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ラファエル・ナダルの名言30選!叔父トニーの教えやケガ、引退スピーチの言葉

ラファエル・ナダルの名言30選!叔父トニーの教えやケガ、引退スピーチの言葉

ラファエル・ナダルの現役最後の試合は、2024年11月のデビスカップでした。叔父トニーさんの教え、ケガ、引退スピーチの言葉まで、ラファエル・ナダルの名言30選を、言った時期と場面、英語などの原文とともに読めます。よく知られた名言の出どころも分かります。

2026.10.22 | テニス

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公式ライター
Activel編集部

ラファエル・ナダルが2025年5月に全仏オープンのコートで行った引退スピーチは、フランス語で始まり、英語、スペイン語へと言葉を変えて続きました。足の感覚がないまま14回目の優勝をつかんだ2022年の全仏から、叔父トニーさんの教え、引退の言葉まで、ラファエル・ナダルの名言30選を、言った時期と原文で読めます。

ラファエル・ナダルのプロフィール

ラファエル・ナダルは、1986年にスペインのマヨルカ島マナコルで生まれ、2024年11月に現役を引退したテニス選手です。四大大会で22回優勝し、そのうち14回が全仏オープンでした。ラファエル・ナダルの名言の多くは英語やスペイン語で話した言葉で、日本で知られている言葉には元の言葉が見つからないものもあります。

基本プロフィール

テニスは左で打ちますが、食事などテニス以外のことは右手でする選手です。

項目 内容
生年月日 1986年6月3日
出身地 スペイン・マヨルカ島マナコル
身長 185cm
利き腕 左(テニス)
プロ転向 2001年
ツアー優勝 シングルス92回
四大大会の優勝 22回(全豪2・全仏14・ウィンブルドン2・全米4)
世界ランキング1位 通算209週(初めての1位は2008年8月)
オリンピック 金メダル2つ(2008年北京・2016年リオ)
現役引退 2024年11月

全仏オープンでの通算成績は112勝4敗です。世界1位の通算209週は、1973年に世界ランキングが始まってから6番目に長い記録になっています。

叔父トニーさんとの少年時代から、全仏オープン14回の優勝、2024年の引退までの歩み

ラファエル・ナダルの歩みと主な名言が生まれた年をまとめた年表

ナダル選手にテニスを教えたのは、叔父のトニー・ナダルさんでした。本人は会見で「3歳から一緒だった」と話しています。小さい頃はフォアもバックも両手で打っていて、10歳の頃に片手で打つよう変えた時、自然に出たのが左手でした。トニーさんの考えで左に変えたという話は、本人が2010年と2011年の会見ではっきり否定しています。2011年に出たナダル選手の自伝には、トニーさんの厳しい練習の日々が描かれています。

  • 2004年12月: 18歳で国別対抗戦のデビスカップに優勝
  • 2005年6月: 19歳で全仏オープンに初優勝
  • 2008年7月: ウィンブルドンの決勝でフェデラーに勝ち、初優勝
  • 2008年8月: 北京五輪のシングルスで金メダル。8月18日に世界ランキング1位に
  • 2010年9月: 全米オープンで優勝し、四大大会の4つすべてで優勝
  • 2016年8月: リオ五輪のダブルスで金メダル
  • 2017年: シーズンの終わりに、トニーさんが大会に同行するコーチから退く
  • 2022年6月: 全仏オープン14回目、四大大会22回目の優勝

ケガとの戦いも長く、左足の持病に加えて膝や手首を痛め、2023年6月には股関節の手術を受けました。現役最後の試合は、2024年11月のデビスカップです。

座右の銘

ナダル選手が座右の銘として語った言葉は、Activel編集部が確かめた範囲では見つかりませんでした。代わりに、会見で繰り返し口にしてきた考えが2つあります。

  • 言い訳をしない(2007年11月、負けた試合の後の会見で): 「言い訳はしない。僕はいいプレーをした。彼がもっといいプレーをした」(No excuse. I play well; he play better.)
  • 毎日うまくなる(2010年9月、全米オープンで優勝した後の会見で): 「目標はいつも同じで、これまでもずっとそうだった。うまくなり続けて、来年は今年よりいい選手だと感じられることだ」(My goal is all the time and all my life was the same, is keep improving and feel myself better player next year than what I felt this year.)

