができた
・昔は、力士の仕事は相撲ではなく関所を守ることだった
2つの説には、関所の関と相撲取りの取を取って関取と呼んだという点が共通しています。
・名乗っただけで関所を通ることができた
・昔は、力士の仕事は相撲ではなく関所を守ることだった
2つの説には、関所の関と相撲取りの取を取って関取と呼んだという点が共通しています。
相撲の横綱の歴史
相撲の横綱の歴史は、明治時代に始まりました。現在までの横綱の歩みを知るためには、次の3つの知識を押さえておきましょう。
・横綱の起源・始まり
・横綱の語源
・横綱の特別な儀式
・横綱の起源・始まり
・横綱の語源
・横綱の特別な儀式
横綱の起源・始まり
横綱の起源は、明治42年に、新米の大関に正位を押し出さてしまった先輩の大関たちからの不満を解消することを目的として、張り出しになった先輩大関のことを番付に横綱と書いたことが始まりです。
大関のなかで、格式が高く優秀な人物だけが、横綱と呼ばれる太いしめ縄を締めて土俵入りすることを許されたのがきっかけで、力士のことも横綱と呼ぶようになりました。
大関のなかで、格式が高く優秀な人物だけが、横綱と呼ばれる太いしめ縄を締めて土俵入りすることを許されたのがきっかけで、力士のことも横綱と呼ぶようになりました。
横綱の語源
横綱の語源は、力士の番付の最高位である横綱だけが腰に締めることが許されている、白麻製の太いしめ綱が由来です。
白麻製の太いしめ綱には、神の領域を示すといった意味があり、大関のなかでも品格や力量に優れた選りすぐりの力士だけが締めることを許されています。横綱の横は、結界をはるために綱を締めたときに、綱が横にはって領域をわけている様子からとって名づけられました。
白麻製の太いしめ綱には、神の領域を示すといった意味があり、大関のなかでも品格や力量に優れた選りすぐりの力士だけが締めることを許されています。横綱の横は、結界をはるために綱を締めたときに、綱が横にはって領域をわけている様子からとって名づけられました。
横綱の特別な儀式
名前 | 雲龍型 | 不知火型 |
---|---|---|
由来 | 雲龍久吉の型 | 不知火光右衛門の型 |
せり上がりの動き | 左手を胸に置く | 両手を伸ばす |
右手を伸ばす | ||
綱の結び方 | 輪を1つ作る | 輪を2つ作る |
使用する一門 | 出羽海一門 | |
高砂一門 | ||
時津風一門 | ||
有名な横綱 | 貴乃花 | 白鵬 |
朝青龍 | 日馬富士 | |
稀勢の里 |
横綱の特別な儀式とは、大相撲の最高位である横綱だけが執りおこなえる横綱土俵入りです。横綱土俵入りでは、露払いと太刀持ちの2名の力士を従えた横綱が土俵に上がり、雲龍型と不知火型の2つの型うちの、どちらか1つを披露します。
横綱土俵入りの1番の晴れ姿は、引退相撲をするときに断髪式前にする最後の横綱土俵入りです。横綱の威厳と格式を披露することができる横綱土俵入りは、横綱の特権のなかで最も特別だといえます。
横綱土俵入りの1番の晴れ姿は、引退相撲をするときに断髪式前にする最後の横綱土俵入りです。横綱の威厳と格式を披露することができる横綱土俵入りは、横綱の特権のなかで最も特別だといえます。
せり上がり
せり上がりとは、力士が四股を踏んだ後に、すり足をしながらじりじり姿勢をあげる動きのことです。
せり上がりとは、力士が四股を踏んだ後に、すり足をしながらじりじり姿勢をあげる動きのことです。
相撲の八百長の歴史とは?
相撲には、力士が裏で勝ち負けをお金で売買していた八百長の歴史があります。相撲の八百長の歴史は、明治時代に、八百屋の店主の長兵衛が、囲碁仲間の大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫にわざと負けて機嫌を取り、八百屋の商品を買ってもらおうと打算したのが始まりです。
大相撲では、2011年に相撲の本場所での八百長が発覚し、大きな問題となりました。
大相撲では、2011年に相撲の本場所での八百長が発覚し、大きな問題となりました。
大相撲八百長問題
大相撲の八百長問題とは、2011年2月2日に、日本相撲協会に属する現役の力士が大相撲の本場所での取り組みで八百長に関与していたことが発覚した事件のことです。
八百長問題では、2010年に起きた大相撲野球賭博問題に関与した力士の携帯電話のメールのやり取りから、力士たちが勝ち星や具体的な戦い方を数十万円で売買していることが発覚しました。問題発覚によって、大相撲春場所(大阪場所)が中止されました。
八百長問題では、2010年に起きた大相撲野球賭博問題に関与した力士の携帯電話のメールのやり取りから、力士たちが勝ち星や具体的な戦い方を数十万円で売買していることが発覚しました。問題発覚によって、大相撲春場所(大阪場所)が中止されました。
相撲の歴史を記した本
相撲の歴史
via www.amazon.co.jp
著者 | 新田一郎 |
---|---|
出版社 | 講談社 |
価格 | 2780円 |
相撲の歴史では、神話に登場する相撲の逸話から外国人力士の問題に至るまで、相撲の長きにわたる経緯や由来・ルーツが紹介されています。相撲の歴史には、国技としての相撲とは何かを問い直す内容が書かれているため、多様・国際化する相撲の現在を知りたい人におすすめの1冊です。
相撲 その歴史と技法
via www.amazon.co.jp
著者 | 新田一郎 |
出版社 | 日本武道館 |
価格 | 2592円 |
相撲 その歴史と技法では、相撲の成立から現代相撲の基本的な条件が揃うまでの経緯を、歴史を簡略化しながらわかりやすく紹介しています。相撲の歴史に関する3つの疑問に対しての著者の考えが明確に記されているため、相撲がいつから始まったのかや相撲の歴史の流れを知りたい人におすすめです。
・相撲はどこから来たのか
・相撲とは何か
・相撲はどこへいくのか
・相撲はどこから来たのか
・相撲とは何か
・相撲はどこへいくのか
相撲の歴史まとめ
相撲の歴史や由来を辿ると、相撲が古事記の時代から現代に至るまでに改革を繰り返しながら発展してきたことがわかります。
国技である相撲は、儀式やしきたりを重んじる格式の高いスポーツです。伝統を守り、時代を生きる人々に愛され楽しみと勇気を与続ける相撲には、今後もさらなる革新と進化が期待されています。
国技である相撲は、儀式やしきたりを重んじる格式の高いスポーツです。伝統を守り、時代を生きる人々に愛され楽しみと勇気を与続ける相撲には、今後もさらなる革新と進化が期待されています。
商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。
商品やサービスのご購入・ご利用に関して、当メディア運営者は一切の責任を負いません。