引退の後の2025年5月にも、ナダル選手は「毎日うまくなろうとすることだけを気にしていた。キャリアの間ずっと、そう感じていた」と話しています。20代の会見と引退の後とで、同じ考えが言葉になっています。

ラファエル・ナダルの名言30選

2006年、20歳で初めてウィンブルドンの決勝に進んだナダル選手は、叔父について「彼がいなかったら無理だった」と話し、12年後の2018年にも「トニーがいなかったら、僕はたぶん今日ここにいない」と言いました。ラファエル・ナダルの名言30選は、叔父トニーさん、メンタル、ケガ、ライバル、引退の場面ごとに分けて古い順に並べ、ナダル選手が話した英語・スペイン語・フランス語の言葉を原文で添えています。

叔父トニーさんの教えと我慢についての言葉

叔父のトニー・ナダルさんは、ナダル選手が3歳の頃から2017年まで、テニスのコーチを務めた人です。自伝によると、11歳でスペインの12歳以下の全国大会に勝った日、トニーさんは過去25人の優勝者の名前を読み上げ、ほとんどが有名な選手になっていないと示してから「今日の勝利で浮かれるな。まだ長く厳しい道がある」と言いました。

01「叔父とは3歳の時から一緒で、ずっと一緒にやってきた。だから、僕が今プロの選手でいられるのは、たぶん彼のおかげなんだ。彼がいなかったら無理だった」

“I began with him at three years old. I am all life with him. So maybe for him I am now professional player, no? Without him, was impossible.”

— 2006年7月、ウィンブルドンで初めて決勝に進んだ後の会見で

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発言時期: 2006年7月(ウィンブルドン準決勝でバグダティスに勝った後の会見。ナダル選手は20歳)

発言状況: 記者から、コーチの叔父トニーさんと、サッカー選手だった叔父ミゲル・アンヘルさん、2人の叔父から子どもの頃にどんな刺激を受けたかを聞かれての答えです。ナダル選手はまずコーチの叔父の話から始め、この言葉を口にしました。この年の決勝ではフェデラーに敗れ、ウィンブルドンの初優勝は2年後の2008年になります。

02「トニーがいるかいないかは関係ない。違いを生むのは自分自身だ。いつも同じで、勝てば僕の勝ち。もちろん、チームみんなの支えはあった。でも、負けたら僕のせいだし、勝った時も僕の勝ちなんだ」

“Doesn’t make the difference if Toni’s here or not. The thing that make the difference is myself. Always is the same. When I win, I win. Sure, I had the support of all my team. But when I lose, it’s my fault. And when I win, it’s mine also.”

— 2010年8月、シンシナティの大会で敗れた後の会見で

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発言時期: 2010年8月20日

発言状況: 全米オープンを前に、トニーさんとはいつから練習するのかと聞かれての答えです。トニーさんは数日後にニューヨークで合流する予定でした。ナダル選手は同じ答えの中で「コーチの一番大事な仕事は、選手が子どもの時にある」とも話しています。翌月の全米オープンで初めて優勝し、四大大会の4つすべてで優勝しました。

03「我慢するとは、受け入れることだ。物事を望むとおりではなく、あるがままに受け入れる。そして、後ろではなく前を見ることだ」

“Enduring means accepting. Accepting things as they are and not as you would wish them to be, and then looking ahead, not behind.”

— 2011年、自伝『ラファエル・ナダル自伝』で、2008年のウィンブルドン決勝を振り返って

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発言時期: 2011年(英語版『Rafa』は8月、日本語版『ラファエル・ナダル自伝』は10月に出版)

発言状況: 2008年のウィンブルドン決勝で、第4セットのタイブレークを5-2から逆転されて落とし、フェデラーとの第5セットに入る時の心の中を書いた部分です。直前のダブルフォールトはもう忘れていて、プレッシャーの中での父のように現実的に考えていた、と書いた後に続く言葉です。自伝はジャーナリストのジョン・カーリンさんとの共著で、英語の文はカーリンさんがナダル選手の話をもとにまとめました。

出典: 『Rafa』(2011年)/日本語版『ラファエル・ナダル自伝』(実業之日本社・2011年)

04「子どもの頃から、毎日高い強度で、大きなプレッシャーの中で練習してきた。叔父は最初から僕を強く追い込んだ。それが後になって、ケガやつらい時期を受け入れる準備にとても役立ったんだ」

“I practiced since I was a kid with high intensity. I practiced with a lot of pressure every day. My uncle was pushing me a lot from the beginning, so that was a big help for us later to be ready to accept injuries, to accept the tough moments.”

— 2017年3月、インディアンウェルズの大会の会見で

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発言時期: 2017年3月14日

発言状況: 大事なポイントでの強さをどう鍛えるのか、アカデミーの子どもたちにどう教えるのかと聞かれた時の言葉です。ナダル選手は「それだけを練習することはできない」と答え、一番大事なのは正しい自信を持つことだと話しました。最後は「その状況を乗り越えるために、自分で問題をつくらなければならない」と続けています。この年の2月には、トニーさんがこの年限りで大会に同行するコーチから退くことが伝えられていました。

05「トニーがいなかったら、僕はたぶん今日ここにいない。それが本当のところだ。どれだけ感謝しても足りない」

“Without Toni, I probably won’t be here today. That’s the real thing. I can’t thank him enough for everything.”

— 2018年1月、全豪オープンの大会前の会見で

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発言時期: 2018年1月13日(トニーさんが公式のコーチでなくなって最初の大会)

発言状況: トニーさん抜きの初めての大会の気持ちを聞かれ、ナダル選手は「トニーなしの初めての大会ではない。公式のコーチでなくなって初めての大会だ」と言い直しました。トニーさんがいない大会には、それまでも何度も出ていたからです。そのうえで「これまで何千回も言ってきたから、繰り返す必要はないと思う」と前置きして、この言葉を続けています。

06「叔父も家族も、僕がラケットを壊すことも、汚い言葉を言うことも、物を投げることも、試合をあきらめることも、決して許さなかった」

“My uncle, my family, never allowed me to break a racquet, never allowed me to say bad words or threw or give up a match.”

— 2022年3月、インディアンウェルズの大会の会見で

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発言時期: 2022年3月12日

発言状況: テニス人生の間ずっと自制心と戦う気持ちを保ってこられた理由を「簡単で、そういう教育を受けて育ったから」と話した中の言葉です。子どもの頃の家族は勝ち負けをあまり気にせず、正しい価値観を身につけることを一番大事にしていたそうです。「コートで騒ぎを起こしたりラケットを壊したりしたら、次の大会には出られなかった」とも話しています。2007年3月の会見でも、若い頃に叔父の前でラケットを投げたらコートから出されていた、と話していました。

負けとメンタルについての言葉

2007年のウィンブルドン決勝でフェデラーに敗れたナダル選手は、翌年の同じ決勝で、同じ相手に4時間48分の末に勝って初優勝しました。のちの自伝には、その決勝の緊張の元は負ける恐怖ではなく、勝つ恐怖だったという一文があります。負けた夜の会見でも、引退の後のインタビューでも、ナダル選手は自分のメンタルを隠さずに語っています。

07「僕は潔く負けを認められる人間なんだ。負けをしっかり受け入れる。負けを引きずるのは数時間だけで、その後は忘れて、100パーセント元気になる」

“I am a good loser. I accept the loss very well. And, well, the lose don’t affect me more than some hours. After that I forgot and I am hundred percent fine.”

— 2007年7月、ウィンブルドン決勝でフェデラーに敗れた後の会見で

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発言時期: 2007年7月8日

発言状況: フェデラーに5セットの末に敗れ、2年続けてウィンブルドンの決勝で負けた後の会見です。試合の直後、ベンチでとても落ち込んで見えたが何を考えていたのか、と記者に聞かれ、「とても大事な大会で勝つチャンスがあった。1時間前に負けたのだから普通のこと」と答えてから、この言葉を続けました。同じ会見では「まだ若い。毎シーズンうまくなっている」という言葉も残しました。

08「ただ、1ポイントごとに集中する。考えすぎてはいけない。考えすぎると、いいプレーができなくなるから。次のポイントにだけ集中して、1ポイントずつ戦うんだ」

“Just focus in every point. Is impossible to think too much, because if you think too much you not gonna play well. I just focus next point, have point by point, no?”

— 2008年7月、ウィンブルドン決勝でフェデラーに勝った後の会見で

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発言時期: 2008年7月6日

発言状況: 当時のウィンブルドンで最も長い4時間48分の決勝で、ナダル選手は第4セットのタイブレークで2本のマッチポイントを逃した後、第5セットを9-7で取って初めて優勝しました。試合が長く緊迫していく中で何を考えていたかと聞かれての答えで、「タイトルのことは何も考えたくなかった。後でつらくなるから」とも付け加えました。

09「ウィンブルドンの決勝で緊張しないなら、それは人間じゃない」

“If you are not nervous in the final of Wimbledon, you are not human”

— 2010年7月、ウィンブルドンで2度目の優勝をした後の会見で

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発言時期: 2010年7月4日(決勝でベルディハに勝った日)

発言状況: 少し緊張していたと話したナダル選手に、記者が「フェデラーと戦った3度の決勝と違い、今日は勝つと見られる側だった。何か違ったか」と聞いた時の答えです。ナダル選手はウィンブルドンで2度目、四大大会で8度目の優勝をした24歳でした。

10「負けることがなければ、勝った後に喜びを味わうことはできない。だから、両方を受け入れなければならないんだ」

“If you don’t lose, you cannot enjoy after the victories. So I have to accept both things.”

— 2011年8月、シンシナティの大会の前の会見で

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発言時期: 2011年8月15日

発言状況: 前の週のモントリオールの大会で初戦に敗れたナダル選手に、記者が自信が心配かと尋ねました。ナダル選手は「全仏で優勝した時も、次の大会の1回戦が心配だった」と話し、「コートに立つたびに、勝つことも負けることもある。それが一番つらいところで、同時に本当に美しいところだ」と続けてから、この言葉を口にしました。

11「僕は毎日迷っている。(中略)人生はそんなにはっきりしたものじゃない。だから、迷いがないとしたら、それはたぶん傲慢すぎるからだ」

“I have doubts every day. … Life is not that clear. So if you have no doubts probably is because you are too arrogant.”

— 2017年6月、全仏オープンで10回目の優勝をした後の会見で

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発言時期: 2017年6月11日(決勝でワウリンカに勝った日)

発言状況: 四大大会で勝てなかった3年間に、恐れや迷いはあったか。記者のこの質問に、ナダル選手はまず「僕はいつも正直に話してきた」と前置きしました。続けて「迷いはいいものだと思う。もっと強く練習して、もっと謙虚になって、うまくなるには努力を続けるしかないと受け入れられるから」と話しました。最後は、迷いを持ち、自分をそれほどうまいと思わなかったことが、キャリアの間ずっと懸命に練習させてくれたと結んでいます。

12「勝つのは好きだ。でも、負けるのを憎んではいない。憎むのは、自分が戦えていないと感じることだ」

“I like to win, yes, but I don’t hate to lose. What I hate is not feeling myself competitive.”

— 2026年5月、ドキュメンタリーの配信に合わせたマドリードでのインタビューで

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発言時期: 2026年5月(4話のドキュメンタリー「Rafa」が5月29日に配信される前の取材)

発言状況: 自分は勝者というより競う者だ、と話した理由を説明した言葉で、前に「一番楽しんだのは競うことだったから」と置いています。同じインタビューでは、2008年の全仏決勝でフェデラーに6-1, 6-3, 6-0で勝った試合よりも、決勝までの厳しい試合のほうが楽しかったと振り返っています。

ケガと向き合った言葉

ナダル選手のケガとの戦いは長く、本人は2024年に書いた文章で、17歳の時のケガで、たぶんもうプロのテニスはできないと告げられたことを明かしました。治すことのできない左足の持病のミュラー・ワイス症候群に加え、2009年と2012年に膝、2016年に左手首、2014年の全豪オープン決勝では背中を痛めました。2022年の全仏オープンの優勝は、左足に麻酔の注射を打ち続けてつかんだものです。2023年には股関節の手術を受け、約1年試合から離れています。

13「チームのみんな、精いっぱいやったよ。本当にありがとう。みんながいなければ、今の自分はなかった。こんな終わり方でごめん。本当に、本当に必死にやったんだ」

“My team, I tried hard, thank you very much. Without them it would be impossible to be where I am today. Sorry to finish this way, I tried very, very hard”

— 2014年1月、全豪オープン決勝で背中を痛めて敗れた後の表彰式で

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発言時期: 2014年1月26日

発言状況: ワウリンカとの決勝の第2セットの序盤に背中を痛め、治療のために7分ほどコートを離れましたが、棄権せずに最後までプレーして敗れました。表彰式では涙を見せながら、まずワウリンカに「今日は僕に運がなかったけれど、君は本当に優勝にふさわしい」と祝福し、その後で自分のチームに向けてこの言葉を口にしています。

14「ローラン・ギャロスは、ローラン・ギャロスだから」

“Roland Garros is Roland Garros”

— 2022年6月、全仏オープンで14回目の優勝をした後の会見で

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発言時期: 2022年6月5日(決勝でルードに勝った日)

発言状況: 全仏14回目、四大大会22回目の優勝の後の会見で、ナダル選手は大会中ずっと左足の神経に麻酔の注射を打ち、足の感覚がない状態で戦っていたと明かしました。そこまでして出た理由を聞かれた答えがこの言葉です。ローラン・ギャロスは全仏オープンの会場の名前で、大会そのものを指す呼び方でもあります。「足が眠ったまま戦い続けられないのは明らかだ」とも話し、ほかの治療がうまくいかなければ手術を考えるとしていました。

15「最後までベストを尽くす。どれだけ可能性があるかは関係ない。それがスポーツの哲学で、スポーツそのものの本質なんだ」

“Just try your best till the end. Doesn’t matter the chances that you have. That’s the philosophy of the sport. That’s the essence of the sport by itself.”

— 2023年1月、全豪オープン2回戦で股関節を痛めて敗れた後の会見で

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発言時期: 2023年1月18日

発言状況: 前の年の王者として臨んだ2回戦で、第2セットの途中に左の股関節を痛めましたが、棄権せずに最後までプレーして敗れました。会見では「前年の王者として、棄権でコートを去りたくなかった」と話し、「今、精神的に打ちのめされていないと言えばうそになる」とも明かしています。全豪オープンでは、これが現役最後の試合になりました。

16「決めるのは僕ではない。決めるのは僕の体だ」

“No es una decisión que tome yo, es una decisión que toma mi cuerpo”

— 2023年5月、全仏オープンの欠場を発表した会見で

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発言時期: 2023年5月18日(マヨルカ島マナコルの自分のアカデミーで)

発言状況: 全豪オープンで痛めた股関節が思うように治らず、19年続けて出ていた全仏オープンを欠場し、しばらく休むと発表した会見です。ナダル選手は「来年を最後の年にするつもりだ」と明かし、「こんな終わり方は自分にふさわしくないと思う。最後が別の形になるよう努力する」とも語りました。翌月の6月2日に、股関節の手術を受けています。

17「健康でいることが恋しかった。戦えている感覚も、こんな満員の観客の前でプレーすることも、恋しかった」

“I missed being healthy, I missed feeling competitive and playing in front of full crowds like this.”

— 2024年1月、ブリスベンで約1年ぶりのシングルスの試合に勝った後に

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発言時期: 2024年1月2日

発言状況: 股関節の手術の後、初めてのシングルスの試合で、ドミニク・ティームに7-5, 6-1で勝ちました。コート上のインタビューで、「間違いなく、テニス人生で一番つらい年の一つの後で、今日は感情のこもった大事な日だ」と話した後の言葉です。試合後の会見では「テニスのやり方は忘れていないと本当に思う」と話しつつ、手術の後は、ある動きをするのが怖くなることもあると打ち明けました。

18「でも、痛みは人生で最高の先生の一つだ」

“But pain is one of life’s greatest teachers.”

— 2024年12月、引退の後に本人が寄せた文章「The Gift」で

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発言時期: 2024年12月(アメリカのスポーツサイト The Players’ Tribune に本人が書いた文章。英語とスペイン語の両方の版があり、スペイン語版の題は「El Regalo」)

発言状況: この一文の後に、若い頃のケガの話が続きます。左足の病気については「足の小さなひびではなく病気で、治すことはできず、付き合っていくしかない」とつづりました。家で泣いて過ごした日々に、父が「解決策を見つけよう。見つからなくても、人生にはテニスの外にもほかのことがある」と言ってくれたことも明かしました。

出典: 本人の寄稿「The Gift」(The Players’ Tribune・2024年12月)

フェデラーやジョコビッチ、錦織圭について語った言葉

ナダル選手はフェデラーと40回、ジョコビッチと60回対戦し、錦織圭選手とも14回戦っています。2026年10月の錦織選手の引退に寄せたナダル選手のコメントは、本人の X に英語で書かれ、最後だけ日本語の「ありがとう」で結ばれていました。

19「ロジャー、今日はごめん。君が今どんな気持ちか、本当によく分かる。忘れないで。君は偉大なチャンピオンで、歴史上最高の選手の一人だ」

“Roger, sorry for today. I really know how you feel right now. Remember, you’re a great champion, you’re one of the best in history.”

— 2009年2月、全豪オープン決勝でフェデラーに勝った後の表彰式で

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発言時期: 2009年2月1日

発言状況: 5セットの決勝でフェデラーに勝ち、全豪オープンで初めて優勝しました。準優勝の皿を受け取る時にフェデラーが泣いて話せなくなり、ナダル選手は肩に腕を回してから、この言葉を口にしています。当時、四大大会で13勝していたフェデラーに、続けて「サンプラスの14勝を超えるだろう」と声をかけました。

20「決勝で負けてうれしいわけじゃない。でも、キャリアの中で、満足できる負けの一つだ」

“I am not happy to lose the final, yes, but that’s one of the losses that I am happy with in my career.”

— 2012年1月、全豪オープン決勝でジョコビッチに敗れた後の会見で

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発言時期: 2012年1月30日(決勝は前の日の夜に始まり、日付が変わってから終わった)

発言状況: 5時間53分、四大大会の決勝で最も長い試合になったジョコビッチとの決勝に、第5セットの末に敗れました。会見では「体力的には、これまでで一番厳しい試合だった」と話し、「負けた後に、こんなに前向きなことをたくさん言ったのは、たぶん初めてだ」とも言っています。

21「ロジャーがツアーを去ると、僕の人生の大切な一部も去っていく。人生の大事な場面には、いつも隣か向かい側に、彼がいたから」

“When Roger leaves the tour, yeah, an important part of my life is leaving too because all the moments he has been next or in front me in important moments of my life.”

— 2022年9月、レーバーカップでフェデラーと組んだダブルスの後の会見で

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発言時期: 2022年9月23日(ロンドン)

発言状況: フェデラーの現役最後の試合は、ヨーロッパ選抜と世界選抜が戦うレーバーカップで、ナダル選手と組んだダブルスでした。試合に敗れた後の会見で、ナダル選手は「コートでは正反対のスタイルだから、僕たちのライバル関係は一番大きく、面白いものの一つになった」と話し、「ライバルとしてコートで全部を分け合った後に、友達としてキャリアを終えられることが、もっとうれしい」とも語っています。フェデラーが引退を発表した9月15日には、本人の X に「この日が来なければいいと思っていた」と書いていました。

22「彼を困らせるだけの球を、打ち続けることができなかった。それに、15年前の脚ももうない。そのすべてがなければ、歴史上最高の選手を困らせることはできない」

“no he tenido la calidad de bola continuada como para crearle problemas. A partir de ahí, tampoco tengo las piernas de hace quince años. Sin todo eso, no vas a crear problemas al mejor jugador de la historia”

— 2024年7月、パリ五輪でジョコビッチに敗れた後に

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発言時期: 2024年7月29日(パリ・ローラン・ギャロスのセンターコート)

発言状況: パリ五輪の2回戦で、ジョコビッチに1-6, 4-6で敗れました。2人の60回目の対戦です。ナダル選手は「単純に、一方がもう一方よりずっといい選手だった。受け入れるしかない」とも話し、右脚に巻いていたテーピングのわけも説明しました。全仏オープンで14回優勝したこのコートでの、最後のシングルスの試合になりました。

23「素晴らしいキャリアおめでとう、圭! 君とコートに立つのは、いつも喜びだった。君が成し遂げたすべてのことと、たくさんの人に示してきたお手本を、大いに誇りに思っていい。新しい章に幸運を!」

“Congratulations on an amazing career, @keinishikori! It was always a pleasure to share the court with you. You can be very proud of everything you have achieved and the example you have set for so many people! All the best for this new chapter!”

— 2026年10月1日、錦織選手の現役最後の試合の日に本人の X で

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発言時期: 2026年10月1日

発言状況: 錦織選手の現役最後の試合は、ジャパンオープンの1回戦でした(ティアフォーに4-6, 4-6)。その日、ナダル選手は写真をつけてこの言葉を英語で投稿し、最後は日本語の「ありがとう」を入れた「ありがとう, Kei! Big hug!」(ありがとう、圭! 大きなハグを!)で結びました。2人は現役時代に14回対戦し、ナダル選手の12勝2敗でした。10月6日の錦織選手の引退セレモニーでは、ナダル選手のビデオメッセージも流れています。

出典: 本人の X 投稿(2026年10月1日)

ナダル選手に敗れた2009年の全豪オープン決勝や、レーバーカップでのフェデラーの側の言葉はロジャー・フェデラーの名言40選で、ナダル選手との試合や引退セレモニーについての錦織選手の言葉は錦織圭の名言75選で読めます。

2024年の引退スピーチと全仏オープンの引退セレモニーの言葉

ナダル選手は2024年10月10日、本人の X に載せた動画で引退を発表しました。11月19日、スペイン南部のマラガで行われたデビスカップの準々決勝が現役最後の試合になり、その夜にコートで約15分の引退スピーチをしています。2025年5月25日には、全仏オープンの初日に、14回優勝したコートで引退セレモニーが開かれました。全仏のコートには、ナダル選手の足形と「14」の文字のプレートが埋め込まれました。

24「もちろん難しい決断で、決めるまでに時間がかかった。でも、この人生では、すべてのことに始まりと終わりがある」

“Es una decisión que evidentemente es difícil, que me ha llevado tiempo tomarla, pero en esta vida todo tiene un principio y un final”

— 2024年10月10日、引退を発表した動画で

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発言時期: 2024年10月10日

発言状況: 本人の X に載せた4分45秒の動画で、スペイン語で話し、英語の字幕がついていました。「ここ数年、特にこの2年は難しかった。制限なしにプレーできていなかったと思う」と理由を話し、最後の大会は11月のデビスカップの決勝大会だと明かしました。プロとして最初の大きな喜びの一つが2004年のセビリアでのデビスカップ決勝だったので、それで円を閉じることになる、とも話しました。動画は「千回のありがとうを。また近いうちに」で終わります。

出典: 本人の X 投稿(2024年10月10日)

25「結局、自分のレベルはコントロールできない。できるのは、態度とエネルギーと決意だけ。それは僕を裏切らなかった」

“al final uno no puede controlar el nivel que tiene, sólo la actitud, la energía y la determinación y eso no me ha fallado”

— 2024年11月19日、現役最後の試合の後の会見で

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発言時期: 2024年11月19日(マラガ)

発言状況: デビスカップの準々決勝の第1試合で、ナダル選手はオランダのファン・デ・ザンスフルプに4-6, 4-6で敗れました。デビスカップのシングルスで負けたのは、2004年のデビュー戦以来です。会見では「勝った時でさえ、自分には十分に厳しく、自己批判的だった。でも、最後の試合になるかもしれない今日は、自分に厳しくはしない」とも話しました。この後、スペインはダブルスも落としてオランダに敗れ、これが現役最後の試合になりました。

26「20年のプロのキャリアの間、皆さんはずっと僕を担いでくれた。いい時は次のポイントを取る助けに、悪い時は戦い続ける助けになってくれた」

“han sido veinte años de carrera profesional en los que me habéis llevado en volandas. En los momentos buenos me ayudabais a ganar el siguiente punto y en los malos me ayudabais a seguir peleando.”

— 2024年11月19日、マラガでの引退スピーチで

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発言時期: 2024年11月19日の夜

発言状況: スペインの敗退が決まった後、コートで開かれた引退のセレモニーで、ナダル選手はまずマラガの観客にお礼を言いました。スピーチでは「テニスをすることに疲れたわけではない。でも、体がもうテニスをしたがらない」と引退の理由も話しています。会場では、フェデラーやジョコビッチ、マレーたちのビデオメッセージも流れました。

27「トニー、あなたが、僕がここにいる理由です。人生の大きな部分をあきらめて、僕と一緒にいようとしてくれてありがとう。練習して、話して、僕を苦しませ、笑わせ、限界まで連れて行ってくれた。2人で過ごしてきた日々はいつも簡単ではなかったけれど、間違いなく、その価値があった」

“Toni, tú eres la razón por la que estoy aquí. Gracias por renunciar a gran parte de tu vida para querer estar conmigo. Entrenando, hablando, haciéndome sufrir, haciéndome reír y también llevándome a mis límites. Lo que hemos vivido no siempre ha sido fácil, pero sin duda ha merecido la pena”

— 2025年5月25日、全仏オープンの引退セレモニーのスピーチで

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発言時期: 2025年5月25日(全仏オープンの初日、センターコートのフィリップ・シャトリエ・コート)

発言状況: 約1万5千人の観客の前で、ナダル選手はフランス語で話し始め、英語、スペイン語、最後にまたフランス語とつないでスピーチをしました。トニーさんへの言葉は、スペイン語で話した家族への感謝の中の一つです。続けて「あなたは間違いなく、僕が持てた最高のコーチだった」とも伝えています。

出典: ATP 公式サイト(2025年5月25日・スペイン語)

28「もうあなたたちの前でプレーすることはできない。でも、僕の心と思い出は、いつまでもこの魔法のような場所と結びついている」

“Je ne pourrai plus jouer devant vous, mais mon cœur et mes souvenirs resteront toujours liés à ce lieu magique.”

— 2025年5月25日、全仏オープンの引退セレモニーのスピーチの最後に

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発言時期: 2025年5月25日

発言状況: スピーチの締めくくりに、もう一度フランス語に戻り、「ありがとうフランス、ありがとうパリ」と観客に呼びかけた中の言葉です。「自分にとって一番大切な場所で愛され、認められていると感じることが、どれほどうれしいか、あなたたちには分からないでしょう」とも呼びかけています。この後、フェデラー、ジョコビッチ、マレーもコートに上がり、最後にはコートに埋め込まれた足形と「14」の文字のプレートがお披露目されています。

出典: 全仏オープン公式サイト(2025年5月25日・フランス語)

29「相手を全力で倒そうとするのに、相手を憎む必要はない。それが、僕たちが人々に、新しい世代に示したメッセージで、ある意味で僕たちが残したものなんだ」

“You don’t need to hate the opponent to try to beat him with all your forces. And that’s the message that I think we showed people, we showed the new generations, and in some way that’s our legacy.”

— 2025年5月25日、全仏オープンの引退セレモニーの後に

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発言時期: 2025年5月25日

発言状況: セレモニーの後、記者に向けて話した言葉です。一番のライバルだったフェデラー、ジョコビッチ、マレーの3人がコートに並んだことについて、「一番厳しいライバルどうしが、いい同僚として互いを尊敬し合えるという、世界へのすばらしいメッセージだ」と話し、この言葉を続けました。そして「結果はそこにある。でも同時に、結果はただの結果だ」と付け加えました。

出典: ATP 公式サイト(2025年5月25日)

30「今の時点で言えば、恋しくはない。自分の居場所は、もうそこにはないと分かっているから」

“A día de hoy te digo que no, no lo echo de menos porque sé que mi lugar ya no está ahí”

— 2026年5月、マナコルの自分のアカデミーで博物館が開館した日に

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発言時期: 2026年5月14日

発言状況: マヨルカ島マナコルのラファ・ナダル・アカデミーに開館した博物館「Inside the Legend」を、記者と一緒に回りながら話した言葉です。テニスについては「閉じたページ、しっかり閉じたページ」と話し、「幸い、自分の可能性の限界に達したと思う。精神面ではなく、体の面では」とも振り返りました。

テニス選手の名言をもっと読みたい人は、フェデラーや大坂なおみなど、ほかのテニス選手の言葉を集めたテニス選手の名言47選もどうぞ。

よくある質問(Q&A)

Q1. 「失うことは敵ではない。失うことを恐れることこそが敵だ」はナダルの言葉?

Activel編集部が自伝と会見の書き起こし約1,000本を調べた範囲では、いつ・どこで言ったかの記録が見当たりません。自伝には、2008年のウィンブルドン決勝の緊張の元は「負ける恐怖ではなく、勝つ恐怖だった」という一文があります。

Q2. ナダルの引退スピーチでは何を話した?

2024年11月19日のマラガでのスピーチでは、20年間支えてくれたファンに感謝し、「テニスをすることに疲れたわけではない。でも、体がもうテニスをしたがらない」と引退の理由を話しました。2025年5月には全仏オープンの引退セレモニーでもスピーチをしています。

Q3. ナダルは錦織圭の引退に何と言った?

錦織選手の最後の試合の日(2026年10月1日)に、本人の X に英語で「素晴らしいキャリアおめでとう」と書き、最後だけ日本語の「ありがとう」で結びました。10月6日の錦織選手の引退セレモニーでは、ビデオメッセージも流れています。

Q4. ナダルの自伝は日本語で読める?

2011年10月に、実業之日本社から『ラファエル・ナダル自伝』(渡邊玲子訳)が出ています。元の英語版『Rafa』は同じ年の8月に出た本で、ジャーナリストのジョン・カーリンさんとの共著です。

Q5. ナダルの名言を英語やスペイン語の原文で読める?

ナダル選手の語録の多くは大会の会見で生まれ、英語で答えた言葉は、書き起こしに本人の話した英語のまま残っています。スペインの記者への答えや引退のスピーチはスペイン語で、2025年の全仏の引退セレモニーではフランス語でも話しました。書き起こしには、「no?」で終わる本人の話し方もそのまま残っています。

Q6. 叔父のトニーさんはどんな人?

ナダル選手に3歳の頃からテニスを教え、2017年までコーチを務めた叔父です。2025年5月の全仏の引退セレモニーでは、ナダル選手から「あなたは間違いなく、僕が持てた最高のコーチだった」と感謝の言葉を受けました。


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